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第5話

 二十一時を過ぎた頃、部活が終わった秋穂と仕事を終えた夏生の母親が帰ってきた。 「おかえり。冷蔵庫にアイス」 「うす」  秋穂はこの一家の中で一番寡黙だ。臭いと噂の剣道部だが、実は秋穂ファンは多い。硬派なスポーツ男子にときめく女子も多いのだ。  夏生の父親は閉店後もアシスタントの練習をみていることが多く、いつも帰りは遅い。しかし塾が終わった冬聖が先に帰宅して、リビングは突如にぎやかになった。 「柚月、部屋いこ」  人口密度が高くなった部屋から、夏生が俺を連れ出す。二階は階下と違って、気温が低い。 「寒っ!」 「ゆづ、エアコン」 「はいよ」  俺はエアコンの暖房をつけた。夏生の部屋はこたつがない。というか、エアコン以外の暖房がない。エアコンがきいてくるまでが寒いのだ。 「夏生も入れば」  俺はすみやかに夏生のベッドにもぐり込んだ。  もう五年近くも通い続け、ほぼ俺の部屋と化した夏生の部屋。本棚には俺の漫画が差し込まれ、クローゼットには俺のお泊まりセットが常備されている。 「おじゃましまーす」  夏生の方がまるで『お客さん』だ。俺の横に潜り込んだ。  夏場はさすがに暑いから、もう一組布団を用意して別々に寝転ぶ。しかし冬は人肌が気持ちよくて、この狭いベッドでいつの間にか一緒に眠ってしまう。そんなことが当たり前になり、冬場の客用布団の出番はなくなった。  ただ枕だけ、いつも俺のものが夏生の枕の隣に置いてある。 「夏生、テレビ」 「ドラマ?」 「うん」  夜も更けてくると、余計な言葉がなくてもだいたい通じる。疲れて無駄なことは喋りたくないっていうのもあるけれど、短い言葉で全部分かり合えるのがすごく心地良い。  テレビに向かって寝転ぶと、夏生は邪魔にならないように俺の背後──壁際に横になる。背中に自分以外の体温を感じて、その温さにだんだんぼんやりし始める。 「柚月、足冷えてる」 「ん……」  夏生のふくらはぎの間に、冷えた俺のつま先が挟まれる。ずいぶん昔、幼稚園に通っていた頃、母ちゃんがやってくれたみたいに。 「スリッパ履けばいいのに」 「スリッパ嫌い。夏生、母ちゃんみたいだな」 「母ちゃんじゃない。『心配性の彼氏』みたいじゃない?」  さっきふざけて言い合ったカレカノ設定が再び持ち出された。ていうか、俺は『彼女』じゃないからな。  言い返してもよかったが、夏生の体温があまりに気持ちよくて、俺は少し眠くなっていた。そうなると反発する気も失せてしまう。 「……じゃあ彼氏として、俺の足をしっかり温めろ」  夏生は何も言ってこない。しかし俺の体は、背後からきゅっと優しく抱きしめられた。 「夏生」 「ん……?」 「なんだこれ」 「『彼氏』でしょ……」 「ふうん……?」  よくわからないが、とにかく温い。心地良い。  こいつは彼女をこんなふうに優しく抱きしめるんだ、と思った。 「今までの彼女にもこんなふうにした?」 「しないよ。柚月が初めて」 「へえ」 「……好きだよ」  耳元に熱い吐息がかかった。俺は弛緩しきっていた体を、小さく震わせた。 「なにそれ……」 「もしも、彼氏と彼女だったら……こんなふうにかな、と思いました……」  なるほど。カレカノごっこか。 「じゃあ……、『俺も好きだよ』」 「えっ……」 「俺も夏生が好きだ。夏生といると楽しいし、落ち着く。だから一番好き……だと思う」  俺は場の雰囲気にのまれ、率直に好意を告げた。途端に、調子にのってとても恥ずかしいことを口走ってしまったと後悔する。 「ゆづ~~!!」  夏生は感極まったというふうに、ぎゅうぎゅうときつく抱きついてくる。そうかそうか、うれしいか。ならば、こんな恥ずかしいごっこ遊びに付き合ったかいもあるってもんだ。しかし。 「おい……」 「……ごめん」  なんだか知らないが、俺の行動は夏生のスイッチを入れてしまった。腰のあたり、布越しに夏生の硬直を感じた。 「て、めぇ……」 「ごめんね!? ほんとまじすいません!」  口では謝るくせに、俺を抱きしめる手が緩まることはない。 「てか、……暑くね?」  夏生の興奮があまりにも熱いせいか、寝具の中がもんわり熱くなってきた。 「あ、エアコン消す?」  いやいやいや、そういうことではなくて。おまえが俺から離れればいいのでは?  しかしそう指摘するのは、なんだか少しかわいそうな気がした。夏生のそこがそうなっちゃったのは、自分でどうこうできるものではない。俺と男だから、やましいことを考えなくてもそうなってしまう時がある。  でも友達の、しかもいつも一緒にいる親友のその反応がいたたまれなくて、俺は身動きひとつできない。 「ゆづ……」 「ん?」  見ていたドラマも来週の予告を流し、そろそろ眠さも限界になってくる。夏生といると心地よくて、いつも早くに眠くなってしまう。 「キスしたい」  しかし今夜は夢見心地をぶち破られた。 「はぁっ!?」 「えっと、だめだっけ?」  『だっけ』とは。逆にだめじゃなかったことがあるとでもいうのか。  俺はぐりんと夏生に全身で振り返った。 「おまえ、その……、興奮しちゃったの?」 「うん……」 「ええ~~!? なんでぇ~~!?」  俺はびっくりしすぎて、すっとんきょうな声をあげた。 「ゆづあったかいし……、抱き心地いいし……」 「えぇ~……」  こいつはなんでこんなにサラッと言えるんだろう。キスしたいなんて、そんな軽く。だって俺──、 「俺、まだ女子ともしたことがないのに……」  俺は泣きそうな気分で、己の身の純潔を告白した。 「俺も」  びっくりした。  何がびっくりって、夏生が誰とも経験してきなかったことだ。俺が知っているだけでも、夏生の元彼女の人数は片手では数え足りない。あんなにコロコロと彼女を変えていた夏生が、俺と同じ純潔くんだったとは。  あんまりに驚いたため、俺が開いた口を閉じられずにいると、「好きな子とじゃなきゃしたくないでしょ」と夏生は言った。 「え。ま、まさか……、好きな子って俺?」 「うん。どの女の子よりも、もちろんどの男子よりも、ゆづのことが一番好きだよ」  な、なんやて……? でもそれは幼なじみだから、他の子よりも特別に思えるのではないだろうか。  そして今めちゃんこムラムラしちゃってるから、なんとなくそんな気になっちゃっただけではなかろうか。  もちろん俺も夏生が好きだ。高校二年生の男子が言うのもマジヤバかもしれないけれど、今まで本気の本気で女の子を好きになったことがない。だからって男を好きなわけでもない。  当たり前のように可愛い女子を見れば付き合ってみたいなと思うけれど、結局夏生や他の友達といるほうが楽しくって、淡い恋心などどうでもよくなってしまう。  いやしかし、だからって……!! 「だめかな? 柚月……?」 「だめっていうか、変じゃね?」 「どうだろう……。でも、付き合ってなくてもキスだけする子達もいるんだって」 「なんだそれ……! ただれてんな!?」  俺は目をむいて驚いた。  間近に夏生の顔がある。入浴をすませた夏生は、いつも上げている前髪を下ろしていた。  前髪をポンパドールにしている夏生は、キラキラ王子様オーラがすごい。しかし前髪を下ろすと、ニコニコのたれ目が茶色い髪に隠れる。髪の隙間からのぞくその目は、昼間とは違って少し鋭く見える。少し悪い感じで、それはそれで恰好いい。  昼間には絶対見せないその顔をぼんやり眺めていると、『ふに』と夏生の唇がくっついた。どこにって、俺の唇にだ。  ほんの一瞬で離れたと思っているうちに、今度はそうっと優しく押しつけられた。 「んぉい……」  唇同士がひっついたまま、俺は文句をたれる。。 「ぅおれ、ぬぉ、はじめとぅえ、ぬぁんだけどぅぉ」 「……ぷはっ!! あははっ!!」  それは夏生の笑いのツボに、ちょうどはまったようだった。 「ちょっと……! キスしながらっ! アハッ! しゃべんなよー! あはははははー!」  妙な雰囲気は霧散して、夏生は腹を抱えて笑い転げた。笑い虫になってしまった夏生を見ていたら、俺も無性に笑えてきた。 「ひゃはっ……! うっせえ! おめえがいきなりするからだろうが! 夏生っ……、笑いすぎて鼻水でてっぞ!?」 「ゆづこそ……! 笑いすぎてよだれたれてんよ!? あは! あはははっ!」  二人して頭が変になったように大爆笑する。 「おめえら! うっせえんだよ!!」  春太がドアを思い切り蹴った。

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