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第50話

「うーん……、ねむ……」  奏はあいかわらず糸目のままで器用に障害物をよけダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。つい最近まで由幸の部屋にはなかった二人向けのテーブルと椅子。それを由幸は奏の進学を機に買ってしまったのだ。  一人暮らしなら必要ないと思うけど、この部屋で奏が朝を過ごす日が増えるのなら。家具を買い足すということは由幸にとってかなりの一大決心だった。  このテーブルと椅子を使うたび、由幸の心はなんだかくすぐったくなる。やっぱり買ってよかったな、と奏と朝食を共にするたびに思う。 「向井さん、今夜待っててもいい?」  やっと半分ほど開き始めたまぶたの奥から、奏が一生懸命由幸を見ている。こんな油断しきった表情が見られるのも恋人ならではの特権だ。 「いいよ」  由幸は笑って頷いた。それを確認するとまた眠そうによぼよぼと、奏のまぶたは落ちていく。  大学生になった奏は以前に増して時間を自由に使えるようになり、時々由幸の仕事が終わるのを待ってくれる。待ち合わせ場所はいつも奏のバイト先。  頻繁に奏と待ち合わせている由幸の顔を、その時間帯のアルバイト達はすっかり覚えてしまったようだ。道でばったり会うと挨拶を交わすほどに。  今まで書店しか接点のなかった自分達に共通の知り合いが増えていく。まさか奏と由幸がつきあっているとは誰も思ってはいないだろうが、そういった小さなことが積み重なっていき、二人の交際は一見順風満帆のように見えるだろう。 「はあ……」  しかし由幸はいつもこっそりため息をつく。 「向井さん、俺、行くね」  朝食を食べすっかり身支度を終えた奏は玄関へと向かった。由幸は慌ててその後をついて行く。 「行ってらっしゃい!」 「ん」  このやり取りもお決まりだ。奏は催促するように少し唇を突き出す。 「うん」  由幸は微笑んで、チュッと音を立ててキスをする。すると奏は満足して、行ってきますと笑顔になるのだ。  玄関から奏がエレベーターに乗るまで見守ってから、由幸はやっとドアを閉める。にこやかに行ってらっしゃいを言っていた顔は、むうっと口をへの字に曲げたしかめ面になった。 「もー……。なんでかなあ~……」  ハア、と再び重たいため息がもれた。  朝食に使った食器を洗っていると部屋のインターフォンが鳴った。モニターを確認すると、宅配業者が小さなダンボール箱を持っている。 「あ、来た……」  由幸はドキドキしながらオートロックを解錠した。荷物は通販で購入した商品で『衣類』としか記載されていないにもかかわらず、それを受け取る時には羞恥から由幸は顔を上げることができなかった。  部屋に戻り忙しない手つきで梱包のテープをはがす。奏がいない時に届いてよかったと思う。箱を開くとすぐ『お買い上げありがとうございます』と書かれた明細書があり、それを確認してぐしゃりと丸めた。  黒い不透明のショップ袋に丁寧に入れられた注文の品。さっきよりも鼓動がうるさくなってきた。由幸は期待と後悔が混ざった変な気分で、その袋を開けた。 「うわー……」  思っていたよりもそれは小さかった。みよーんと左右に伸ばし、由幸は生唾を飲み込んだ。自分がそれを使用している姿を想像し、くらりとのぼせるような目眩に襲われる。  なぜ由幸がこんなものを注文してしまったのかというと、それは悩みに悩んでの決断だったのだ。

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