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記憶がないんですけど

   自分がゲイだと自覚したのは高一の時。  内申に敏感だったこともあり態度は真面目で学業もそこそこ。そのせいか、大学を卒業したての新米担任に頼られていた。  ことあるごとに呼ばれ手伝わされる。でもその帰りにジュースやコンビニのスナックを奢ってくれる。少し強引で自信家でタバコを嗜む先生が、俺には大人の男に見えた。  高い身長、大きな手、広い背中。  これらに惹かれてしまうのは、きっと俺に父親がいないから。一種の憧れのようなものだと思っていた。    しかし、ある事件をキッカケに恋だと知ることになる。  ある日突然に、俺がゲイだという噂が広まったのだ。  誰が流したのかも分からない。ただ、時折俺を睨みつけてきた女子グループだろうと予想はしていた。きっと先生に構われている俺が気にくわなかったんだ。  すぐに収まるかと思っていた噂は酷さを増し、先生まで巻き込むことになった。  キスしてるのを見た。抱き合ってるのを見た。ヤってるのを見た。  全部嘘だというのに、真のように語られた。  そして、とうとうその噂に耐えきれなくなった先生は俺を突き飛ばし、俺を蔑むような眼差しで見下ろした。 『あの噂、本当だろ? ずっとそう言う目で見られてる気がしてたんだよ』  ――キモチワルイ。    そんな言葉を身に覚えのない俺に投げつけて、先生は俺から離れていった。  俺は泣いて泣いて、声がかれるくらい泣いて、何日も学校を休んだ。先生さえ傍にいて信じてくれたら、それで良かったから。  でも、皮肉なことに、その時俺は先生が好きだったのだと自覚した。無意識ながらも、先生が言ったようにで見ていたんだ。  先生に申し訳ないと思うことはあっても、恨むなんて考えられなかった。男が男を好きになるなんて普通じゃない。そんな普通じゃない気持ちを持った俺の方が悪い。  男性しか愛せない。そう知ると同時に、自分の想いは秘めておかなければならない、と俺は早々に悟ったのだった。 「紘希。どうした、ぼーっとして」  担任の顔をぼんやりと思い浮かべていると、藤沢さんが俺の肩を掴んだ。 「……別に」 「別に? 俺と一緒にいるってのに、他の男のことでも考えてたのか? ん?」  他の男?  え……、俺がゲイってバレてる?  いや、そんなわけない。ただの言葉の綾だ。  早鐘を打ち始めた心臓を何とか鎮めつつ、ビールを口に含んで平静を装う。 「藤沢さんには関係ないでしょ。俺が誰を想ってようが」 「つれないこと言うなよ。こうやって、酒を酌み交わす仲だろ?」 「奢ってもらえるのは助かりますけど、藤沢さんと仲良くなりたいなんて、一欠片も思ってませんから」 「そんなこと言うと俺泣くぞー」 「何言ってるんですか、大の大人のくせに」 「大の大人だって悲しいときゃ悲しいんだよ。ほら、コップが空いてる」  藤沢さんはビール瓶を持ち上げて俺に酒を呷るように促す。 「なぁ、紘希、冗談じゃなく、悩みがあるなら言えよ。少しでも話聞くからな」  こういうところだ。この人のズルい所は。  軽いかと思えば、こうやって大人な男の一面を見せる。 「今の所ないんで、結構です」 「ならいいんだ。お前、たまに考え込んでる時があるから心配になる」  神妙な面持ちで、俺のコップに豪快にビールを注ぐ。表情とやってることがちぐはぐで掴みどころがない。悔しいけど、そんな所もまた俺を惹きつけるんだ。  藤沢さんのお酌で、ほろ酔いの気持ちよさとちょっとした嬉しさが相まって、酒が進んでしまった。  俺も酒に弱い方じゃないし、ビールだって飲みなれてる。限界ぐらい知ってるし、飲まれることはない。そもそも俺を酔い潰したって誰の得にもならない。  ――ならないはずだった。 「おまえ、意外に強いのな」  そんな声が耳元で聞こえた気がして、俺はハッと目を覚ました。  自分のいる状況が掴めず、混乱しながら起き上がり、部屋を見渡す。  ほんのりと日が差し、程よい明るさに保たれた室内。物は多いが、整えられていて、居心地が良さそうな部屋だった。 「どこ、ここ」  そう呟いた後に、腰回りに人肌の温もりを感じて俺は下を向いた。  そこで愕然とすることになる。  俺は全裸で、その全裸な俺の腰に逞しい腕を回しているのが、これまた全裸の男。寝てはいるけど、確実にそれは藤沢さんの男前な御顔で――。  な! な! なんで!?  俺は悲鳴を上げそうな口を押えて、心の中で叫んだ。慌てて藤沢さんの腕を引き剥がして、ベッドから転がり出る。  しかしその時、それ以上に衝撃的な感覚が体を襲った。  それは、尻に感じる違和感。  俺は恐怖に駆られながらも、その違和感を確かめるべく、尻の割れ目に指を這わせた。すると、男同士の行為で使われる孔がぬめりを帯び、俺の指を軽く呑み込んだのだ。 「うそ、だろ」  尻を突き出して自ら確かめる姿は情けないものだったと思う。でも、それどころじゃなかった。  俺はハンガーにかけられたスーツとシャツを見つけ、大慌てで袖を通して、脇目もふらず部屋を後にした。 「ありえないありえないありえないありえない」  自宅に戻って、速攻でシャワーを浴びながら、俺は呪文のように呟いた。  藤沢さんもゲイだった?  婚約者の話を先輩たちが話してるのを盗み聞いたのに。  ……じゃあ、バイ? 「そうじゃなくって!」  肝心なのはゲイとかバイとかじゃない。藤沢さんと酔っ払った勢いで一夜を共にしてしまったことだ。 「何考えてるんだよ、男抱くとか……」  もう一度、自分の尻を触ってみる。間違いかと思ったけど、そこにはやはりナニかが入れられた形跡があった。  夢じゃないんだ……。  水に切り替え、頭から冷たいシャワーを浴びる。頭を冷やさなければ、動揺と混乱と上がってしまった心拍数は戻りそうになかった。  体が辛さを訴えてきたところで、流石に風邪をひくと湯に浸かり直したけど……。  浴室を出れば、スマホの通知ランプが点滅しているのに気付き、手に取る。いつものように画面を開いたところで、俺は固まるしかなかった。 『昨日無事に帰れたか? すまんな、すっかり酔っ払って途中から覚えてないんだ』  という、藤沢さんからのメッセージだったからだ。 「覚えてない……?」  あれは事故だったってことか? それなら好都合かもしれない。  酔った勢いで男抱くとか、藤沢さんの人生の汚点になること必至。このまま黙っておけば、藤沢さんも俺もWin-Winだ。 「無事に帰ってます……記憶飛ぶまで酒飲まないでください……っと」  そう返事を送り、やっと俺は肩の力を抜くことができた。 『無事で何より。今度からはちゃんと気をつけるしなー。じゃ、また週明けに』  すぐに返ってきたメッセージにも、何かを探るような雰囲気はなかった。 「本当に覚えてない、か」  でも、藤沢さんに抱かれたのは夢じゃなくて……。  俺、初めてだったんだよな。実は。  そういう相手を求める場があるのも知ってたけど、臆病な俺に行く勇気はなかった。誰彼構わず体を繋げたいって気にもなれなかったし、何となく別世界のように思っていたのに。  そうか、俺、藤沢さんと……。  全く記憶がないのは俺も同じだけど、さっき藤沢さんの肌の温もりを感じたのは紛れもない事実。  思わず顔がニヤけてしまう。素っ裸のまま、ゴロンとベッドに横になり、天井を無意味に仰いだ。

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