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第47話
「離して、くださいっ……いい加減訴えますよ」
「なんでそんな冷たいこと言うんだよ」
耳元で囁くように言うから、ゾクゾクと鳥肌が立つ。
だから嫌なんだ。
好きな人間と一緒にいるとどうしていいのか分からないほど挙動不審になるのに。
「付き、合ってるわけじゃないんですよ……こういうの、嫌なんです」
「あ? じゃあ付き合うか?」
「ッ……どうして、そうなるんですか!」
手を大きく振った瞬間、バチンと音がして熱さから解放される。
ハッとしてみれば松本さんの頬を叩いてしまっていたことに気付くが、先程の発言を思い出すと謝罪する気など毛頭出てこなかった。
「痛ってえ……」
「……ふざけるのも、いい加減にしてください……松本さんはもっと真面目な方だと思っていましたっ、はっきり言ってそういうの、気持ち悪いです」
怒りに震える声は留まることを知らず、痛む頭を無理やり動かしベッドを降りた。
「おい、なに怒ってんの。どこ行く気だ」
「は……話しかけないで、もらっていいですか。もう出ます」
「はぁっ? その身体でどこに行く宛があるんだ。椎名、バカな真似はやめ……」
「触らないでくださいッ」
喋れば喋るほど頭が痛くなる。
喉も熱く、声が掠れて苦しい。
それ以上に松本さんへの腹立たしさが優越して、フラフラな状態で廊下へ出ると寝室のドアを乱暴に閉めた。
俺の気持ちなんて、何も知らないくせに……
一緒にいたいと思っていても、もしもそれが叶っても、このご時世では陸が被害者になり兼ねない。
男同士、なんてそれこそイジメられるに決まってる。
松本さんは妻を忘れられずにいるし、俺の事など同情心から優しくしてくれているだけなんだ。
なのに、あんな事…………
7月も下旬だというのに、玄関を開けると外は少し肌寒い。
壁掛けのハンガーからカーディガンを取るとそれを羽織って玄関で靴を履いた。
正直、行く宛などどこにもない。
ただ1人になりたかった。
松本さんの顔を見たくなかった。
「痛った……」
ズキズキ痛む頭が視界を歪ませる。
克彦の所にいた方がよかったんじゃないか。
今さらそんな事が脳内を過ぎると、自分自身に心底絶句した。
結局遠くまで歩くこともできず、松本さん家の近くにある民家の柵に背を預けて座る。
点々と灯された明かりは足下を照らす程度で、克彦の家を出てきたことが地味に後悔となった。
死にたいとか生きたいとか、一緒にいたいとか。
俺は結局なにをしてるんだろう。
夏の星座は分からないが、空に幾つかの星が出ていた。
夜の道はそんなに嫌いじゃない。
朝晴れた空の下で1人になるよりもずっといい。
熱くなる体には今の風が気持ちよくてそっと目を閉じた。
「でさぁ、マユキが"お金ちょうだい"って言ったら、この尻軽がぁってキレ出したのよ〜! ほんとキモイ〜っ」
「っ!」
目をつぶっていたせいか、よりリアルに聞こえた女の声に全身が震えた。
カップルらしき男女が並んで歩いているのが間近に見えて、軽く身震いする。
「ハハハっ! そりゃおめえ、男癖が悪いバチが当たったんだよ〜、バーカ」
「はぁ〜? 本命はヨシくんだしぃ。お金欲しかっただけよ」
「あぁ、知ってる〜」
浮かれたカップルの声が嫌だ。
克彦がいつも連れ込んでいた女も、こんな風に計算高いチャラついたやつばかりだった。
人1人愛すことすら躊躇してしまう自分が相当小さな存在に見える。
「おいおーい、そこの兄ちゃん。こんな場所でナニしてんの〜?」
そこら辺の木と同様にスルーされればいいと思っていたのに、今日は運が悪い。
熱のせいで余計に腹立たしさが募ってきて男の声を無視した。
「あ? 無視かよ。聞こえてんのー?」
「ねえ、やめようよ……こんな時間に1人で座り込んでるとか、絶対普通じゃないって」
「なに〜? 実は幽霊でした、とか?」
うるさい……
脳まで響く声は耳障りで仕方がない。
頼むから、どこかへ行ってくれ。
「お、兄ちゃんよく見たら結構俺のタイプなんですけど! つか、俺の事誘ってる?」
「って、ちょっと! 意味わかんないしっ、キモイキモイ!」
「だってこいつ、すんげー色目使って……」
「っ……触るな!」
男の手に触れられそうになり、咄嗟にその男を突き飛ばした。
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