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第65話

 そのまま続けて食まれ、そのキスがまた深いものになっていく。由幸は思わず奏の首に両腕を回した。何だかふわふわとして、立っているのがやっとだ。  奏の舌が由幸の口の中で、奥へ、奥へと潜り込んでくる。 「ん、ん、んんっ……」  映画館では必死に押し殺していた快感の声を、由幸は堪えきれずに漏らした。 「可愛い声、出るんだ……」  キスの合間に奏が呟く。由幸自身、キスで声が漏れるなんてと驚いていた。 「声、変じゃない……?」  かわいい女の子ならいざしらず、男の由幸が漏らす声なんて不気味なだけじゃないだろうか。由幸は不安でたまらず尋ねた。 「変じゃない。ていうか、もっと出して」  由幸の後頭部を手のひらで支え、奏はキスを再開させた。 「んー、んう……。あ、ん」  漏れる声を止めることが出来ない。気持ちが良くて、全てを持っていかれそうになる。 「八千代くん、好き。名前……呼んで……?」  由幸は強請った。 「向井、さん……」  頬をするりと撫でながら奏にそう呼ばれた。違う。そうじゃない。由幸はきゅっと眉根を寄せた。  『ゆきちゃん』と奏の甘い蕩けそうな声で、そう呼んでほしい。  つきあい始めてから、奏は由幸のことを『ゆき』と呼ばなくなっていた。以前は由幸が嫌そうにしても全く気にすることなく、ゆき、ゆき、ゆきちゃん、と呼んでいたのに。  BL的な展開では由幸のことを、『ゆき』と呼ぶべきだと奏は言っていたのに。じわり、と瞳に涙が滲む。  そんな由幸の涙を見て何を勘違いしたのか、奏は嬉しそうに笑う。 「向井さん、泣くの?」  からかいつつ頬をくすぐる奏の指先。由幸はその指を掴んで、キッと奏を睨んだ。 「え?」 奏が戸惑った声を上げても、由幸はさらに涙目で睨み続けた。 「八千代くん」 「ん?」 「名前呼んで、って言ったのに!」  子供っぽいと我ながら思うが、拗ねる気持ちが抑えきれない。 「え……、向井さん?」  奏は由幸の気持ちなんて全く理解していない様子だった。  由幸はトン、と奏の胸を押して、ひとり黒いソファーへと足を進めた。勢いにまかせ、ぼすんと腰を落とす。上半身を倒し、ソファーに胸から沈んだ。 「名前! 由幸って! ゆき、って呼んでたじゃん!」  奏に背を向け、そう叫んだ。背後で息をのむ気配がした。言ってしまってから、大きな後悔が襲ってくる。  俺ってバカ……。  明らかに取るに足らない小さなことで、奏に八つ当たりしている。由幸は腕に顔を埋めた。  キシリ、とソファーが小さく軋み、隣に奏が座ってきた。それでも由幸は上半身を起こせずにいた。  そっと温かな奏の手が、由幸の背を優しく撫でた。 「……怒ってる?」  つつつ、と由幸の背骨に沿って奏の指が動く。その指先がとても性的な感覚を由幸に与えた。 「怒ってない……」  拗ねて甘えたような声が由幸の唇からこぼれた。奏が身をのりだすのが分かる。  次の瞬間、由幸の背中に奏は顔を埋めてきた。 「怒らないで、由幸さん」  服越しに奏の熱い呼気を感じた。そこに全身の神経が集中する。 「由幸さん、ゆき……、ゆきちゃん」  はぁっ、と由幸は感嘆を吐いた。 「ゆき、好きだよ」  奏の熱い息に、由幸の背が撓る。由幸は身を捩ると、奏の方へ振り返った。  腕を伸ばす。指先で奏の髪の毛をくすぐり、形の良い後頭部を引き寄せる。唇を寄せ、由幸は誘うようなキスを仕掛けた。

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