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29-3 機を待って

 今の声。  (かい)と江藤と、たぶん……天野だ。 「部屋入ってて。飲み物持ってくから」  江藤が言って、冷蔵庫を開閉する音がした。  向こうの部屋のドアは、閉められてない感じ。  こっちのドアのすぐ外、共有スペースに人の気配はなくなり。聞き取れそうでハッキリしない話し声だけが耳に届く。  ドアの前に移動してた俺たちは、ベッドに戻り。 「上沢。今の……」 「ああ。天野さんだ。やっぱり来たんだな」  呟くような小声の俺に、上沢も抑えた声で応じる。 「知ってたのか? 何しに? まさか……」 「それを確かめる。安心しろ。やらせねぇよ」 「凱が江藤に手出させないための見張りか、逆レイプの手助けか……って?」 「そうだ」 「どっちだと思ってる?」  上沢の瞳が揺れる。 「わかんねぇんだ。マジで。信じきれなくてよ」 「江藤と天野。二人止めなきゃならないから、俺に来いって言ったのか」 「俺だけじゃ情に流されっかもしんねぇしな」  自嘲気味に薄く笑い、上沢が息を吐いた。  何も言わず。黙ってドアの前に戻り、向こうに耳を傾ける。  江藤と凱が喋ってるのはわかる。  不思議だけど、会話の語尾は聞き取れるんだよね。声の大きさは同じなはずなのに。ただ、重要なとこはわからない。  まぁ少なくとも。今は和やか。険悪な雰囲気じゃない。  ドアを背に座り込んで。向こうの音に意識を向けつつ考える。  江藤のこと。  上沢のこと。  噂の真相とその理由。  天野がいる理由。  今、凱と江藤が何を話してるのか。  凱は何を考えてるのか。  いざとなったら、どうするのか。  凱のヤツ。  江藤以外に誰かいたらSOSしてっつったのに……!  あ……したのかも。御坂に。  いや。天野がこの部屋の前で待ってたとしたら、するヒマなかったか?  でもさ。  部屋に入らない選択肢もあったじゃん?  ためらわず。揉めることなく、部屋に入った凱を……信じるしかない。  そして、涼弥。  もう下のCルームにいるかな。  目立たないようおとなしくしてくれてるといい。  紫道と御坂と、楽しげに歓談しててくれ。  俺は大丈夫。  伝えられなくてごめんな。  明日!  たっぷり遊ぼう。久しぶりにゲームでもするか。いつも何して遊んでたっけな?  とにかく何か楽しいことしよう。  テレパシー…使えれば便利だよね。こういう時…。 「早瀬」  耳元で囁かれ、閉じてた目を開ける。 「柏葉が、(じゅん)に誘われてアッサリのる可能性はねぇか?」  上沢の問いに。答える前に、一瞬だけ躊躇した。 「ない。凱は、誘惑にはのらない」  言葉を切って、息を吸う。 「ただ……頼まれたら、その理由に納得したらやるかもしれない。けど!」  口を開きかけた上沢を制しようと、つい声の音量を上げちゃって焦り。ドアの向こうに神経を集中させる。  変わらず、内容はわからない話し声が続いてる。 「けど、今日はない。凱がそう言った」 「信じられるヤツか? 嘘はうまそうだぞ」 「凱は信じられる。嘘がうまいのは知ってるけど、これは嘘じゃない」 「どうだかな。お前、俺のことも信用してんのか?」 「え……してるよ」  だから、こうして一緒に見張ってるんじゃん?  何でそれ聞く? 「大声出したら、俺らがここいるのはバレる。お前の読みが甘けりゃ、俺に何されても抵抗できねぇな?」  近い位置にある上沢の瞳を見つめる。  暗い瞳だ。  コイツの瞳にも、闇と邪がある。  いや。みんなあるよね……程度が違うだけでさ。 「俺が甘い可能性があるのは認める。でも、お前の好きにさせるわけないだろ。騒いでバレてもいいよ。江藤と話したかった凱には悪いけど……天野もいるこの状況じゃ、そのほうがいいかも」 「……何もしねぇよ」  上沢が口元をほころばせた。 「お前の読みを信用するか」  ここで。向こうの部屋から笑い声が起きた。  上沢と二人で耳を澄ます。  ちょっとエキサイトした話し声。  沈黙。  上沢と視線を合わせる。  続く沈黙。  誰も話してないのか。  ヒソヒソ声で話してるのか。  話し声がしない理由ってほかに何がある……?  争う音もない。  静かだ。 「柏葉は、自分から絢に手を出さねぇ。誘いにものらねぇ。なら、絢と天野さんに押さえつけられて無抵抗ってこたねぇよな?」  上沢に聞かれて。 「それは……」  ないって言えなかった。 「あるんだな。くそっ」 「上沢……」 「10分だ」  眉間に皺を寄せた上沢が俺を見据える。 「10分待って、喋りもしねぇなら……行くぞ。その前にわかったらすぐにだ」 「待てよ。凱に、防犯ブザーつけてるから」 「は!? 何だそりゃ」 「ベルトに。誰かがムリヤリ外すのに引っ張ったら、ピンが抜けて鳴るようにしてある」  その意味を理解して、上沢が鼻で笑う。 「柏葉が自分で外すなら鳴らねぇんだな」 「大丈夫。凱は外さない」 「だといいが」  それきり。  俺と上沢は黙って向こうの様子を窺った。  待つのは時間の経過か、警告音か……ほかの声か。 「長いな。もう行くか」  上沢が見た時計が示すのは、4時48分。10分のうち6分が経ったところ。 「小声で喋ってるかもしれないだろ。俺たちみたいに」 「俺の勘がヤバいっつってんだよ」  正直に言えば……俺の第六感もサインを寄越してる。  ちょっとヤバいけど、もう少し待て……って。  でも。  これは、俺の思い込みか?……凱を信じてるから。 「天野は何で……?」  本気でわからなくて聞いた。 「あの人は、絢のしたいようにさせてるだけだ」 「お前とつき合ってるって、当然知ってるよな?」 「つき合い始めてからは、こんなこたなかった。俺だってわからねぇんだよ。天野さんが手を貸す理由が……」  天野の怒鳴り声が聞こえた。  反射的に立ち上がる。上沢も。  ドアの向こうで、防犯ブザーの耳をつんざく音が鳴り響いた。

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