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第62話

「松本さん」 「ああ、戻ったのか」 テーブルに頬杖をついていた松本さんが振り返る。 どうして、ここに来いと言うのだろう。 なにも言わない松本さんになにも聞けない俺。 聞きたい、この人の真意を。 「あの……松本さん」 「なんだ?」 「…………人に、貢ぐ趣味がありますか」 「は?」 あ、間違えた。 聞きたいこととは関係のない質問をしてしまった。 案の定、松本さんは怪訝な目で俺を見る。 「なに言ってんの」 「いや、すいません。なんでもないです」 「それよりお前……彼氏がどうのって言ってた話、聞いてないんだけど」 「っ…………あれ、は」 口が麻痺したように動かなくなる。 松本さんを忘れたくて、知らない男に抱かれた。 そう言ったら、どんな顔をされるのだろう。 「本当にいたのか? 口だけじゃなくて」 「その……」 「どうなんだよ」 こちらに迫ってくる松本さんに圧倒され、涙が出そうになる。 腕を掴まれた途端にドキッと心臓が跳ねて手を突き放した。 「ッ……も、う……別れました」 痛むほど鼓動が鳴り、顔を見れなくなる。 視界の端に見えた松本さんの顔が曇って見えた。 いや、怒りを覚えているようだった。 「…………したのか、そいつと」 「! ……な、なんで、そんなことを聞くんですか」 「答えろよ」 「っ、…………しました、よ。だったらなんですか……。つ、付き合ってもないのにそんな事聞く意味が分か____」 壁に押し当てられた衝撃で背が痛み、塞がれた唇に熱が回ってくる。 ドクンと鼓動が鳴ったのも束の間、松本さんに触れられた手首が焼けるように熱くなった。 「っ、んぅっ、ふ……あ、」 やばい……どうしてなんだよ…… 気持ちよくて、おかしくなる……っ 脳を溶かす甘いキス。 必死に抵抗しようと身をよじっても、快感が増すだけで逃げられない。 それどころか忘れかけていた欲がふつふつと湧いてくる。 「ん、あっ……どこ触っ……」 「触らせたのはどこだ。キスはしたのか? ここはどうされたんだ」 「い、や……あん、松……っ、んんっ」 鋭利な低い声で言いながら、胸の先端や脇腹に触れてくる。 好きでもない他の男に触られたのだと改めて自覚すると、松本さんの手が途端に怖くなった。 突き放すように胸元を押し返し、「ごめんなさい」と無意識に漏れる。 「ッ…………触ら、ないで……ください」 「他の男に触らせておいて……俺は駄目なんだな」 「そう、じゃなくてっ……」 「じゃあ、なんなんだ。触るなって言うならもっと抵抗しろよ。勝手に無視して逃げた上に彼氏がいるから仕事以外関わるなとか、子持ちの上司を弄んでそんなに楽しいかっ」 「違ッ……そんなこと……!」 まるで俺が遊んでいると疑う目に心臓を掴まれた気分だった。 俺は……ずっと松本さんのことが好きなのに……っ 「違うってんなら言ってみろよ。俺から逃げておいて、彼氏と別れた途端についてきた理由はなんなんだ」 「…………っ、松本さんに……避けられてるのかと、思って」 「は?」 「いつもみたいに世間話とかなくて、家に来なくていいって言われて、飲みに誘われた時も松本さんに断られて…………もう、ダメなのかとかっ……思い、」 「…………」 情けないほど溢れだす涙を何度も拭い、震える手を握った。 松本さんが欲しい。 その想いが溢れて今にも壊れそうだ。 「……それで彼氏を作ったのか、お前は」 「だ、だったら……笑うんですか」 一瞬、目を見開いた松本さんはひどく眉根を歪ませた。 こんなこと本当は言いたくなかった。 俺は陸という小さな命を抱えている松本さんの重荷にしかなれない。 男であるという時点で、叶わない望みだった。 「松本さん、は……前の奥さんの事が忘れられないから、男が好きな俺を呼んでいるのだとずっと思ってました……それが苦しくてっ、俺は特別な扱いをされてないからって何度言い聞かせても期待してしまって……でも、陸の将来を考えたら俺が一緒にいたらダメだ、か……っ」 言いかけた言葉は松本さんに抱きしめられたことによって消えた。 いつも以上に強く抱かれ、呼吸が苦しく感じる。 心臓の音が全て届いてしまいそうで、羞恥に顔を逸らした。

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