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第5話「康臣の失敗」
清が慌てて玄関のドアを開け、飛び出す。
それを見送り「じゃあな」と言うとドアが閉まった。俺はそれを確認すると玄関で壁に寄りかかりズルズルと崩れ落ちる。
「くそ……失敗した……」
そう言って頭を抱えてしゃがみこむ。
なんとか誤魔化せるかと思って平静を保っていたのに、最後の最後で崩れてしまった。
気をそらせて誤魔化せたが、問題は何も解決していない。
俺は二日酔いで鈍く痛む頭を抱えながら、昨日のことを思い出す。
——清と酔った勢いでセックスしてしまった。
「こんなつもり、なかったのに……」
思わず泣きそうな声が出た。
俺はゲイだ。
気がついた時には性的対象が男だった。
思春期の頃はそれでそれなりに悩んだ事もある。
ただ、今はネットでもテレビでも情報が溢れている事もあり、それらを漁れば自分と同じ人間は沢山いることはわかり、そう長く悩むことは無かった。
今はそれを受け入れて、それなりに遊んだり適当に相手を探して、付き合ったり出来るようになった。
だから今までもそうして来たし、これからもそうするつもりだった。
それなのに——
「俺も仕事に行く準備しなきゃ……」
そう言ってフラフラとした足取りで立ち上がる。
でも、今日は休みたい。ぐしゃぐしゃと頭を掻きながらそう思う。
二日酔いだし体もだるい。
なにより昨日から今日のことを思い出すとなにもやる気が起きない。
酒癖が悪いという訳でもないのに、なんであんなことになってしまったのか——
「本当……何してんだ」
実は清のことは、トラックのトラブルで喋るようになる以前からから知っていた。
清が同じ地区に配属されてから見かけて、めちゃくちゃタイプだったから、それ以来目で追うようになったのだ。
男らしい顔の輪郭とか、たくましい眉毛とか通った鼻筋。黙っているとのちょっと強面なのだが、笑うと意外に可愛いとか。
なによりしっかりと筋肉のついた体が好みど真ん中なのだ。
たくましい二の腕とか厚い胸板、引き締まったお尻、全てが自分の好みだった。
俺としては職場に思わぬオアシスができた気分で、見かけた時は今日はいい日だと、一人でこっそり楽しんでいた。
だから、立往生して困っているのを見かけた時は少しラッキーだとすら思った。
顔もまともに見られないくらいドキドキしたが、困っているのにラッキーと思ってしまったことに罪悪感を感じて、俺はその後すぐその場を離れた。
その後、清が何日もかけて探して、話しかけてくれた時は驚いた。
それでも無邪気に感謝してくれる様子を見て。あの時、声をかけてよかったと思った。
その後、自己紹介をして仕事中でも会えば頻繁に話すようになって、ますます好きになった。
喋ってみたら、清は竹を割ったようにまっすぐな性格で素直で、よく笑うし見た目そのままに爽やかなやつだった。
一緒にいて楽しいし、素直に懐いてくる態度に、下心のある自分には少し罪悪感もあったけど。くすぐったくて、友達になれたことが嬉しくて。毎日、今日は会えるだろうかと考えるだけで楽しかった。
「……まさか、あんなとこで偶然会うなんて……」
俺はそう言って、洗濯機に入れた昨日の服を見つめる。
友達になれたのは純粋に嬉しかった。遠くで見ているのがせいぜいだったのにこんな風に喋れるだけでもラッキーなことだったから。
清のことは好きだが、両思いになったり恋人になれるなんて高望みはしてい。
清は明らかにノーマルな人間だ。以前、会話の中で昔彼女がいたような話しをしていたし、同種の人間はそれなりに分かるものだ。清には、明らかにそれは無かった。どう見てもノンケだ。
ノンケを好きになっても報われない、ゲイの間でもそれはよく言われていることだし、叶うなんて滅多にないことだ。
だから友達になれただけでも俺は満足していた。
だけど、気持ちは満たされても体は簡単に満たされない。だから、昨日はそれを発散しようと、ゲイの集まる界隈に出かけようとしていた。
適当に遊んでくれる人を探して、やり過ごそうと思っていた。
しかし、運が良いのか悪いのかそこに行く途中で清と会ってしまった。
しかもその日はいつもと雰囲気を変えた服を着ていた、夜の雰囲気に合わせたものだ、普通の服だと逆に浮くのだ。
だから声をかけられて正直、焦った。
でも、清は気にした様子もなくむしろカッコいいとまで言うから少し拍子抜けした。
食事に誘われた時は少し迷ったが休日なのに顔が見れた事が嬉しくて、俺は結局行くことにした。
今思えばそれがそもそもの間違いないだったのかもしれない。
食事は純粋に楽しかった。初めて見た私服にこっそりドキドキしたし、いつもと違うけど、カッコいいと言われた時は思わず顔が真っ赤になった。
仕事中に会ったとしてもこんな長く話せないし、お酒も進むと会話も打ち解けてきて。
気まずい気持ちも無くなってきた。
清も酔っていたのかいつもより砕けた態度に、さらに仲が良くなれた気がして嬉しかった。
そして楽しすぎてお酒も進んだ結果、飲みすぎた——
頭がふわふわして。店を出た後、何も考えずに部屋に泊まっていけと言ってしまった。
そこら辺から記憶が曖昧だ、何がどうなってそうなったのか断片的にしか覚えていないのだが、気がついたら腕を絡めて清とキスをしていた。
あの時は半分、夢だと思っていた、いつも考えていた願望が夢になって現れたんだと思った。
なんせ相手を見つけて発散しようと思っていたくらい、欲求が溜まっていたし。そのつもりで家を出たので準備も済ませていたのもあって歯止めになるものも無かった。
だけど途中でこれが現実ということに気がついて少し焦る。
しかし、そんな中途半端なところで止められるはずもなく。しかもめちゃくちゃ気持ち良くかったからどうにもならなかった。
清もなぜか積極的で、ガツガツ求めてくるから。最後にはどうにでもなれという心境になり、何度もしてしまった。
最後の方も記憶が曖昧で、いつ眠ってしまったのか覚えていない。
だから朝起きて、そのことを思い出して一瞬パニックになった。
なんとか誤魔化そうとなんとか平静なふりをしたが心臓はバクバク言っていた。
とは言え清の戸惑った顔や何か言いたげな表情を見るに、向こうはしっかり覚えているみたいだったが……
「清、絶対に引いてたよな……」
俺は頭を抱えてもう一度しゃがみこんで髪をかきむしる。
清が戸惑っているのはわかっていたが、取り敢えずこのまま押し通そうと思って、普通の態度をとった。
あの時、はお互い酔っていたのだし。ちょっとした間違いで済ませられるかもしれないと思った。苦しい言い訳にしかならないが、こちらが言わなければノーマルな男がわざわざ言ってくるとも思えなかった。
だから、食事をしたりしてなんとか誤魔化せるかと思ったのだが、キスマークの事を指摘されて動揺がピークに達した。
あの時、清はあからさまに固まっていた。きっと昨日の事を後悔したんだろう。
昨日の自分を殴ってやりたい。せめてキスしたあと、なんとか誤魔化せていれば。いや、家に誘ったのがそもそも間違いだったのだ、好きな男と二人っきりになって我慢出来るはずがなかった、あの事がなくても酔っていたし、何かしら変なことはしていた可能性はあった。
「っ……」
ジワリと涙が滲んだ。
ふらつきながらも、もう一度立ち上がる。
なによりショックなのは、もう普通に友達としても喋ることは出来ないだろうということだ。
向こうもおそらく俺がゲイだっていうことは気がついているはずだ。
普通(ノーマル)の人間はあんなにスムーズに男を受け入れたりできない。
清は俺がゲイだからってあからさまに差別したり馬騰したりはしないだろう。
そうでなくても男が好きだとわかった友達と、これから普通に付き合いを続けるのは難しい。
変に意識してしまうだろうし、少なくともこれまで通りではいられないだろう。
最悪、俺が清を好きだっていうことも気がついたかもしれない。
普通ならきっと距離を置く。
少なくとも俺が向こうの立場だったらそうする。関わっても得はないし、気を持たせるだけなら離れた方がいいと思う。
距離を置くのは簡単だ、同じ配送地域だからというだけで違う会社だし。
なによりもライバル会社でもある。
すれ違うことはあるかもしれないが、それだけだ。よく考えたら携帯番号も知らない。
相手はこちらの家のことを知っているが、こちらが知っているのは名前と仕事先ぐらい。
何もしなければ向こうには迷惑はかけない。
「……うん、そうだ。それでいい」
そうなんとか必死に気持ちを整理してみる。
とは言えそう簡単に落ち着くはずもない。せめて友達関係を維持したかったのに、昨日してしまったことは本当に後悔しかない。
しばらく後悔は消えないだろうし、きっと姿を見かけるたびに辛い気持ちになる。
今後、できるのは昨日のセックスを一生の思い出として大事に取っておくぐらいだ。
洗面台の前に立ち、清の付けたキスマークを指でなぞる。
「跡、しっかり残ってる……」
したことは後悔しているものの、昨日のセックスは本当に気持ちよかった。
初めてだと本能にまかせてガツガツ来て乱暴なやつもいるし、加減がわからなくて無理に突っ込もうとしたりすることもある。でも清は最初から最後まで優しくて気持ちよかった。
もう一度抱いてもらえるなら、何でも出来ると思うくらい本当に良かった。
好きな人だったからって言うのもあるだろうが、今までで一番体の相性も良かった気がする。
唇の感触や中に入って来た時の質量や硬さを思い出すと、それだけで体が熱くなってしまう。
「……我ながら、見苦しいな……」
向こうからすればこんな風に思い出されて迷惑かもしれない。
それでも、忘れる事は出来そうにない。
苦笑しながらも、食器を片付け着替える。
クシャクシャになったベッドのシーツが目に入る。
そこには昨日の行為が如実に残っていた、洗濯しないといけない。
「うわ……」
シーツはゴムもつけずにしてしまったから、乾いてガビガビになっている。
お酒で前後不覚になっていたとはいえ呆れる、それでもローションはしっかり使っているのだから始末にを得ない。
清の匂いが残るこのシーツを洗ってしまうのはなんだか勿体ない、洗った方がいいのはわかるけどせめて昨日の証を残しておきたいと思った。
それでもなんとかシーツを引き剥がし、洗濯機に入れると新しいものに付け替えた。
「帰ったら洗おう……」
俺は言い聞かせるようにそう言って、仕事に向かった。
——その日は、一日中最悪の気分で仕事をしていた。。
昨日のことが尾を引いていたのもあるが、清とは会わないようにと気を張っていたので仕事に集中出来なかった。
いつもなら、会えそうな場所や時間を意識して通るのだが、今日はできるだけ避けたからだ。
似たシルエットのトラックを見つけるたびに気もそぞろで疲れた。おかげで何度か届ける場所を間違えかけてしまった。
それでもなんとか仕事を終え、最後の荷物を届けると少し気分が持ち直してくる。
トラックの荷台を閉め一息つく。
後は集荷場に戻って帰るだけだ。
運転席に座ると俺はこっそりため息を吐く。
しかし、しばらくこんな日を続けなければならないのかと思うとまた気が重くなる。
部屋に帰っても、昨日のことを思い出して眠れる気がしない。
いっそのこと、また飲みに行って誰か適当に相手してもらおうか。何もかもわからなくなるまで飲んで、セックスでもすれば昨日の記憶は上書きされる。
「……でもせっかくの清の感触まで消えてしまうのは嫌だな……」
そう呟いて、女々しい自分の考えにさらに落ち込んだ。
せめて記憶が無くなるぐらい飲むくらいでおさめようか。明日に響くかもしれないが今日くらいは許されるだろう。
やけくそ気味にそう考えてエンジンをかける。
その時、後ろの車にクラクションを鳴らされた。驚いて周りを見渡す、クラクションを鳴らされるようなことをした覚えがない。
するとコンコンと窓をノックされる、見るとそこには清がいた。
「良かった、やっと会えた」
慌てて窓を開けると、清は笑ってそう言った。
まさか、こんな風に笑いかけられるとは思っていなかったから動揺する。
「あ、ああ。今日はちょっと忙しくて……なんか用か?」
なんとかそう言うが、少しどもってしまったし、目が泳ぐ。
これは想定してなかった。
清は何もなかったかのよう話す。
「もしかして、仕事まだ終わらない?」
「いや、終わったけど……」
そう言うと清は少し目を逸らし「じゃあ今日も飲みに行かないか?」と言った。
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