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第8話
ビルから出ると急に空腹を感じた。自活を始めるようになってから夕飯はパスタや丼ものなど簡単なものを自炊するようにはなっていたが、今夜は朝の大量入荷が体に響いて夕飯を作る気になれない。
すぐに食べれるものを求め、駅前の牛丼屋によって帰ることに決めた。
「あ」
扉を開いてすぐにある食券機の前に奏が立っている。
「あは。さっきぶり」
「へへ。ども」
なんとなくカウンター席に並んで座る流れになった。席に腰掛け、由幸は手に持っていた青年漫画誌を卓上に置いた。帰り際、書店で購入したものだ。
「はっ──」
隣で息を飲む気配がして振り向くと、奏の視線は漫画誌の表紙に注がれていた。由幸もつられて表紙を注視する。
人気のアイドルグループのセンターメンバーたちが笑顔で整列していた。若い男の子のファンも多いアイドルで、もしや奏もファンなのかと思い、雑誌を奏に差し出した。
「読む?」
そのタイミングで注文の牛丼が置かれたが、奏は丼に手をつけず、雑誌をパラパラとめくる。カラーグラビアのページはすっ飛ばし、漫画のページを探す手つき。
「何か続きが気になるやつ、あるの?」
由幸の声に、奏はハッとして顔を上げた。
「えっと、この作家」
閉じた表紙の片隅に『新連載』と書かれた部分を奏は指さした。どんな作品を書いているかは思い出せないが、なんとなくその名前に見覚えがある。
「この人、BL漫画書いてるんすけど、SNSで青年誌の新連載、予告してて……」
BLと聞いてやっと思い出した。BLジャンルではとても人気のある、新刊入荷数の多い作家だ。なるほど、と奏を見たが、どうにも解せない微妙な表情をしている。
奏は雑誌を横によけると、ものすごい勢いで牛丼をかき込み始めた。まさに牛丼屋のCMのように、ガツガツと男らしく箸を動かしていく。ものの数分でさっさと完食すると箸を置き、すうー、と息を吸って雑誌のページをめくりだした。
由幸があっけにとられつつ牛丼に箸をつける横で、奏はじっくりと一ページ一ページ、検閲するかのように読んでいる。いつもと違う鬼気迫る横顔に怯みながら由幸は、無言で牛丼を口に運び続けた。
最後のページを読み終えると、奏は「ああ……」と感嘆を吐いた。
「面白かった?」
まだ今週号を一ページも読んでいない由幸は、なにげなくそう尋ねた。
なにげにそう尋ねたのが悪かった。
奏はにやりと口端を上げると、息つく暇もなく言葉を発し始めたのだ。
「俺っ、この人が青年誌で連載持つって知って、まじふざけんなしっ! って思ったんす! だってさ! 本業のBLもまだ完結してないのになんで新連載? しかも非BLとか! 向井さん、知ってます!? BLの続刊って一年に何冊も出ないんすよ!? 週刊の少年漫画みたいに三ヶ月とか四ヶ月に一冊出ないんすよ!? 下手したら次の巻出るまでに一年とか二年かかるんすよ!?」
「へっ? へ……、へえ~……。そうなんだ……」
「そっす! なのにさあ……! そんなもん書いてるならさっさと今のカプ、いちゃこらさせるべきだろって思うじゃないすか~~」
「う、うん~~?」
「BL作家のくせに、ほんとは普通の漫画書きたかったんかい! って! でも、でも……、やっぱ違いました……。この新連載、上辺はただのバディものだけどちゃんと読めば俺には見える……。彼らの秘めた胸の想いが……。メインの男二人がやっぱBL臭 すごくて、このアイコンタクトのシーンなんて、いつもはライバル意識ビシバシのくせに本当はお互いを信頼しきってるっていうか、俺にはお前しかいないぜっ! ていうか……。二人だけの特別感っていうんすかね。見える……、俺には見える……」
ぶつぶつと、見える見える、と繰り返す奏は、路地裏の怪しい占い師のようだった。奏のあまりの変貌ぶりに、由幸が何も言えず固まっていると、奏はかっと目を見開いてはっきりと言った。
「絶対にこの二人、デキてます」
こわ……。
これが噂の腐男子か。
「こちら、大盛りつゆだくになりま~~す」
煌々と明るい店内に店員ののんきな声が響き渡ると、奏はハッと『あっち』から現実に戻ってきたようだった。
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