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第46話
9.
翌日から奏はまた売り場に姿を現せるようになった。今度は由幸の方が奏のことを無視している。
気がつけば背後に奏がいたりして、ものすごくギョッとなる。奏の姿を見るたびに由幸はさっさとバックヤードに引っ込んでいた。
「向井さん。八千代くんと更に何かありましたね」
上野は悪気なくそんな質問をぶつけてくる。期待たっぷりの声に、心の底からげんなりする。
「別に」
「え-。絶対嘘だあ」
そっけなくやり過ごそうとするが上野はしつこく粘ってきた。
「嘘じゃないよ。からかいに来てるだけでしょ」
「でもでも、八千代くんまたBL、大人買いしていきましたよ」
そうなのだ。最近奏はまたBLコミックを買って行くようになった。由幸におかしいと思われるのが、などと言っていたが、もう何をどう思われても良くなったのだろう。
「あのですね、八千代くん、最近は年下攻めがお気に入りみたいで。向井さん、絶対狙われてますよ」
ふふふ、と上野はなぜか嬉しそうに笑った。
しかし由幸はどんどん嫌な気持ちが膨らむ。あれほど由幸のことを怒らせたくせに、奏はまだBLごっこをしようというのか。
年下攻めというシチュエーションに自分達を、由幸の気持ちを重ね合わせて。酷く馬鹿にされているのではないか。
いつまでもバックヤードに逃げこもっているわけにもいかず、由幸は売り場へと戻った。明日はクリスマスイブ。夕方頃からクリスマスのラッピング包装が増えた。どの人も明日の休日を楽しみにしているように見える。
しかし由幸にとってはいつもと同じ土曜日だ。一日中引きこもって寝ていよう。もう疲れた。
帰りに明日の分の食料も買っていかなければ、ぼんやりしながらビルを出た。夏はエコとか言って弱冷房のくせに、冬はガンガンに暖房をきかす職場のビル。ビルの外の寒さは火照った頬に気持ちがよかった。
「つかまえた!」
背後からグッと腕を掴まれ、振り向くと奏が白い息を吐いていた。店内だとすぐに奥に引っ込む由幸を、ビルの出入り口で待ち伏せしていたらしい。
鼻の頭が寒さで赤くなっていて、キュッと罪悪感に胸が痛んだ。
「何か用?」
それでも苦々しさを含ませた声を出した。これ以上、奏の遊びにつきあうつもりはない。
「今夜、泊めてもらえますか」
「は? やだよ」
もう意味がわからない。これほど由幸に避けられているくせに、由幸の気持ちを知っているくせに、なぜ泊まりたいなんて言うのだろう。
「でも俺、泊まるって言って出てきたし。明日向井さん休みでしょ。お願いします」
奏は由幸の腕をつかんだまま離そうとしない。ビルから出てくる人達がチラチラと横目で見て帰っていく。
「逃げないから。離して」
由幸は諦めのため息をついた。さあ、これからどうしよう。奏を部屋に泊めるのは無理だ。まだ気持ちに整理がついていない。しかし奏は意地でも由幸を話さないだろう。
由幸は仕方なく奏を連れて帰路についた。
こんなに腹を立てているのに、今も奏のことが好きだ。
部屋に入った瞬間、ふっと突然顔に影がかかった。
「んっ」
また奏にキスされていた。今度はすぐ様由幸から顔を離す。
「いい加減にしろよ……! 好きでもないくせに……キスなんかするな……!」
悔しい。自分ばっかり奏に振り回されて悔しい。もう二度と顔なんか見たくない。BLごっこはよそでやってくれればいい。
必死に睨みつける由幸を、奏はじっと見つめている。鼻の頭とほっぺたがほんのり赤くなっていた。
「好きですよ。俺、向井さんのこと、好きですけど」
スラッとなんの躊躇も戸惑いもなく奏の口から出た言葉。でもそれは、友達のことが好き、家族のことが好き、そういう親愛の好きと同じに聞こえる。
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