3 / 7

3

ほんの数ヶ月前まで、タクシーなんか乗ることもなかった。 移動はもっぱら原付か電車。バイト先の賄いや廃棄弁当で腹を満たして、先輩のお古の服とか貰って、ボロアパートに青町と二人。 青町が家賃を滞納して部屋を追い出され、俺のとこに転がり込んできたのが五年前のことだ。 一時的な居候のはずが、やがて家賃折半の同居生活となった。 当時俺たちは仕事が全然なくて、ネタを書いては番組のオーディションに行ったけれど、ほとんど箸にも棒にも、で。 それでも、俺たちが絶対に一番面白いって信じて、もがいていた。 そんな日々の中に生じてしまったバグだ。青町があんなことを口走ったのも、俺が応じたのも。 「俺な、ちょっと悩んでることあんねん」 その日は貰い物の酒を二人でちびちび飲んでいた。狭い部屋で無理矢理スペースを作り、折りたたみ式の卓袱台を出して。 缶詰の焼き鳥を割り箸でつつきながら青町は言った。 「ほんまはレキ君に聞いてほしいねんけど、でもなあ、レキ君ドン引きかもわからん」 「はあ? 何だよ。そんな言い方されたら聞かないわけにいかねーじゃん」 いつものほほんとして、本気で怒るのを見たことがない。ドッキリという名の悪ふざけで頭から墨汁をかけられても困った顔をするだけ。そんな青町の悩み。 俺は興味があったし、イジるネタになるかもしれないとも思った。今にして思えばあまりにも愚かしい。 酒を注ぎ足しながら「言えよ、ほら」とつつけば、比較的あっさりと青町は口を割った。話を切り出した時点で、ある程度は腹が決まっていたのだろう。 「俺、ゲイなのかもしれへん」 そう言った声は落ち着いていたが、手指は不自然にコップの縁を行ったり来たりしていた。 俺はといえば聞こえた言葉の意味が一瞬よくわからず、つまりは動揺していて、「ゲイ、……にん?」とクソなボケをかました。案の定青町は「つっまんな」と口元をひん曲げる。 「ゲイって、その、あのゲイ?」 「他に何があんのか知らんけど、男が好き、ゆー意味のやつや、俺が言うてんのは」 開き直ったらしい相方はきっぱりと言い切った。俺は回っていたはずのアルコールが全部一瞬で蒸発した気分になった。 だってお前、彼女もいたし、なけなしのバイト代で風俗行ったりもしてただろ、知ってんだぞ。この俺にドッキリでも仕掛けようとしてんのか、ポンコツのくせに。 言葉はいくつか浮かんできたが、全部喉でつっかえた。 ぽかんと口を開けたまま、何もそこから出てくることはなく、そんな俺の顔を眺めていた青町は、何を思ったかふっと目を細めた。 「レキ君のこと、可愛えなあ、思って見とる」 いつも凪いでいる青町の目の中に、人知れず燻る火種みたいなものを感じて、俺は思わず唾を飲んだ。数秒前まで考えもしなかった事態が起きている。 青町は、俺に欲情している。 突き放すのも流すのもたぶん簡単だったけれど、俺は青町を受け入れてみることにした。「ヤってみるか?」と言ったときの奴の顔は忘れない。俺だって自分で驚いた。 やり方とか準備とか、ネットで調べて。何でか自然と俺が女役ということで話は進んでいて。その間にも俺たちは酒をどんどん摂取して、どうにかこうにか準備を済ませて、実践した。 湿気た布団を一組だけ敷いた上で事に及んだ。 酩酊も吹き飛ぶほど痛くて、組み敷かれる体勢は屈辱的だったが、意外と鍛えられた青町の身体や快感に歪む顔を見上げながら得たのは、優越感以外の何物でもなかった。 そういう意味でも繋がったら、青町を完全に所有できると思った。 クソみたいな考えだなと自分でも呆れるけど、でもそのときは本当にそう思ったのだ。 ネタ書いてんのも俺、ヤらせてやってんのも俺。青町は俺がいないと駄目。俺のもの。 そういう関係になりたかった。 相方である青町を、俺は所有したかった。 それがやがて自分の首を絞めるとは思わなかった。

ともだちにシェアしよう!