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第58話
11.
今月は奏の好きなうさぎ国の王子様の続刊が発売となる。それに関して数ヶ月前、奏から相談を受けていた。
「これなんですけど」
奏のスマートフォンには新刊の告知ページが表示されていた。発売まで間だ三ヶ月もあるのに、すでにSNSでは情報が出回っていた。
「これ、専門店で買ってもいいですか?」
奏は申し訳なさそうに眉を下げた。
「え……。別に奏くんがどこで買うかは自由でしょ? そんな、俺に義理立てしなくてもいいんだよ」
奏は毎回律儀に由幸の勤める店舗で買い物をしてくれる。在庫がなければネットで買った方が早いのに、わざわざ取り寄せの注文まで依頼してくれるのだ。
申し訳ないと思うのはこちらの方で、奏が他の店で買いたいというのを引き止めるつもりなんて毛頭ない。
電子より紙派だという奏のために、由幸が彼の代わりに自分の勤め先で買ってこようかと提案したことがある。
従業員は雑誌も書籍も一割引になるのだ。七百円のコミックなら七十円引き。新刊の発売日が重なると奏は一度に五千円近く使うこともある。由幸が従業員割引で購入すれば五百円近くの割引になるのだ。
しかし由幸の申し出はあっさりと断わられてしまった。なんだかズルをしているような気になるらしい。書店としてはとてもありがたいお客様だ。
でもやっぱり専門店の方がフェアや新刊の特典が多い。奏が他の店で買っても仕方ないよな、くらいの気持ちだ。
「今度の新刊、この店だけ限定版が出るんです。俺、これだけはどうしても欲しくて」
奏が手にしているスマートフォンの画面には、やっぱりあのピンクのウサギが笑っていた。
「もふもふプリンス。……ふふ、これが欲しいんだ?」
「はい。今回はそれ、ICカードホルダーになってるんです。めっちゃ可愛くないですか?」
「んー……」
可愛いか可愛くないかと聞かれたら、まあ可愛くない。でも奏は期待いっぱいという顔でスマートフォンを見つめていた。
そして今日ついに、もふもふプリンス付き限定版が発売される。もちろん奏はとっくの昔に予約注文していた。ちょうど土曜日で由幸の定休日と重なり、どうせなら一緒に出かけることにしたのだ。
電車を乗り継ぎ目的の駅で降りる。都内で生まれた由幸だが、乗り換え以外ではあまり立ちよったことがなかった。
「うわあ……」
最後に来たのが中学生くらいの頃だったはずだ。関東一の電気街は相変わらず人で溢れていた。由幸はおのぼりさんのようにキョロキョロと辺りを見回した。
人、人、人。以前来た時に目立っていたメイド服は今は廃れてしまったのだろうか、見当たらない。でも今もアニメプリントのTシャツはちゃんと健在していた。
「人でいっぱいだね」
振り向くと、由幸がぼんやりしていた間に奏は一メートルほど先を歩いていた。わらわらと中国人旅行客の団体が二人の間を通り過ぎる。
「あっ! 八千代くん! 待って!」
人の隙間から奏が振り返ったのが見えた。あっという間に奏とはぐれかけてしまった。
「向井さん! そこから動いちゃだめですよ!」
中国人の団体が通り過ぎると奏はこちらに駆け寄ってきた。
「もう……。よそ見してるとはぐれますよ?」
「うん。……あははっ」
ちょっとしたハプニングすら楽しくて笑ってしまう。奏は呆れながらも微笑むと、由幸へと手を差し伸べた。
「ん?」
「手つなご。はぐれちゃうから」
ぐっと手のひらを握られた。まさかこんな人の溢れる駅前で、そう意識したら恥ずかしくて頬が熱くなった。
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