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第40話

陸と出会って初めて、松本さんと共に幼稚園まで迎えに行った。 「ゆうしゃぁぁぁんっ!!!」 「わぁッ」 飛びついてきた陸の小さい体は思ったよりも体幹がしっかりしていて、俺がよろけそうになる。 目線に合わせて屈めば、唐突に抱きついてくる陸がまるで犬に見えた。 「ゆうしゃん、ただいま」 「おかえり……ってまだ家じゃないけど」 微笑ましげにこちらを見ている幼稚園の先生に小さく会釈をし、陸の頭をなでた。 「おい陸、父さんにも飛びついてこいよ」 「やだっ」 「はぁっ? なんでだよ」 困ったように眉を寄せる松本さんを面白がって「んふふふ」と笑う陸は、イタズラ好きな悪ガキの顔をしている。 父親に似ているといえば、似ている。 「あたまスリスリ」 「猫かよ。陸はウサギじゃなかったのか?」 「椎名お前、ツッコミもできんだな……」 「…………待ってください。俺、ボケた事ありましたっけ?」 松本さんが言っていたように、くっつき虫というアダ名が似合いそうだ。 「だっこしてー」と強請ってくる陸を抱き上げ、車の方へと向かう。 松本さんは先生の方に歩いて行き園児カバンを受け取っていた。 「……陸の父さんは、かっこいい人だな」 「? パパ?」 「うん。陸のこと、凄い大事にしてるのが分かる。……あんなかっこいい父さん、どこにもいないよ」 皮肉だった。 幼い陸にはその意味が分からないだろうからと、滑るように出てきたセリフ。 どれだけ願っても、いつになるか分からない未来でこの小さな体を抱きしめているのは俺じゃない。 俺じゃ、駄目なんだ。 自分の父親が好評され、陸は嬉しそうに喜んでいる。 「陸もね〜、パパが好きっ。わるいことしたらいっつも怒るしこわいけど、やさしいもん。ゆうしゃんも、たすけたいって言ってた」 「え? 助けたい?」 「うんっ。ゆうしゃんやさしいから、パパがたすけるって」 「…………」 松本さんがそんな事を。 塞がりかけていた涙腺がまた緩み、場所を忘れそうになった。 後部座席でニンジンのぬいぐるみを手にした陸をそっと抱きしめると、耐えていたはずの雫がじわりと滲んだ。 「ゆうしゃん、イタイイタイなの?」 「……ごめん」 「ぎゅうぎゅー」 「ごめ、ん……ちょっとだけ、許してくれ……っ」 俺が女だったら、よかったのだろうか。 そうしたら、何にも縛られずに生きられたのか。 陸はいじめられることもないし、誰かに蔑まれることなく祝福されて…… あの人の隣を、胸を張って歩くことができたんだろうか。 「見ろよ陸〜、先生が褒めてたぞ? "陸くんはひらがなが上手"だってさ」 しばらくして戻ってきた松本さんの顔は、上司のソレではなく1人の父親だった。 「いっぱいかいたの! えらいえらいしてっ」 「あぁ、偉いよ。陸は将来、総理大臣にでもなりそうだな〜」 「……親バカ」 窓に寄りかかっていた俺は、独り言程度に呟いた。 だがそれは、全く独り言になっていなかったらしい。 「椎名君は毎日頑張ってて偉いなぁ」 「ちょっ……なに、してんですか! 頭触らないでくださいっ」 「な〜に恥ずかしがってんの。自分は何も頑張ってません、とか言うわけ?」 「…………」 「お前、そういう必死に頑張ってんのは分かるけど、俺の前でくらいもっと甘えたっていいんだぞ? まだ若けえんだから」 松本さんの一言一言が、俺の心に深く突き刺さる。 ずっと、怖くて押さえ込んできた感情だった。 分かるはずがない。 俺が甘えることは、克彦の怒りを膨張させるワガママでしかなかった。 「今度、温泉とか行きてーなぁ。確か沖津の方は温泉宿があったよな」 「温泉と自宅の風呂場って、そんなに違いますか」 「はぁっ!? 全然違うだろ、入ったことねえの!?」 「……」 「…………あぁ、そうか。そういう事な。悪い」 「なんか……すいません」 グッと下がったテンションは車内を暗いムードで包む。 ふいに背後を向くと、いつの間にか陸が眠っていた。 「……可愛い、ですね。陸は気分屋で」 「そうだな。自慢の子だよ」 膝元に置いた手を軽く握った。 心がいつも矛盾している。 松本さんが愛した女性は、きっと綺麗な人だったんだろう。 陸が花をたくさん集めているのは、その人の影響らしい。 母親だった人の顔を覚えてはいないけど、無意識に似た行動をとっている。 背負うことが、できない。 俺には無理だ。 陸の将来のことも、松本さんの過去も、とても背負いきれると言えなかった。 だから俺は、2人の幸せだけを望みたい。 それが自分にできる、唯一の選択だった。

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