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第65話
「ゆしゃん」
「うわっ! 痛ッ!……」
陸の声に異常なほど驚き、冷蔵庫に肩をぶつけた。
自身の焦りようにはさすがに自嘲する。
「ぷっふふ……陸、今の椎名は脅かし甲斐があるぞ」
「ゆうしゃん、チーズたべようとした! だからびっくりしたのっ」
「違うから……それは陸だろ? いったぁ……」
「大丈夫か〜? お前骨弱そうだし折れたんじゃねえの」
「こ、こっちに来ないでください」
松本さんはようやくシャツを着てジーンズも履いているが、それでも意識している自分がいた。
年相応か、溢れ出る色気を隠しきれていない。
どこを見て喋ればいいんだ……
「こっち来い陸、帽子も脱げよ。椎名、なんか飯作ってくれ〜」
「…………はい」
克彦に言われた時は絶望を感じていた頼み事も、なぜだか鼓動が高鳴って忙しない。
料理をしてきて良かった……
松本さんの一言で肩の痛みも忘れ、緩みそうになる口許を押さえるのに必死だった。
朝食に陸の好きなタコ型のウインナーをいくつか皿に乗せる。
こういうキャラものに愛着が湧くようだ。
「うまっ」
「うまうま。たこさんかわい」
「ニンジンもうなくなってんな、はえぇ」
「おいしいっ、陸うさぎだもん」
ウサギっぽいといえば、納得はいく。
陸は寂しがりだし仲間意識も強そうだ。
そっと微笑みパンを小さくちぎった時、何気なく腰に手が回ってきてドキッとした。
「あ、あの」
「今日はせっかくだし家電見に行くかぁ。こっちに来てばっかもあれだろう? ついでに、新しい服も何着か買おう」
「…………そ、そうです、ね」
「陸も夏服欲しいだろ〜」
「ほしいっ! ゆうしゃんといっしょのがいい」
「は?」
どうやら、オープンカラーシャツの事を言っているようだ。
松本さんの手を跳ね除けたい気持ちが先行しているが、それ以上何もしてこないのは察した。
「お前が欲しいのはこれか?」
「それっ、かっこいい!」
薄手の藤色をしているこのシャツは松本さんがくれた物だ。
誕生日でもないのにプレゼントなんてと思ったが、引越し祝いという事でいくつか貰ってしまった。
「陸にはカーキが似合いそうだなー」
「カーキってなに?」
「淡い茶色のことだよ。ほら、その紙袋みたいな色だ」
「ゆうしゃんとおなじがいい! むらさきっ」
「お前、父さんとはお揃いしたいなんて言ったことないじゃないか」
「はずかしいからやだっ」
「はぁ〜?」
嫌だと言った割に、松本さんにべったりと付く陸は天邪鬼にも程がある。
ためらいもなく抱きつける陸が羨ましい……なんて。
親子だからそりゃあそうだ。
離してほしいと思っていたのに、いざ手が離れるともどかしく感じる。
「とりあえず、冷蔵庫と炊飯器だな」
「……すいません、色々付き合ってもらって」
「出世払いで良いぞ〜」
「…………」
「あぁ、あっちのご奉仕でも……痛ってッ!」
拳がヒリッとした。
「パパしんだ」
「陸、父さんは放っといて2人で昼ご飯食べに行こうな。出店で美味しいオムライスが食べられるらしいよ」
「オムライス! やったぁ!」
「おいコラ椎名……仮にも上司に暴力とは、覚悟できてんだろうな……」
「仮にも上司がセクハラですか。とっても教育に悪いですね」
眉を寄せる松本さんに呆気の目を向け、カバンの中身を整理し始める。
松本さんは「鬼嫁……」と呟き、カーペットに寝そべった。
「ほーら陸、早く準備しねえと食うぞーっ」
「いやだぁ! にげる! にげたいぃっ」
「いっただきまーす、ガブッ」
「ひやあぁ! たべられるーっ」
動画に納めたい……癒しだ。
一瞬そう思ったが、フォルダに松本さんと陸の戯れを残しているのを想像しただけで恥ずかしい。
諦めて短く息をつき、スマホで駅付近ショップのマップを開いた。
「____ひろーい! キラキラ!」
タクシーで家電量販店までやってきた。
都内では最大級の大型ショップに陸は大興奮の様子だ。
「パパ! これほしいっ」
「やめろよ陸、そいつは高額な代物だ」
ドア付近に置かれた小型のロボットが何かブツブツと喋っている。
確かに、50万もするこれを買うのは相当の勇気がいりそうだ。
「予算は決めてるのか?」
「とりあえず、3万以内で収まればと思ってます」
「やっす。もっと良いの買えよ」
「松本さんとは違って貧乏なんですよ。炊飯器なんて1万前後でも高いですし」
豪華な冷蔵庫があったところで、そんな贅沢な生活を送るほど気が乗らない。
もはや、こういう思考が貧困だ……
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