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第61話
谷口さんの車で社員寮にやってくると、自動ドアの前で待機した。
パネルを弄る俺の隣で喫煙中の谷口さんの煙がこちらに流れ出し、無意識に気管を刺激する。
「げほっ、けほ……っ」
「ああ、ごめん。煙草ダメだった?」
「す、すいません。あんまり得意じゃなくて……」
「そっか、悪い悪い。だからあいつも吸わないのか」
「……え? あいつ?」
目を丸くすれば、「マッツンだよ」と言われて唖然とした。
「吸わない方だと……思ってました」
「まぁ、元々ヘビースモーカーってほどでもないけど。飲みでも吸わねーし喫煙所にも行かんから気になってたんだよなぁ……なるほど、そういうことね」
1人で何かに納得している。
俺は全くついていけず、終始無言のまま目を瞬かせた。
「おぉ! カエさーん!」
しばらくして原色の赤いバイクがマンションの手前に停まり、谷口さんが歩み寄っていく。
知り合いが郵便局で働いているとなれば、こういう時に助かる。
と言っても、何が送られてきたのか分からないが。
「ほんっと、人使い荒いよヤッサンはさぁ」
「悪かったって! 今度奢るからさ〜」
「良いよ、そういうのは。……あ、すみません。椎名さんですよね? こちらにフルネームでサインをお願いします」
「はい」
谷口さん達とは同い年くらいに見える。
首に提げられた名札プレートには『楓 翔太』とあった。
本当に誰にでもニックネームを付けるようだ。
「ありがとうございますー。ではでは、僕はこれで」
「悪いなぁ、仕事忙しいってのに」
「どうせ思ってないだろ? いいよ、これも仕事だ」
笑顔で軽く会釈をした楓さんに小さく返し、手元の封筒を見た。
宛名には俺の名前と住所が書かれているが、送り主の情報は何も書いていない。
「それ、現金書留か。かなり重要なもんだなぁ、カエさん呼んで良かったよ」
「…………」
現金書留? いったい誰が……
背筋に微かな寒気を感じる。
ちょっとトイレ、とマンションの公共手洗い場へに入っていく谷口さんを見送り、慎重な面持ちで封を開けた。
中には案の定、何枚か札が入っていて絶句する。
1、2、3、4…………
1万円が、計10枚。
何度も宛先を見返すが、俺の名前に間違いはない。
「……な、んで」
「椎ちゃん? どうった〜?」
「っ! あ、あの……この字、って。見覚えありますか?」
「んー?」
どこか引っかかる直筆の癖。
だが、どこで見たのかも思い出せない。
誰なんだろうと捻ってみたものの、思い当たる人物が浮かばない。
まず間違いなく住所を知っている人間からのものだろう。
「全っ然分からん。マッツンはこんな綺麗な字じゃないもんなぁ」
「…………」
思い当たるのは、松本さんしかいないんだけど。
会社からの引越し費用補助は既に振り込まれている。
個人的な仕送りである事は明白だった。
母が、送ってきたのか……? そんなワケない。
突き放す言葉しか交わしていないのに。
「親御さんからなんじゃないのか? 箱入り息子が一人暮らしを始めて心配になる気持ちも分かるしさ〜」
「……そう、なんですかね」
そう納得するしかなかった。
どこの誰が送ってきたのかも分からない現金を使う気にはなれず、そっとカバンにしまう。
克彦が……なんて、一番あり得ないか。
「じゃあオレ帰るわ。マッツンの事、よろしく」
松本さんの自宅前まで送られ、車に戻る谷口さんに頭を下げる。
「ありがとうございました、谷口さん」
「気にしなくていいさ。あのバカが仕事しないように見張っといて」
「…………はい」
どうして松本さんの家に俺がいたことを何も聞かないのだろう。
目が覚めた時から疑問だった。
そして今、社宅ではなく松本さんの自宅にいること。
疑問だらけで頭が追いつかない。
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