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第32話

「わぁぁぁ! みてゾウがいる! おっきい!」 小さな足でバタバタ駆け回る陸の背を眺めながら、少し歳をとったなと思った。 仕事をしていてもあまり感じなかったが、子供の成長は分かりやすい。 「おぉーっ、陸くらいなら一口で食われるぞ〜」 「やだぁ! こわい!」 「はっはは、冗談だって。肩車するかぁ?」 「うん! たかいたかいっ」 ひょいっと軽い体を抱き上げ肩に乗せる。 少し引き気味に柵を掴む椎名が妙に可愛く見えた。 「陸、ゾウに餌やって良いぞ。ほら」 「え! ボクもたべられる……」 「食わねえって。手出してみ」 目の先の迫力にビビっている陸だったが、そっと手を伸ばして「ゾウさんどうぞ」と言う。 すると人の言葉を理解したように鼻を振り、陸の小さな手から餌を掴んで口に入れた。 「やあぁぁ! たべられるかとおもったぁぁっ」 「ぐふっ、だから食わねえって」 「す、すごいですね……迫力」 「お前までなーにビビってんの、女子か」 「うるさい、です」 椎名は動物園に来た記憶はあるらしいが、それも幼少期であまり覚えていないようだ。 ほとんど初めて間近で見る動物達に混乱しても仕方ないだろう。 園内には子連れの夫婦や学生が多くいて、騒音が苦手な椎名のことが少し気にかかっていた。 それも取り越し苦労だったようで、陸と手を繋ぎ平静とした顔で動物を眺めている。 強引だと思ったけど……問題なさそうだな。 「ゆうしゃんゆうしゃん、にんじんがシカクになってる」 「それ、キリンにあげられるって。陸が食べるなよ?」 「ンヒヒ、たべたかった」 「ダメだから。悪い顔するなよなぁ」 「とりがいる! ゆうしゃん、とりっ!」 「あ、ちょっと! はぁ……」 「悪いなぁ、椎名。面倒見んの大変だろう」 椎名はもう疲れたと言わんばかりにベンチへ腰かけ、「すいません」と返してきた。 「近所に買い物行くくらいしか、外出することほとんどないんで。ちょっと疲れました……」 「ガキはいつでも元気だからな〜。ほっといても遊び回って帰ってくるよ」 少し休憩しよう、と隣に座り、はしゃぐ学生を横目に見やった。 「……今日は、ありがとうございます」 「え?」 「克彦といると生きた心地がしないって言うか、そういう感覚すら麻痺してくるんです。だから今日は……楽しい、です」 「っ」 控えめに目を逸らして言った椎名に、俺の心臓がドクンと鳴る。 キスがしたい。 だがそれをこんな場所ですれば、椎名は間違いなく逃げる。 気の迷い、だよな……こんなの。 「あぁっ、そうだ。明日は中目黒会館に用があって行くから、昼まで事務の方頼んだぞ。客室用品の納品書、先月分計算しといて」 「……はい。それって、納品管理画面と照らし合わせた方が良いですか?」 「そうそう。数狂ってたら日付と時間と、名称どっかにメモしといてくれたら後で確認する」 「はい」 「後はそうだな……見積書も頼んでいいか? JSCの旅行会社に送る修学旅行費、9月の分な。手数料は10%で。分からなかったらフロントの人間か谷口に聞けばいい」 「分かりました」 プライベートだと言うのに、つい仕事の話を振ってしまった。 堅苦しいのは止してくれと自分から言っておきながらこれでは、何の説得力もないだろう。 「……あんま気にすんなよ。仕事とか陸の事とか、お前が気を詰める必要ないんだからさ」 「大丈夫、です。前に言いましたけど、神経使うのには慣れてるんで」 「全然良くないけどな、それ……」 流れるように言うなよ。 陸は少し離れた場所で触れ合い用のウサギと戯れていて、それを見た椎名が口許を緩める。 仕事中、こんな顔は見せないくせにな…… 俺は俺で、やらなければいけないことが増えたようだ。

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