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第20話

「後藤だけど、サンボンネットスー、取ってくれてある?」  受話器に手をかけた瞬間、当の後藤が来店した。 「あっ。は、はい」  レジに入っていたバイトの子が目で助けを求めている。 「あの、後藤様……」  由幸は後藤の前へ進み出て深々と頭を下げた。 「申し訳ございません。こちらの不手際で今日発売した分を他のお客様に売ってしまいました」 「はあ?」  後藤が受け取りに来なくて入荷が止まってしまったと嘘をつくのは簡単なことだ。でもそれはサービス業として誠実ではないと、由幸は必死に後藤に頭を下げた。 「他の客に売ったって……。あなた! 私がどれだけここで買っているかわかってるの!?」 「はい、それはもちろん。本当に申し訳ございません。すぐに取り寄せいたしますので」  ブックトラックに出しっ放しにしていた子も、フリーターの女の子もレジから出てきて由幸と一緒に謝ったが、後藤の怒りはおさまらなかった。目の前で出版社に電話をかけることを強制され、由幸が電話をかける。問屋への搬入は明後日、一週間以内には書店に入荷されることを後藤へ告げると、呆れたように見下す視線を投げかけられた。 「私、足が悪いの。なのにわざわざここに来て買っているのよ。しっかりしてちょうだいね」 「はい。大変失礼いたしました……」  たまっていた定期分を購入し、後藤は店を出て行った。  足が悪ければネットで注文すればいいのに。他所で買ってくれないかな──。  この店を選んで購入してくれている客に対して、思ってはいけないことを考えてしまう。アルバイトの頃はトラブルは全て社員が解決してくれた。今、それらの面倒ごとは由幸の仕事だ。  仕事を終えビルを出た瞬間、無性に奏に会いたくなった。  一日中、朝の出来事は由幸の気持ちを重くさせていて、そんな時頭に浮かんでくるのはなぜか奏の顔だった。  ふう、と重い息を吐き、奏のバイト先へと足を向けた。もしかしたらバイト中の奏の姿を見られるかもしれない。奏の姿を一目でも見れば、なんだか元気が出るような気がする。  奏がバイトをしているファストフード店は全面ガラス張りの二階建て。店内の明かりが煌々と夜道を照らしている。  ふと、由幸は店の二階へ視線を上げた。外から丸見えのカウンター席に学校の制服姿の奏がぼんやり座っている。  由幸は急いで入店して、すぐに出てくるホットコーヒーを注文した。紙コップを手に二階へと続く階段を上る。 「八千代くん!」  声をかけて、もしかして誰かと待ち合わせだったのかもと思った。ぼんやりと外を眺める顔は、誰かを待っていたようにも思える。 「あっ! 向井さん!」  にへら、と笑う奏に、軋んでいた気持ちが緩くほどける。 「こんばんは。ひとり?」 「はい。ひとりです。てか、俺さっき本屋行ったんですけど、向井さんお休みでした?」 「いや? いたけど……」  接客する気分になれず、今日はほとんどバックヤードで雑用をこなしていた。どうやらその間に奏は書店に訪れていたらしい。 「八千代くん、誰か待ってた?」  待ちぼうけをくらったような顔をして通りを眺めていたのを思い出し、由幸は尋ねてみた。 「待ってたっていうか……。どうしよっかなって感じで」 「ん? どうした?」 「それが今日、うちの親、二人で旅行に行っちゃったんですけど、俺、すっかり鍵持って出るの忘れちゃってて。うち、妹がいるんですけど、あいつ、今日は友達んちに泊まるって、何度メッセ飛ばしても全然既読つかないし……」  だから迷子みたいな顔をしてぼんやりしていたのか。じゃあ、と由幸は身を乗り出した。 「うち、来る?」 「え?」 「や……。八千代くんさえ良かったら、今夜、うち、泊まってもいいけど」 「まじすか!?」  由幸はうん、と頷いた。  正直に言うと、今夜はひとりにはなりたくない気分だった。嫌な気分を家にそのまま持ち帰りたくなくて、しかも明日の土曜日は由幸の定休だ。久しぶりににぎやかな場所に出かけて、後腐れなさそうな女の子を誘ってみようかとすら思っていた。  社会人になってから恋愛からは面倒くさいと疎遠になっていたけれど、女の子と抱き合うのが嫌いなわけではない。今の由幸を慰めてくれる相手なら一夜限りの関係のほうが絶対に楽だ。

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