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第44話
「俺、もうBL読むのやめたんです」
「え」
今日一番の衝撃かもしれない。あれほど奏が愛してやまないBLだったのに、ちょっと会わないうちに読むのをやめていたなんて。でもそれがなぜ由幸に関係あるみたいに言うのだろう。
「俺、怖くなったんです。この間、向井さんに言われて……。やっぱり男のくせにBL読むなんておかしいんだって思ったら、今まで俺が向井さんにしてきたこと全部が恥ずかしくて。だから向井さんからのメッセージなんて見れなかった」
「そんな……」
誤解だ、と言いたいのに喉の奥が張り付いたように声が出ない。
誤解なんだ。自分を保身するあまり、奏のことを傷つけた。奏のことをおかしいなんて思わない。それどころか、おかしいのは──。
「おかしいのは俺だよ」
出す声が掠れていた。上手く伝わるかはわからないが、それでもこれ以上奏のことを傷つけたくない。だから言わなければ。
「好きです。八千代くん、好きだ」
奏は瞬きを忘れてしまったかのように由幸のことを見ていた。今の自分がどんな顔をしているのかわからない。きっとあのゆがんだスマイルマークみたいになっているだろう。
「俺なんかリアルにガチでBLなんだから……! 俺、いつの間にか八千代くんのこと、好きで好きで……。俺の方がよっぽどおかしいだろ」
涙が頬を伝っているけど、一生懸命笑った。胸の奥がぐつぐつと、まるで熱の塊が煮立つように熱い。熱くて熱くて、怒りに似たグチャグチャのみっともない気持ちでいっぱいだった。
腹が立つ。何に? 勝手にいろいろ誤解した奏に? 女子というだけで彼に告白する権利がある奏の同級生に? 可愛く奏を誘っていたあの女の子に?
奏にこんな想いを持ってしまった自分に。
「ごめんね。帰ってくれるかな」
由幸は立ち上がり廊下へ続く扉を開いた。みっともなさすぎて視線は下がりっぱなしだ。ただじっと自分の足のつま先を凝視した。
しかしいくら待っても奏はソファーを動こうとしない。しびれをきらし、由幸はそっと奏の方へ視線を移動させた。
「ねえ、向井さん。これ、向井さんが買ったんだよね」
奏はテーブルの上に置きっぱなしになっていたBLコミックを手に取った。由幸が無言でいると、奏は勝手にそれを読み始めた。
「向井さんはこれ読んでどう思った?」
由幸の方なんかちらとも見ず、奏の視線はずっとページに落とされている。
「作り話だと思った」
「そうですか」
それきり奏は無言で最後まで読み切った。本をテーブルに戻し立ち上がると、由幸の方へ近づいてくる。
ああ、帰るんだ。本当にもう帰っちゃうんだ。
自分から帰れと促したくせに、もうきっと奏がここに来ることはないと思うと引き留めたい気持ちでいっぱいだ。もう二度と会うことはないのかもしれない。奏の顔から目が離せなくなった。
やっぱり相変わらず王子さまみたいだ。こんな時でも凜とした立ち姿、ちょっと会わない間に少し大人っぽくなったかもしれない。
じゃあね、と由幸は言おうとした。また今度の約束は交わされないだろう。
「んっ──」
唇を開いた瞬間、奏にそれは塞がれた。
キスされている。
少し遅れて自覚した。今、奏にキスされているのだと。奏は何度も角度を変え表面に触れるだけのキスを繰り返した。
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