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第23話
静寂としたリビングを照らす明かりは、淡い橙色に調整した。
ソファの肘掛けに頭を預け寝息を立てる椎名の顔が、ところどころ傷ついている。
「……」
あれはまるで、今にも殺される人間の反応だった。
そっとスーツのジャケットを脱がせて壁掛けのハンガーに掛けると、袖口に微かな血の跡が滲んでいた。
他人の家庭事情に踏み込むなど、本来はするべきことじゃないんだろうが……
どうも、気になって仕方がない。
第一印象と言えば、仕事のできる大人しく無愛想な奴だと思った。
仕事にさえ無関心で、人との関わりだの人情だのを重んじない印象だ。
だが、肩や手に触れる度に大げさな反応をしたかと思うと、途端に威嚇するような顔をする。
それは陸が他人に見せる表情と似ていた。
強情でいて、本当は心の奥底に寂しさを抱えている。
今の椎名はそれを認めたようなものだ。
「……綺麗な顔してんな」
滑らかな頬に指先で触れる。
強引にしたつもりもないが、椎名は押しに弱いのだろう。
嫌だ嫌だと言う割に、少し押してみれば簡単について来る。
兄の元を離れられないのも、何らかの引け目を感じているからじゃないのか。
「ん……、?」
「ああ、悪い。起こしたか」
伏し目がちに目を覚ます椎名は、まだどこか寝ぼけている。
__と、思った矢先。
「ッ! あ、俺、いつの間に……っ。夕飯、は」
勢いよく起き上がると同時に、絶望した様子を見せる。
常に何かに追われているようだった。
「ここは俺の家だ。そんなに慌てなくていいぞ」
「……っ……すいません」
実兄のことが気になるのか、しきりにスマホを覗き込む姿は依存そのものだ。
「椎名、今日言った通り社員寮は一般のマンションを借りるより負担が軽いんだ。自分にとって最優先するものは何か、冷静に考えてみた方がいい」
「…………はい」
とは言ったものの、今の椎名に"冷静な判断"ができるとは思えない。
俺の車が自動ロック機能付きでなければ、走行中に飛び出して大怪我をしていたか最悪死んでいた。
そんな危険すら察知して行動できない椎名に、心の余裕は全く感じられなかった。
「今日も泊まっていけ。聞いた話じゃ、椎名克彦は夜遊びが激しいらしいしな」
「たぶん、今日も出ているんだと思います……女性と遊ぶ時は一切連絡をよこしてこないので」
そう言って安堵の表情を浮かべる椎名を、強く抱きしめたくなった。
椎名にキスをしたあの日、男に手を出すほど俺の心はどうにかしてしまったのかと思った。
弱々しく助けを求める視線に、他人事には出来ないと感じたのだ。
椎名克彦は、知人に聞いた話では裏表が激しいらしい。
営業スマイル、生真面目な仕事への態度、女性への紳士的な対応……聞いてみれば一見、上司に気に入られやすいタイプの人間だ。
だが知人は、その男がガラの悪い連中と街を歩く姿を見ている。
それに椎名のこの怯えた顔。
真面目で笑顔が良い奴ほど裏の顔がとんでもないとはよく聞くものだ。
「椎名、今日はスマホを見なくていい。風呂湧いてるから入ってこいよ」
「あ……え、」
椎名からスマホを取り上げ、ハンガーに掛けたジャケットのポケットに入れた。
「なにか、できることないですか……」
「ん?」
「泊めて、いただいてるのに何もしないのは……どうかと」
「気にすんなって。オッサン相手にご奉仕は危険だからやめとけ〜」
気分を変えようと敢えて冗談事を言ったが、椎名の不安は消えないようで。
「……一緒に入るか?」
「入りません」
「つめてーの」
こういう神経質な奴は、むしろ話を逸らしてしまった方が本人の負担を減らせる。
心配だからといってその話題を出せば出すほど、椎名の神経が削られていくだろう。
____にしても、意外だ。
表向きが好印象の椎名克彦は、裏の顔がサイコパスのようで。
一方、上司相手にも嫌な顔を平気でする無愛想な椎名は、本当は純粋で上品すぎるくらいに愛らしい一面がある。
唯一の2人の共通点といえば、虚言癖だろう。
「どうすっかな……」
知れば知るほど、椎名を傍に置きたくなってしまう。
最早これは、重症だ。
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