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第50話
「そ、そうだって言ってたんだからそうなんだろう」
ぶっきらぼうな対応になってしまうのは俺自身もそうだからだ。
浅木相手でも、口に出すことを躊躇う。
「椎名って……その、そういうの偏見あんの?」
「……はぁ? それをなんで俺に聞くんだよ」
「い、いや別に、深い意味はないけど。興味あんのかなぁって」
興味があると言えば、なにをする気だ。
浅木を疑うわけではないが、ゲイに偏見のある人間は時に突拍子もない行動をする。
それこそ、周囲に面白おかしく言いふらしたりない噂を立てたり。
神経が過敏になっている俺にはそれが少し怖い。
「ゲイなんて……普通あり得ないから」
ヤケになって思ってもいないことを言ってしまった。
叶うはずがない。
その思いが強くて、すでに諦めモードだった。
「あ、はは……そうだよな。うん、なんでもない。ささ、仕事しようぜ〜っ」
自身を否定するのと同時に、佐々木さんのことまで否定している。
最低だ、こんなの。
後悔は自責の念となってのしかかる。
仕事に私情を持ち込むなと半ば必死に自分に言い聞かせた。
「すみませんっ」
浅木とカウンターに立っていると、隣の荷物預かり台から小さな子供がひょこりと顔を出した。
「いらっしゃい、どうした?」
「スタンプくださいっ」
目をキラキラさせながら、台に手帳を広げる。
そこには他ホテルや城で押したらしいスタンプがいくつか押されていた。
スタンプラリーをしているようだ。
「はい、ちょっと待ってな」
カウンター下からホテル専用キャラクターの刻まれたスタンプを取り出した。
「2種類あるから、好きな方を押していいよ」
「かわいいっ! これほしいぃ」
なんだか、陸を見てるみたいだ……
かわいいな。
「ありがとうございましたっ」
「いえ、どうも」
去り際何度も手を振りながら笑う男の子に、口許がほころぶ。
陸に会いたいなと一瞬過ぎったような気がして眉根を寄せた。
「子ども……好きなんだな」
「大変だけど。可愛いし」
「……椎名は良い父さんになりそう。ルール厳しそうで嫌だけど」
「っ、そんなに堅くないから」
「食事は毎日19時ピッタリとか、トイレ使った後は紙を丁寧に折っとくとか、靴は絶対棚に入れるとか!」
「だからないって。早く仕事をくれよ」
なぜか楽しくなさげな浅木を横目に、松本さんの帰りはまだだろうかとぼんやり思う。
話したい、わけじゃない。
仕事のことで少し聞きたいからだ。
数時間フロント業務を初めて経験し、正午前の突然の大波に瀕死した。
まさか宴会客の問い合わせでロビーが溢れかえるとは予測もしていない。
「はぁぁ……疲れた」
「シ・イ・ナくーん」
「ッ!」
デスクに突っ伏した俺の耳に入ってきた低音に、脈拍が上昇する。
「松っ……」
「これ、中目黒館の人事課長からもらった申請許可書だ。今週中には手続きできるぞ」
「え……あ、ありがとうございます」
「今日は来なくていいから。仮家で寮に行っていいそうだし、家電が揃うまでは食事も出る。ベッドやテーブルは備え付けがあるからそれを使うといい」
「…………はい」
来なくていい。
そのセリフが妙に心を抉った。
昨日は自分から飛び出したくせに結局これだ。
本当に学習しない。
渡された鍵をそっとポケットにしまい、頭を仕事モードに切り替えた。
初めて足を踏み入れる社員寮には中々緊張した。
一度見学したとはいえ、自分自身が本当にここに住むことになるなんて思ってもいない。
「暗証番号設定……は、これか」
斜面のパネルに指で触れ、暗証番号を入力する。
手でかざすとピピッと音が鳴り、『設定されました』とのアナウンス。
一歩後ずさり、もう一度手をかざしてみた。
すると目の前の自動ドアが開き、ビクッと肩が跳ねる。
す、すごいな……最近の技術は。
そんなオッサン臭い感動をして長い廊下を歩き始めた。
松本さんの家に何度も立ち入るのは気が引けるから、丁度良かったんだ。
このまま1人で暮らすことができれば、松本さん達との関係も徐々に薄れていくだろう。
「ただいま……」
誰もいない部屋に響いた自分の声に、どこか哀愁を感じた。
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