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第54話
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「すいません……。ちょっと、今、よろしいですか?」
売り場に立つ由幸に、中年の女性が声をかけてきた。
「何かお探しですか?」
にこやかにそう返すと、女性はほっと肩の力を抜いたように見えた。手には月に二回発売される料理雑誌を抱えていた。いかにも優しそうなお母さんといった雰囲気の女性だ。
「いつも息子がお世話になりまして……」
軽く下げられた女性の顔を見て、由幸は固まった。似ている。まさか。
由幸の動揺を見透かしたかのように女性は更に笑みを深める。
「初めまして。八千代奏の母です」
「あっ……! お母さん……」
接客スマイルを保てないほどうろたえてしまった。まさか奏の母親が突然売り場にやって来るなんて想像すらしなかったからだ。
「そのっ……。僕の方こそいつもお世話になってます……」
ぎこちない笑顔を作ってはみたが、服の下は一瞬にして冷や汗をかき始めた。この人は自分と奏のことをいったいどれくらい承知しているのか。
聞きたいけど絶対に聞けない。うっかりしたことも話せない。
「いつも奏がお邪魔してご迷惑でしょう?」
にこやかに笑いかけてくる笑顔の裏を、由幸は必死に探ろうとした。
「迷惑なんて全然ないです。僕も奏くんが来てくれると楽しいですし……」
知っているのかいないのか、奏の母親はじっと由幸の目を見つめて微笑んでいる。
「ご迷惑でなければ、これからも仲良くしてあげてくださいね」
「はい! もちろん……」
ほんの数分の立ち話の後、奏の母親は売り場を去って行った。姿が見えなくなってからもバクバクと激しい動悸はおさまらない。
「向井さん?」
アルバイトの子に不思議そうに声をかけられるまで、由幸はその場を動けなかった。
棚の補充をしている間もずっと脳裏に奏の母の顔が浮かび続ける。相手の親に会ってしまった時の対処法なんてBLコミックには載っていなかった。
「あのう……」
また声をかけられてハッとする。いちいち声がかかるたびにびくびくしていたら仕事にならない。由幸は気持ちを切り替えて笑顔で振り向いた。
あっと出かかった声を喉奥で押し留める。今回由幸に声をかけてきたのは制服姿の女子高校生だった。
面倒くさい子が来た。客の好き嫌いはしないように心がけているものの、やはり苦手な客というのはどうしても存在する。それでもそんな内心を表すことなく、由幸は作り笑いを浮かべた。
「いかがいたしましたか」
正直言うと、またか、と思っている。この春先からだったはずだ。彼女が由幸に声をかけてくるようになったのは。
「これ、探してるんですけど……」
彼女はうつむき加減で由幸にスマートフォンの画面を見せた。
「お探しします」
目的の棚で探してみるものの残念ながら、いや、案の定、在庫はなかった。
「お取り寄せになります」
一応パソコンで在庫を調べた。出版社の在庫は『有』となっている。
「内容を確認したいんですけど……」
女子高生は可愛らしいキャラクターのイラストがプリントされたメモをそっと差し出した。
「出版社に問い合わせしてみますか?」
由幸が尋ねると女子高生はやっぱりうつむき加減のまま、こくりと小さく頷いた。もう近頃ではお決まりのやり取りだ。出版社の受注センターにダイヤルすると三コールで電話は繋がった。
「お世話になります。書店です。お客様からのお問い合わせで出版物の内容を確認したいんですけど……」
ここまではいつもスラスラとお決まりのセリフをつっかえずに言える。こういう問い合わせは多々あるからだ。
今朝何チャンネルで放送されていた本とか、何月号か思い出せないけどこういう特集を組まれていた号が欲しいとか、ほんのちょっとのヒントを頼りに客の求めている本を探し出すのも書店員の仕事だ。
なのでこういった内容確認の電話も慣れっこではあるのだが。
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