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37-7 助けたのは

 部屋にいる数人の目をはばからず。  涼弥は俺を抱きしめた。俺も、涼弥を抱きしめる。  微かに震えてるのは、俺か涼弥か。鼓動が速いのは、どっちか。  どっちでもいい……どっちもだ。  不安に潰されそうだった。  傷つくのが、傷つけるのが、苦しむのが、苦しめるのが……怖かった。  俺も涼弥も。  抱きしめ合えてよかった。  涼弥の怒りが収まってよかった……とりあえず、俺が目に入るくらいには。 「瓜生(くりゅう)さんは何でここに?」  肩に涼弥の顎をのせた俺の耳に、上沢の声が聞こえる。 「通りかかったら声がした。嫌だ、やめろ……確認しないわけにはいかない。見回り中で鍵は持ってる」 「へぇ……偶然か」 「お前は? そこに映ってたのは外の空き部室だな。桝田(ますだ)がいた」 「俺は早瀬と連絡つかねぇんで、美術部行ったらよ。そこで南海(みなみ)と一緒に出たってのと、南海が杉原連れて部室棟行くの見たって聞いて……ヤバいことなってんじゃねぇかってな」 「応援に来たぜ……って。もう終わってる?」  足音がして、知らない声に目を開けると。  見かけたことくらいはある、チャラい3年がいた。  瓜生が呼んだ風紀委員か? 「遅かったな、坂口。手当てが必要なケガ人はいない」 「南海じゃん。誰にやられた?」  長めの金髪で中肉中背のチャラ男、坂口が辺りを見回す。 「江藤の男が何かの報復とか?」 「俺じゃねぇよ」  坂口の指摘に、上沢が答える。 「じゃあ、そこのデカいの……お前ら、何でイチャついてんの?」  坂口と目が合って。涼弥に回した腕を解いて、肩を叩いた。 「あれ? 昨日いたよね?」  どっかから現実に戻ってきたみたいに目を瞬く涼弥を見て、坂口が言う。 「うちの新人?」 「杉原だ。4発ほど殴らせた」 「えー! 何したか知んないけど、暴力で処罰はダメだろ。緊急時以外」 「レイプ未遂。杉原は当事者だ」 「てことは……」  瓜生の言葉に。坂口が涼弥を、そして、俺を見る。 「南海にその子が襲われて、彼氏がキレて殴った」 「だから、少し待ってから止めた」 「納得。未遂で済んで何より」  坂口が、座り込んでる南海の腕を取る。 「さ、顔洗って。自業自得には同情しないけど。正当な理由があるなら聞きたいなぁ?」 「ないよ。俺の自分勝手な欲だけ」  ふらりと立ち上がった南海が、ハッキリと言った。 「涼弥!」  バッと身体の向きを変えた涼弥を押さえる。 「あとは……俺の分だ」  険しい表情の涼弥が口を開くより先に動き、南海の前へ。  自分を押さえつけてレイプしようとした男……だけど、もう怖くはない。  今、やられる危険がゼロだからじゃない。  俺をやろうとした理由の欲は、満たされてると思うから。 「満足した?」  南海と視線を合わせる。 「俺をレイプしようとして、涼弥に殴られて……ナオ先輩と同じ結果で」 「そうだね。俺は……これで……気が済んだ」  逸らさない南海の瞳は、穏やかに見える。 「ごめんね。好きなだけ、殴っていいよ」 「いや。そんなんじゃ割に合わない」 「何されても文句は言えないな」 「桝田が言った。ナオ先輩は……忘れられるより、憎まれて心に残りたかった……って。あんたも?」 「どう……だろう」 「俺にじゃなく、ナオ先輩にだよ。それは間違ってると思うけど、あんたもそう思ったのか? 俺は、先輩の代わり?」 「ああ……それもある、かな」  笑った南海が、痛いのか顔をしかめる。 「尚久(なおひさ)の思いを遂げたいと思ってたけど、止められて果たせなくて……よかったよ。キミを傷つけて心に残るのが俺じゃ、意味がない。それに……」  いったん言葉を切って、南海が俺の瞳を見つめる。 「あいつは、本当は……キミを傷つけたくはなかったと思うから」 「だから、俺は忘れる。キレイサッパリ。今日のことも……ナオ先輩がしたことも。記憶に残してなんかやらない」  一瞬傷ついた顔をした南海が、笑みを戻して頷く。 「ありがとう」 「あんたのためじゃない」  もう一度頷いて。すぐ後ろの流し台で、南海が顔を洗い始めた。  それを機に、張り詰めた場が緩む。 「そうだ!」  最初に声を上げたのは坂口だ。 「廊下に桝田と水本がいたんだよね。入るなって言ってあるけど、もういい?」  え……!?  焦って見やった涼弥の眉間に、深い溝。  せっかく落ち着いてきたとこなのに……!  てか、もう帰りたい……涼弥に……ちゃんと謝りたい……。 「そっちの部屋で話を聞いてくれ。南海にもな」 「りょーかい」  瓜生の指示で、坂口が南海を連れて暗室の外へ。  水本と桝田がすぐそこにいたら、涼弥の怒りがまたマックスに……。 「大丈夫だ。早瀬。向こうで話はつけてある」  上沢から救いの言葉が。 「そう……か。お前が涼弥を解放……」 「してからが大変だったぞ。あいつ止めんの。仕方ねぇから、一発ずつは殴らせたけどよ」 「お前じゃなきゃ無理だったな」  ほんとに……って。あ! 「俺に電話したのか?」 「タイミングいいだろ。(じゅん)が選挙立候補者の写真撮影の予定上げにここ来たら、南海がいて……桝田の様子がおかしかったんだと」 「で、お前に?」 「何かやるなら今日かもしんねぇ。早瀬が校内に残ってんなら、どんな誘いにも乗るなって言っとけってな」 「ありがとう……礼、伝えといて。江藤にも」 「おう。俺はそろそろ行くぜ。あれ……まだ全然平常心じゃねぇよな。このあと、大丈夫かお前?」  俺と上沢の視線の先で、仏頂面の涼弥が瓜生の質問に答えてる。 「うん。俺のせいだから」 「そりゃそうだ。まぁ、間に合ってラッキーだったな」  手遅れだったら今頃……やめよう。考えたくもない。 「お前も、普通にしてるが……けっこう堪えてんじゃねぇか?」 「ん……でも、大丈夫だ。涼弥がいる」 「そう言えんのは羨ましいぜ」  上沢が、らしくないやさしげな笑みを浮かべた。 「圭佑(けいすけ)! この二人はちょっと協力してくれただけって、南海が言ってる。すでに杉原に一発もらってるみたい」 「そうか。早瀬」  坂口の話を受け、瓜生が俺を呼ぶ。 「はい」 「お前がいいなら、これで終わりにするが」 「いいです」  即答する。  チラリと見た涼弥は、反論しなかった。 「わかった。お前たちは先に行け。上沢も」  瓜生にお辞儀をして。上沢を先頭に、暗室を出る。 「絢によろしくな」 「和解成立って言っときます」  聞こえた水本と上沢の会話。  和解って……涼弥と? したのか? 「嬉しいか、杉原。瓜生のおかげでそいつ、無傷でよ」 「……黙れ」 「南海にゃ悪いが、あのままやってお前に半殺されりゃ寝覚めが悪いとこだったぜ。お互い、よかったなぁ?」 「どの口が言いやがる。もう一発……」 「やめろ。帰るぞ」  俺が止める前に、上沢が涼弥を前に押しやる。 「早瀬」  後ろで瓜生が呼んだ。  振り向くと手招きされ、暗室の入り口へと戻る。 「先に忠告するが……間違っても今、礼なんか口にするなよ」  俺にしか聞こえないだろう声で、瓜生が言った。  は……!? 「誰に……?」 「桝田が俺に電話してきた。急いで写真部に行ってくれ。南海が2年生をレイプしようとしてる……と」 「え……?」  思いがけない事実に目を瞠る俺に。 「友達を裏切ってお前を助けた。だからと言って許す必要はない。ただ、あいつにしては必死だったからな。お前に知らせておくのがフェアだろう」  続けた瓜生の言葉が頭を巡る。  俺を助けた……。     「これからは、もう少しガードを上げたほうがいい」 「はい……」  無意識に頭を下げ、暗室に背を向けた。  開いたドアを支えた涼弥が、俺を待ってる。  部室にいる4人が、俺を見る。 「もう騙されないようにねー」 「はい」  陽気に手を振る坂口。水本は無言。南海がごめんねと呟いた。  目が合った桝田は、ほんの微かな笑みを見せた。  ありがとう……。  口に出さずにそう言って、写真部を後にした。  騙すヤツは当然悪いけど。騙されたほうに罪はない、なんて思えない。  自分の甘さが招いた今日のこの事態で、大切な人間を苦しめた俺。  二度とないって……誓えよな。

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