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第58話

一秒経つごとに募っていく不安が怖い。 病院のナースステーションで名前を告げ、松本さんの名を伝えると1025室の小さなプレートを渡された。 命に別状はなく意識も戻っているとも告げられた。 本当に倒れたのだと理解した瞬間、心臓の音が増大して周りにまで聞こえていそうだと錯覚する。 仕事以外はなにも話すなと言ったくせにノコノコ現れた俺を軽蔑するだろうか。 されたとしても、構わない。 今はただ松本さんの無事だけを知りたくて気が動転している。 部屋の前に着くと、そこが完全個室だと知った。 ノックしようと伸ばしかけた手を、胸元へ引っ込める。 嫌われたって良い。貶されたって良い。 無事でいてくれるならそれだけで…… パンっと頬を叩くと意を決してノックをし、部屋のドアを開けた。 「これ、カイゾク?」 「そうそう。んで、こっちが海軍。警察官みたいなもんだよ」 白いベッドの半身が数十度起き上がり、そこに横たわる病衣姿の松本さんが絵本を手にしていた。 その腕には点滴用の注射針が通され、複数のチューブに繋がれている。 丸イスに座る陸は身を乗り出し、興味津々に絵本を覗き込んでいた。 ノックには気づかなかったらしく一歩足を踏み入れた途端に、松本さんがこちらを見上げ目を見開いた。 「…………椎名」 「! ゆうしゃん……っ」 いつも元気ハツラツとしていた松本さんだが、今の姿は痛々しい。 溢れそうになる涙をグッと堪え、ゆっくりと歩み寄った。 「……なんで来たんだ」 「倒れ、たって…………どうしてですか」 何度も鳴っていたスマホを自分勝手な理由で無視したことが、気にかかっている。 助けを求めていたのか、それともあの時は普通に元気だったのか。 どちらにしても松本さんが無事で恐ろしく安心し、自分を責めそうになった。 「陸、さっきの看護師の所に行って絵本を読んでもらえ。そこの棚にあるものも持って行って良いぞー」 「うん!」 どれほど泣いたのか。 陸は目の周りを真っ赤にして笑顔で頷くと、絵本を抱えてドアを潜る。 振り返った時に一瞬目が合ったが、すぐに走って行ってしまった。 「…………」 「ドア、閉めろ。椎名」 「あ、はい」 手で支えながら上体を起こす松本さんの動きは随分とぎこちなくて、益々怖くなる。 「お前にはあんま言いたくないんだけどな……過労だっつって言われたよ。まさかそれで倒れるまでとはなぁ」 「……寝て、なかったんですか」 「それもある。お前が来なくなってから色々とあってよ、祖母が体調崩して看病したり陸がくそ泣いて言う事聞かなかったり。ああいうキツい時ほど仕事も上手くいかないんだ」 「…………」 「珍しく気が滅入ってたよ。冨樫が副マネージャーとして現場をまとめてくれているお陰で、ちょくちょく休憩できてたんだけどな」 俺に気遣い、なるべく明るく話そうとしている松本さんにはひどく胸がいたくなる。 てっきり仕事を辞めるのかと思っていたが、松本さんは忙しない毎日の過労で苦しんでいた。 だから、あんなに機嫌が悪かったのか…… 現場担当の冨樫さんをマネージャー候補にしていた理由もようやく分かり、自分が恥ずかしく思えた。 俺は、自分の事ばかりじゃないか。 松本さんの辛さも苦しさも何も知らずに。 「本、当に……すいませんでした」 「はぁ? なんで謝んの」 「俺……何も知らなくて、松本さんの事とか陸の事とか、考えずに言いたいこと言ってばっかで……」 「…………彼氏、できたってマジなのか」 「はい……」 松本さんの眉根が一瞬歪んだ。 まっすぐに目を見て話ができないのも、ずっと意識してしまうせいだ。 こんな時でも自分の事ばかり考えてしまう。 なんて最悪な奴なんだろう。 「なぁ椎名、ちょっとこっち来い」 「……な、んですか」 「いいから来い」 手招きをされ、遠慮がちにゆっくりと近づいていく。 そして一定の距離に来た瞬間、後頭部からグイッと引き寄せられてベッドの上に体が乗った。 「ッ!!」 「…………こっち見ろよ、椎名」 目の前に松本さんの顔があるのに、全く見れずに目を伏せる。 普段あまり目にしない松本さんの腕筋に通る血管が視界に映ると、ゾクッと下半身に熱を帯びた。

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