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第41話
「陸、ウチに着いたぞ」
「ん〜……おうち、ついた」
眠そうに目を擦って、何度も瞬きする。
シートを外し陸を抱き上げた松本さんに続いて、俺も車を降りた。
「あったまテッカテ〜カ……」
「寝ながら歌うなよ」
陸は人を笑顔にする天才だ。
どれだけ疲れていても、陸の顔を見ると元気が出そうな気さえする。
純粋で可愛い陸が自分と同じ目に遭っていないことだけに心底安堵している。
「きょうね、ボクしらない子にスキっていわれた」
目が覚めてくると徐々に声のトーンが明るくなり、足をぶらぶら揺らし始めた。
「告白されたのか、なんて返したんだ?」
「よくわかんないから、陸はうさぎなの?ってきいたの」
「はぁ? お前の質問がよく分かんないって」
「だって、なんでスキなのってきいたら、かわいいからっていわれたもん。陸がうさぎだからスキなのかな」
本当に……可愛いにも程がある。
ウサギだからって、すでに陸は人間じゃないらしい。
なにを言ってるのか全く分からない。
「陸はたしかにウサギっぽいな。でも、本当に陸がウサギなら父さんとっくにお前を食ってたぞ。主食がウサギだから」
「え、やだぁ! うさぎ食べないで! かわいそうっ」
「……ほんとなに言ってんですか、松本さん」
「はははっ、陸は優しいなぁ」
こんなに和やかな家庭を見るのは初めてで、まるで作り物のように感じてしまう。
歪んでいるのは多分、俺たちの方だ。
克彦と距離を置く決意が、心臓の鼓動を早めて不安を膨らませる。
どれだけ離れたくても離れられなかった男がいない1人の生活で、俺はやっていけるのだろうか。
なんだかんだ言っても、学生時代から家賃や光熱費はほとんど克彦が払っていた。
バイトをしてもまともな給料さえもらえなかった俺は、交通費や通信代を払うことで精一杯だった。
そのせいだ。
逆らえないのは、その負い目があったからで。
「ゆしゃん」
「……ん?」
「つかりたの?」
「え? そ、そんなことないよ」
「ううん、ゆうしゃんげんきない」
小さな手が俺の指をキュッと握る。
そんなに顔に出ていたのかと焦って隠そうとしたが、隣にドカッと腰かけた松本さんに阻止された。
「陸、ゆうしゃんは頑張り屋だから疲れやすいんだよ。よしよしってしてやれ」
「は、別にそんな……」
「おつかりなの。おつかり」
松本さんの膝の上に乗った陸が手を伸ばしてきて、ポンポンと頭を叩いた。
「よしよし、する」
「…………」
泣いても、いいですか。
どこまでも優しい親子に胸の奥が苦しくなる。
こんな俺にでも居場所をくれる松本さんへの恋情は、冷めるどころか日に日に増していく。
どこかで切らなければ俺は溺れてしまう。
そう思っていたのにまた、揺らいでしまう。
にぎってきた陸の手を引き離すことができず、強くにぎり返した。
「陸、次はどこ行きたい? 連休で旅行もいいな」
「おもちゃのモリ! あと、虫がいっぱいのとこいきたいっ」
「虫がいっぱいかぁ〜。なら、その辺の森に陸を置いて来るしかないな」
「なんでえ! やだ! 虫いっぱいのコウエンがいい!」
「痛てっ、嘘だよ。ほらほら落ち着けー、昆虫館だろ?」
「うん、それっ。ゆしゃんもいっしょ!」
無邪気に腕に抱きついてくる陸は、すっかり大人への警戒心を忘れてしまったようだ。
これじゃあまるで、配偶者じゃないか。
「はは……陸は元気だな」
奪いたくない。2人の幸せを。
いつの間にか当たり前のように借りている松本さんの衣服も、やっぱり俺には慣れないものだった。
身長差ゆえに、ズボンは裾を捲って初めてちょうどいい。
シャツは言わずもがなブカブカだが、それでも鎖骨のアザは隠れている。
慣れないのは、香水だと思っていたこの柔軟剤の香り。
鼻につくワケではなくなぜか下半身にクる。
俺が変に意識しすぎなんだ。
これくらい、誰でも使うものなのに。
「椎名、玉ねぎ食えるか?」
「はい? 大丈夫、ですけど」
「ならいい」
何か調理中の松本さんは、おちゃらけている時とのギャップが激しい。
それこそ、敷居の高いお洒落なバーで無口にカクテルを淹れるバーテンダーのような。
「そんな見られると照れるんですけどー」
「ッ! 見て、ません」
「俺みたいな男がタイプなのか、お前」
「別にタイプではないです。学生の時に好きだった男は童顔でしたし、頭もおかしかったです」
焦りから早口になってしまった。
俺が意識をしているのはバレバレで、松本さんの好意がないのも同時に知った。
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