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第48話

「いって……! なにしやがんだこの野郎ッ」 「ッ」 男の怒声に心臓がバクンと音を立てた。 怒鳴り声を浴びせられることに混乱し、意識していないはずの指先が震えだす。 「すいませーん。ウチのもんが迷惑かけたみたいで、手出さないでもらえますかー?」 「…………え、?」 呑気な口調とダルげな足音。 聞いてるだけで気の抜けそうな松本さんの声が、俺の鼓動を加速させる。 なん、で……追ってくるんだよ……っ 「誰だあんた? この男の連れか?」 「まぁ、そんなもんですわ。厳しーくしつけときますんで、突き飛ばしたことはチャラで」 ジワジワと縮んでいく距離。 なんとか逃げようとするが、頭痛に顔を歪めた途端松本さんに手を掴まれ抵抗できなくなる。 「離しっ」 「あぁ、あとそこのアンタさ。もっとマシな男見つけた方が人生楽しいんじゃねえの? すっげーつまんなそう」 「なっ……!」 珍しく腰が低いと思っていたのに、最後の最後で爆弾を投下する。 顔を赤くして怒りを露わにする男にニヤリと笑うこの男はやっぱり、悪魔だ。 「待っ、て……くださ、痛い……です、っ」 「…………」 ただでさえ発熱でふらついている中、松本さんの歩幅の広さに意識が朦朧とする。 繋がれた手は固く離さないのに、何も喋らない。 「松本さん……」 「悪かった。さっきのは」 「…………へ……」 「いや……俺も口が軽すぎたっつーか。別にバカにしたわけじゃない。ただ、本当にすまなかった」 「…………」 どこかよそよそしさを感じたが、言葉は嘘じゃないようだ。 「……手、離してください」 「ヤることヤってんのに、なにをそんなに気にするんだ」 「……」 気づいてて言ってるのか。 だとしたら、相当タチが悪い。 ふらつく足で何とかついて行ってる程度で、手を離せばまたその場に座り込む自信がある。 でも、繋いで歩くのも結構しんどい。 結局は戻ってきたものの、倦怠感が増すばかりでこのまま死ぬんじゃないかと思った。 ベッドで眠る陸は風邪を引いた様子もない。 「寝てろ、椎名。動き回ると悪化する」 「なに、してるんですか」 「仕事だよ。見積もりは俺が作っとくから早く寝ろ」 「…………すい、ません」 情緒の安定しない俺は、松本さんに迷惑をかけまくっている。 新入社員とはいえ、すでに3ヶ月は経っているんだ。 しっかりしろ。 ベッドに寝転び手渡されたタオルを額にやった。 冷たくて気持ちいい。 松本さん…… デスクに向かう恋しい男の背中。 手を伸ばせば届くのに、伸ばすことが困難で。 上司に恋心を抱くなんて、学生時代の俺は予想もしていなかっただろう。 そっと目をつぶれば、松本さんの優しい声が聞こえたような気がした。 「____しゃん、ゆうしゃーんっ」 「うぐッ」 肩から腰にかけてのしかかる衝撃に内臓が破裂するかと思った。 強引に起こされた不快感と、太陽の光に照らされた陸の満面の笑顔に困惑する。 「えぇ……?」 「ゆしゃん! おねつ下がった!」 「ん、俺の?」 「うん!」 「悪いな椎名、勝手に測らせてもらったよ。6度4分だ」 昨夜から10度も下がると、随分と体が軽く感じる。 ベッドを起き上がり頭痛に身構えていたが、その気配はなかった。 「あたまいたいたい、なおった?」 「痛いたいってなんだ。治ったよ」 頭に触れようとする小さな手を掴み、代わりに陸の頭をなでてやった。 さすがに子どもになでられるのは恥ずかしい。 「どうする椎名。大事を取って今日も休みにしてもらうか」 「いえ、松本さんは宴会受付で忙しいんですよね? 俺が経理の仕事をします」 「……別にそこまで気負わなくていいけど、お前らしい返答だな」 休んだ分の埋め合わせをしないと落ち着かない。 なによりも、俺がやるべきことを松本さんに押し付けてしまうのは避けたかった。 「営業の方はどうする」 「……すいません、営業はまた今度ご一緒させてください」 「ふ、そう言うと思ったよ」 そう突然、自然に笑わないでほしい。 ドクンと鳴る心臓をどう誤魔化すべきか、俺の頭はそればかりを考えていた。 「やっぱお前、スーツが似合うな」 「地味だって言いたいんですか」 「ネガティブ思考の天才かよ。地味っつーか何つーか……」 チラリとこちらを見やると、すぐにそらして「ほら行くぞ」と上着を羽織った。 職場ではほとんどの従業員が上着を脱いでいるが、出勤はスーツが基本になっている。 松本さんのスーツ姿を見ることには慣れてきているはずだが、未だにドキッとしてしまう。

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