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第26話
勤務を終え、なんの気なしに「帰るぞー」と椎名に言ってみた。
さすがにしつこいと断ってくるかと思ったが、呆気ないほど自然とついてきたから衝撃が大きい。
「兄貴は大丈夫なのか?」
「宿直だからって、伝えました」
「あぁ、なるほどね」
職場に泊まっているとなれば、わざわざ来たりしない限りバレやしない。
まぁ、研修生に宿直はさせないが。
椎名を俺の家に送り陸を迎えに祖母の家へと向かう。
祖父母に会わせても問題ないものの、椎名自身がそれを拒否しているからには強引に会わせられない。
「迎えに来たぞ〜」
ドアを開けた途端、廊下を走ってくる小さな生き物が見えて口許を緩めた。
「パパぁ! ただまっ!」
「そこはおかえり、だろ」
「あら、亮くんおかえりぃ」
小柄な祖母がドアから顔を覗かせる。
幼稚園の後にはこうして、祖母の家に一旦預かってもらっている。
わざわざこの近所を選んだのもそのためだ。
陸をなるべく1人にさせない、それが片親のできる唯一の気遣いだと勝手に思っている。
「今日は椎名がいるから、ちゃんとあいさつしろよ?」
「ゆうしゃん! うん、ゆうしゃんにタコさんウインナーつくるっ」
「それ、今日作ってたのか?」
「つくったの。おばあちゃんがおしえてくれた」
他人に防御線を張っている陸が、椎名には心を開くのが早かった。
子どもは感性が鋭いとよく聞くのも、あながち間違っていないのかもしれない。
「パパとゆうしゃんと、どうぶつえん行きたい」
「はは、そんなに椎名が好きか」
「うん、好き。ゆうしゃんやさしいから好きっ」
すんげえ単純……
まさか陸と似ている椎名を素直にさせたら、顔を赤くさせて同じ事を言うようになるのではないか。
って、アホか俺は。
酔っているのか何なのか、最近の思考は狂ってやがる。
自宅へ着いて陸のチャイルドシートを外した瞬間、駆け足に玄関へと行ってしまった。
「はぁ……自由人かよ」
一体、誰に似たんだか……
「あ……松本さん、おかえりなさい」
「__」
玄関で靴を脱いでいた俺は、心臓が止まるかと思った。
もちろん礼儀に厳しい椎名にとってはほんの軽い挨拶であって疚しい気持ちはないだろう。
だが。
可愛すぎる……なんだ今の。
はしゃぐ陸をコラコラと宥めている姿もさりげない一言も心臓に突き刺さった。
なにより、緊張感から解放された椎名はいつにも増して可愛い。
……俺はもう終わりだ。
「ゆうしゃん! たこしゃんたべよーっ、陸つくれるようになったよぉっ」
「え? 包丁危ないだろ」
「ううん、つくれるのー! ほら、ゆびきれてないもん!」
「あぁ……本当だ。すごいな、陸」
「やったー、ほめられたぁ!」
営業スマイルが全くできないと嘆いていた割に、自然と溢れだす笑顔。
子どもの力は計り知れない。
それと同時に、今までどれだけひどい扱いを受けてきたのかと兄に対する怒りが湧いてくる。
ここに住ませてやりたいほどだ。
「陸は器用なんだな」
キッチンで隣に立つ椎名が、仕事より真剣な顔をしていた。
それはそうだ、5歳児の扱うナイフほど怖いものはない。
果物ナイフにして正解だった。
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