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第45話

____ もしも時間が自由に操れるのなら、俺はどの時を選ぶのだろう。 冷たい布地の感触がしてそっと瞼を上げると、随分と懐かしい天井が視界を埋めた。 「ん……、痛った……」 ズキっと頭痛を感じて少しだけ上体を起こす。 「椎名、起きなくていい。まだ寝てろ」 「っ! ……へ」 手元に落ちたタオルは俺の額に乗せられていたらしく、意識を失ってからベッドに運ばれたようだ。 妙に体が熱いしだるい。 「最初は貧血かと思ったが、結構な高熱が出てる。無理すんなよ」 「……熱、って……今、何時ですか」 「19時だよ」 「…………仕」 「バカ野郎、こんな時に一々考えるな。お粥作ってんだけど、食えるか?」 「はい……」 こういう時、つい自分を責めてしまいそうになる。 今日も休みをもらっているというのに、明日まで休めるわけがない。 俺のやるべき仕事を矢崎課長にやってもらっていると思うとやりきれなかった。 「ちょっと待ってろ」 「パパぁ、おそとにネコがいた。おめめ光ってた、こわいぃ……」 「おお陸、ちゃんとトイレの電気切ったか? 猫は中まで入ってこれないから安心しろ。父さん下行ってくるから、オモチャで遊んでな」 「はぁい」 ずっと目が回っているような感覚がする。 陸がこちらへ歩いてきているのが見えたものの、手を伸ばすことができない。 「陸……」 「ゆしゃん、いっしょねる」 「ダメ、だよ。風邪が移るから」 「ううん。いっしょがいいっ」 「……ごめん、陸。今は頭も痛いから、頼むよ」 ひどい倦怠感に襲われ、ベッドに乗り上げる陸を下ろす力も入らない。 早く松本さん、戻ってきてください……! 「ゆしゃん、1人さみしいもん。いっしょいるの」 「っ」 陸が、ではなく俺が、という意味で言った5歳児に意表を突かれる。 「なん、で……寂しいの……」 「おねつ出たとき、1人こわい」 「でも、一緒にいたら陸も頭痛いってなるだろ……?」 「やだっ……いっしょねるの」 腕にくっつく陸が必死に見えて何も言えなくなる。 子どもの声に耳を傾けることはできても、そこからどうすべきなのか分からない。 「戻ったぞー、っておいおい。陸、くっついたら移るって言っただろう?」 「す、すいません……なにも言えなくて」 「いや、いいよ。ちょっと起きられるか?」 支えられながら再び起き上がり、松本さんの肩に体を預けた。 「はぁ…………感覚が、」 「かなり熱いぞ。大丈夫か?」 「大……丈夫、じゃないです」 殴られたように痛む頭も、痺れた手も強がりを言えるほどのものじゃなかった。 ギュッと俺の指を握る陸がなぜだか頼もしく見える。 「明日も下がらなかったら病院に行った方がいいな」 「…………」 「余計なことは考えなくていい。休める時に休んでおけ」 「はい……」 「陸、冷蔵庫にリンゴがあるから持ってきてくれないか? 食ったらダメだぞ〜」 「うんっ」 ベッドを飛び降りた陸が早足にリビングへ向かっていった。 猫が怖いと言っていたのに、1人で大丈夫なんだろうか。 棚上のミキサーを弄っている松本さんの背中がぼやけて見える。 手を、握ってほしい……。 「松本、さん……」 「ん? どうした」 「…………」 言えるわけがない、そんな事。 ゾワゾワと体が痺れ、頭がぼうっとする。 安心できる体勢を探すために寝返りを打つが、どうしても落ち着かない。 「ん、ゔぅ……痛、い……」 「椎名」 ベッドに腰を下ろした松本さんの手が額をなでる。 異常な熱さに対抗するかのごとく冷えたタオルが首元に巻かれると、途端に鳥肌が立った。 「パパ! もってきた!」 「偉いぞ陸。椎名、無理して食おうとすんなよ? ゆっくりで良いから」 異常なほど優しい声に戸惑いが隠せない。 壁に背を預け、そっとスプーンでお粥を掬う。 …………美味しいな。 舌触りが優しく、意外とあっさりしている。 所々見え隠れする鮭との相性がよく、口に入れるだけですぐに溶けてしまう。 松本さんの手料理をこうして食べられる時間が増えてきている事実が、未だに信じられなかった。

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