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37-6 ありがとうございます

 現実を放棄したくて。顔を背け、額を床に目をきつく閉じた時。 「何……だよ? どうしてここ……うわっ!」  南海(みなみ)の叫ぶ声。  尻の間から消えた指の感触。  ドサッと床に落ちる音。   そして……。 「間に合ったか。突っ込まれてないな?」  俺に聞く声に、顔を上げて振り返る。  無表情に俺を見下ろすのは……風紀委員長の瓜生(くりゅう)だ。  何で瓜生が……どっから……!? 俺……助かった……のか……!? 「は……い。大丈……夫……です」  力が抜けて。ローションを垂らしたまま、裸の尻を脚の間に下ろした。 「何しに来た?」  立ち上がった南海が、瓜生を睨みつける。 「邪魔しないでくれるかな」 「レイプを見過ごすほど、俺たちは職務怠慢じゃない」 「これは同意の上だよ。ね? 早瀬くん」  答えず。二人の視線の中、上体を起こそうとして失敗。 「身動き取れないよう縛ってか」  瓜生が、俺のそばにしゃがんだ。 「動くなよ」  そう言って、俺を拘束する結束バンドとテープをナイフで裂いた。 「ありがとう……ございます」  久しぶりに自由になった両手両腕はガクガクで。床に手をついて肘をカクッと折る俺を見かねて、瓜生が身体を起こしてくれた。  さらに。 「ケツを拭いて服を直せ」  流し台にあったティッシュの箱を放ってくれる。 「ありがとうございます」  もう一度礼を言って。    俺が身なりを整える間、誰も喋らない。 「早瀬、だったな。これはお前の意思か?」  沈黙を破った瓜生が俺を見る。  嘘を見透かすような、鋭い瞳だ。 「俺が……甘かったんです」  肯定も否定も避けた。  南海をかばう気はない。  けど、南海の策略に引っかかったのは俺の甘さ……100パーセント被害者ヅラする気にもなれない。  選んだのは俺。  俺と南海と瓜生は、ちょうど正三角形を描くように等間隔で立ってる。  南海と俺を、交互に見やる瓜生。 「嫌だと叫ぶ声が聞こえた」  瓜生の視線が南海を刺す。 「縛りつけて。泣いて嫌だと言われても強行するセックスは、レイプだよ」  南海が俺をじっと見つめてから、瓜生に視線を戻した。 「そうだね。騙して縛りつけて。汚い手を使って同意させたし、嫌がるのも気にしなかった。キミが来なかったら間違いなくやってた」 「潔いな。自分が何をしたかわかってるのは、けっこうなことだ」 「やれなかったのは残念だけど、後悔はないから」  南海が俺を見る。 「俺には必要だったんだ。こうすることが……どうしても。ごめんね」  謝られても、瓜生の前で非を認めても。  この男を許せるはずがない。少なくとも、まだ。今すぐには。  涼弥を苦しめたからな……!    そうだ!  涼弥はどうしてる……え?  南海から視線を外し、後ろのパソコン画面を見て……近寄って確認する。  涼弥がいない……!?  水本もいない!  けど……桝田(ますだ)はいる。動かず画面に目をやってる。映ってる横顔の口元に血が……殴られたのか? 涼弥に?  カメラを見た。  3秒待って画面に目を戻すと、桝田の目線がこっちに……カメラに向く。  俺が見てるのを知って……でも、ノーリアクションで。  映像が消えた。 「あっちも誰か来たのかな。あるんだね、こんな偶然」  他人事みたく、南海が言った。 「誰かって……じゃあ、涼弥と水本はどこ行った?」  振り向いた俺に、南海と瓜生が映像の消えた黒いウィンドウから目を移す。 「水本もこれにかんでるのか。こりないヤツだな」  瓜生の溜息。 「普通に考えたら、ここ?」  南海の微かな笑み。  ここ……に今、向かってる……?  咄嗟に暗室の向こう、部室のドアを見る。 「南海。逃げないのか?」 「そんな卑怯なことしないよ。それに……」  鍵のかかってないドアが、中にいる3人の視線の先で乱暴に開かれた。 「もう遅い」 「將梧(そうご)……!」  南海の声に、涼弥の呼ぶ声が続く。  俺に視線を固定した涼弥が。大股で向こうの部屋を突っ切り、もの凄い形相で暗室に踏み込んでくる。 「何やってんだお前は!? 俺を殺す気か……!?」  俺を見る涼弥の瞳こそ。  その瞳に殺されそうで……そうなってもいいくらい、俺だけだ。 「ごめん。ほんとに……俺のせいで……」 「あいつに……」 「やられてない。大丈夫……」  急いで言う俺の手前にいる南海に、涼弥が気づいた。 「涼弥、待て!」  俺の制止は効かず。  無言で南海を殴りつけた。  反動ですぐ近くのテーブルにぶつかった南海に、倒れる間を与えず。もう1発、涼弥が拳を打ち込む。 「やめろ! 涼弥! これ以上は……」 「これ以上!? これじゃ足んねぇだろうが!」  テーブルに身体を預けた南海の顔は、鼻血で染まり始めてる。そこから瓜生へと視線を移す。  風紀委員長の瓜生なら、涼弥を止める……気はないのか?  この前、水本と一緒にあの店にいたくらいだから、外では暴力行為を全否定しない男だろうけど……今回は校内なのに!?  南海の胸ぐらを掴んで起こし、もう1発。血が飛んだ。鼻からか、切れた唇からかはわからない。  呻きを漏らしはしても、南海はやめろとは言わずそこにいる。  もう一度南海の胸ぐらに手を伸ばす涼弥は、ずっと……無言だ。また、南海の血が床に飛ぶ。 「そこまでだ」  瓜生が涼弥の右腕を掴んだ。 「こっからは、ただの暴力になる」 「ハナっからそうだ。放せ!」 「したことの罰として、お前に許せるのはここまでだ。終わりにしろ」 「出来るか! 放せ! お前の許しは要らねぇ!」  怒鳴る涼弥を意に介さず、瓜生は手を放さない。その手を振り払おうと涼弥が腕を振っても外れない。左手は南海のシャツを鷲掴んだまま。 「要るんだよ。聞かなけりゃ、風紀の認定は取り消す」 「かまわねぇ。コイツを殴らせろ!」 「涼弥! もう……」  もういいだろ? なんて、俺に言えるのか? 涼弥をキレさせたのは……俺なのに。  瓜生が部室のドアを向いて、短く息を吐く。 「入って来い」  え……!?  現れたのは、上沢だ。 「早瀬。やられてねぇんだろ?」 「大丈夫……」 「警告したのムダにしやがって。バカかお前は」 「上沢。杉原を引き剥がせ」  瓜生に頷き、上沢が涼弥のもう一方の腕を掴む。 「これで十分だって。早瀬見てみろ。喜んでるか?」  涼弥が、すぐ近くにいるのを思い出したように俺を見る。 「將梧……」  何て言やいい? ごめん? もうやめろ? 俺は大丈夫だから?  違くて……。 「来い。早く……抱きしめてくれよ」  俺を見つめた目を眇め、涼弥が南海から手を放した。

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