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第20話

「ッ! ……す、いませんっ」 合わせられたのは本当に一瞬で、あからさまな反応に消えてしまいたくなる。 「…………悪い、強引すぎたな」 顔を逸らした隙にチラリと松本さんを見やれば、心臓がドクンと鳴った。 若干、腕で隠した頬を赤くした松本さんが気まずそうに廊下の先を見つめていて、どう反応していいのか分からない。 なんで、照れて…… 「あーっ、もうやめよう。仕事だ仕事。話は終わってから聞くから絶対逃げんなよ」 「だ、から俺は、転けただけだって話し……」 「バレる嘘はつくな。今日もウチに来いよ、どうせなんの予定もないだろ」 「……あったらどうするんですか」 「お前が敢えて予定を作ったとしか思わないな」 なん、だよ。 なんでそんなに俺に構ってくるんだ。 もう昨日のような目には、遭いたくないのに。 「__えぇぇっ! 椎名君って彼女1人しかできたことないの!? それ本当に!?」 「……はい」 朝の宴会場は慌ただしい印象しかなかったが、今日は会議も少ないらしく落ち着いている。 早見さんと雑談をするのは、割と初めてだ。 「良い歳こいて若いもん茶化すのはやめろ」 「だってこんなにイケメンなのに1人って! うわぁ〜っ、同期入社だったら絶対結婚してたのに!」 「おいこら、旦那に謝れ。というか結婚できる前提かよっ」 「当然! ほら私、妥協はしないし」 「は〜? 自分勝手の間違、イてててッ! 耳引っ張んな!」 「散々相談乗ってやったの誰だと思ってんの〜?」 フフフフと笑いながら拳を握る早見さんから漂うのは、狂気そのものだ。 早見さんと松本さんは同期で、大卒入社の同い年という珍しい関係だ。 何年もお互い仕事を続けているなんて、幼なじみのように仲が良いのも納得だった。 「なーんか、椎名君が可哀想だわ。あんたに指導されるなんて」 「どういう意味だ。お前みたいな凶暴鬼ババアより断然良いだろうが」 「ま、じ、で、殺す」 「…………」 食器類を洗いながら、耳に入る口ゲンカはシャットアウトしようとした。 早見さんは既婚者で、子供もいるし旦那もいる。 それなのに、胸の奥が少しだけ熱くなるのはなぜなんだ。 「痛たっ……」 無意識に手に力を込めたら、ズキンと二の腕の辺りが痛んだ。 筋が切れているわけでもないが、内出血した場所が筋肉の伸縮で地味に痛む。 「椎名」 「……はい?」 「俺が代わりにやるから、そこにある小皿とグラスを隣の台車に移してくれ」 「え」 突然こちらへ来た松本さんが蛇口をひねったかと思えば、手を引かれ泡が流れていく。 肌に触れた場所がジワり熱くなって目をそらした。 「無理はすんなよ」 「っ……」 早見さんに聞こえない声で囁かれたセリフが、大音量で聞こえてくる。 「はーい、椎名君ちゃんと手は拭こうね〜。皿が濡れるからなぁ」 「……」 ウザい……ウザすぎる。 タオルを強引に奪い取ろうかと思ったが、逆にバカらしくてやめた。 「あんた、椎名君を子ども扱いしすぎじゃない?」 「後輩って良いよなぁ、純粋で癒されるよ」 「後輩じゃなくて部下だけどね、一応」 「変わんねえって。椎名は無愛想すぎるけどな、もっと笑えよ〜」 「触らないでください」 「ふはっ、あんた嫌われてるじゃん! どんまーい!」 こんな優しさ、鬱陶しいだけなのに。 どうしてこんなに、優しいんだ。 距離を置きたくても、できなくなるじゃないか……

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