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第4話
しばらくコミック棚の補充をして王子の来店を待っていたが、待てど暮らせど彼は姿を現さない。こんなに時間が経つのを遅く感じるなんて、まだかまだかと待ち続けて時計の針は午後六時を過ぎてしまっていた。
今日は一時間近く早く出勤したため、そろそろ由幸は仕事を上がってもよい時間だった。それでも帰る気になれず、コミック棚の補充を続ける。
いつもなら夕方五時頃現れるはずの待ち人は、もしかしたら他の書店で購入してしまったのかもしれない。
その可能性に思い当たり、取り置きしていたコミックを売り場に戻して帰ろうか、そう思って腰を上げた瞬間だった。
キュッ、キュッ、キュッ──
スニーカーの裏で書店の床を鳴らしながら、ついに王子がやって来た。
「来たっ……」
由幸は彼の動きを目で追った。
いつもと同じく、王子は脇目も振らずBLコミックの売り場へ足早に直行すると、鬼気迫る表情でじろりと新刊の平台を見た。しかしそこに彼の目当てはないようで、今度は『今月の新刊』と貼り紙がされた棚へとまわる。
その棚は書いてある通り、平台から撤去されたり入荷冊数が一、二冊しか入って来なかった今月の新刊が出版社で纏められて差さっているのだ。
王子はその棚を上から下までゆっくりと確認し、また平台の方へと戻った。そしてじっと新刊を見つめていたが、急にしゅるしゅると気が抜けるように肩がどんどん下がっていく。
がっくりと猫背になるのを見て、やはりあの新刊を買いにきたのだと由幸は確信した。
先ほどまで力強く床を踏み歩いていた足は、とぼとぼと頼りなく再び新刊の平台へと戻った。どことなく全身の力が抜けきった様子で、本日発売の他のタイトルを一冊手に取る。ぼんやりとしたその横顔に、由幸はコミック売り場のレジへと急いだ。
客注棚から新刊を抜くと『おおじ様』と書かれたメモを外し、足早にBLコーナーへと戻った。
「あの」
誰かに声をかけられるとは思っていなかったらしく、由幸の声に王子はビクッと大きく肩を揺らしキョロキョロと辺りを見回した。
しかし今、この一角には由幸と王子しかいない。
「あの、これ」
「あっ!」
王子は由幸の手元を見て目を見開いた。さっきまでとは打って変わり、王子の瞳に生気が戻る。
「その……、最後の一冊だったから……」
由幸がコミックを差し出すと、王子は驚いた顔で由幸を見た。
自分でもちょっとやり過ぎだと思った。面識のない書店員に、客の趣味を把握されているなんて気持ちのいいものではないだろう。
アルバイト時代、交代でレジに詰めていた頃は、なんとなく常連客の好みを把握していた。この人は鉄道雑誌を買いに来る客だとか、この人はラノベの発売日に朝一でやってくる人だ、とか。
でももし自分がBLコミックを愛読していて、特定の、このタイトルの新刊をきっと買うはずだろう、なんて書店員に予想されているなんてものすごく嫌な気持ちになるだろう。
もうこの子はここへ来なくなるかもな……、やってしまったことを心の中で猛省していると、王子が口を開いた。
「ありがとうございます!」
明らかに喜んでいる声に、由幸は下がり始めていた顔を上げた。めちゃくちゃ嬉しそうな笑顔が由幸に向けられている。
「なんでこの本探してるの、わかったんですか?」
ぱっと大輪の花が咲くような笑顔。
由幸は初めて王子が笑うのを見たのだった。黙って本棚を見つめている時にはクールで少し気品を感じさせる顔立ちが、笑うとこんなにも年相応な笑顔になるなんて。いや、まあ……、彼だって普通の高校生なんだけど……。
「その……、自分、コミック売り場の担当で、この間お客様が既刊本まとめ買いしてくれてるのたまたま見て……。えっと、今日もきっと買いに来てくれるのかな、なんて思って……。あっ!あと、今日の新刊、ペーパーついてるんです。だからかもしれないけど、すごく売れるの早くって!だから、その、取り置きしなきゃって思ったっていうか……」
しどろもどろになりつつ説明していると、もしかして俺、ストーカーみたいじゃね?なんて思えてくる。何だか、前回の来店時から君の行動を観察してました、と告白しているようなものだ。
観察していたわけではなく、自然といつも目が彼を追ってしまっていたわけなのだけれど。
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