「松本……？ ああ、なるほどね」 ニヤリと口の端を上げると、薫さんはカバンの中から丸い容器を取り出した。 「な、なに……」 「お酒を得意としない優斗がなんであんな場所に来たのか気になってたんだ。その松本って男は彼氏かい？」 「付き合って……ない、俺が一方的に想っていただけで……」 「へぇ、へえ〜……やっぱり可愛いなぁ。キミをフるってことはノンケか既婚者だろう。ゲイの男にフラれたんだとしたら、そんなヤツさっさと忘れてしまった方がいい」 ノンケ、既婚者…… 確かに松本さんは、元々既婚者だ。 そのどちらでもある男を誘惑していたのかと思うと、俺はつくづく酷い人間だ。 「俺がキミを幸せにしてあげるよ。そんな男、忘れな」 耳にキスをされ悪寒がした。 誰でも良いわけじゃない。 でも、松本さんに触れられる希望は既にない。 どこの誰かも分からないこの男に身を委ねる以外に、心の隙間を埋められるものはなかった。 「優斗、挿れるよ」 「っん、あ……やめ……！」 薫さんの膨らんだ陰茎が後攻に侵入し、肉壁を抉った。 ビクッと腰が跳ね大粒の雫がシーツを濡らす。 もう、戻れない。 松本さんとは深く関わらない。 俺のいるべき場所は、あそこじゃないんだ。 「あぁ……っ、は、んぅ……っ」 「き、ついな……泣くほど好きだったんだね。大丈夫、俺が忘れさせてあげるよ」 額に落ちるキスが苦しい。 薫さんは何を気遣っているのか、口にはしてこない。 初対面で好きな男を忘れたいと泣かれたからって、身元も知らない相手を気遣う理由などないのに。 「あ、あんっ、ふ、ぁ……っ」 奥を突く性器の感覚はあるのに、高揚感は湧いてこない。 グシャグシャに壊れるほど抱かれてしまえば忘れられるのか…… 「はっ、はぁ……あ、んっ」 「あぁー……優斗、そろそろ、イキそうだっ」 「ふ、ぐっ、はぁ……あ、あっ……も、と……してください……っ」 助けを求めるように薫さんの肩を掴み懇願した。 ふ、と微笑んだ薫さんの顔が涙で歪んで見える。 先端が前立腺を掠めた瞬間、陰茎が抜かれシーツに白濁とした精液が飛んだ。 俺の体はビクビクと痙攣し、少量の液を溢れさせただけで射精までができなかった。 「ッ……は、はっ……はー……」 「はぁ……優斗の中、凄く良かったよ」 どうして、なんだ。 勃っていたはずの性器は萎え、射精感も興奮もない。 頼むから、忘れさせてくれよ……っ 拭っても拭っても溢れてくる涙をシーツに押し付け、そのまま顔を隠した。 「…………優斗」 「ごめ……なさい、ごめん……なさい……っ」 「大丈夫だよ。ゆっくり忘れていけばいいんだから」 頭をなでる優しい手は違和感を覚えるほどだった。 いつか、何もなかったと思える日が来るのだろうか。 いつか＿＿＿＿ 「優斗、おはよう」 ぼんやりと回らない思考のまま瞼を開けると、スーツ姿の薫さんが俺を見下ろしていた。 「…………薫、さん」 「あらまぁ、涙で目が少し腫れてるな。俺はこれから仕事だから、また夜にでも会おう」 「は、い」 連絡先、交換したんだっけ…… 危険な男かと思ったが、ヤクザと取引しているような闇があるようには見えなかった。 俺くらいの弱っている人間は、遊び相手にちょうどいいのだろう。 「ホテル代払っておいたから、何もせず帰るといいよ」 「え、いや……そういうのは、」 「気遣わなくて良いから。今日は休み？」 「…………休み、です」 そっか、と笑いながら軽く手を振ると、薫さんは部屋を出て行った。 静まり返る部屋の中、自慰を済ませた後のような何とも言えない虚無感に襲われる。 松本さん以外の男と体を重ねた。 もう二度と、あの人の肌には触れられないような気がする。 ホテルを出て数分歩くと、見慣れたコンビニがある。 この付近には克彦と住んでいたあのマンションがあり、さらにその近くには…… 「＿＿＿＿っ」 数ヶ月前に偶然見つけた花屋の入口。 そこに、あの時と同じように松本さんがいた。 足が止まり、手汗が滲む。 心臓の鼓動が早まっていく。 「すいませーん、このマリーゴールド束でください」 「はーい」 前回と同じ、陸に頼まれた好きな花を探して買っている。 と思っていたのだが。 「パパみて！ このお花もかわいいのっ！」 「っ！」 店内から勢いよく出てきた陸の姿に、どうしようもなく泣きたくなった。