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第67話

「俺、童貞だからさ!」  開き直ったのか、奏が一際はっきりと再びそう告げた。何だか振り切った感のある言い方に、由幸はびくっと肩を揺らした。見下ろしてくる奏の顔はキリリと男らしかった。  しかし言っていることは、童貞宣言。 「うん、分かったから、ね?」  由幸の怒りはすっかりどこかへ飛んでいき、逆に奏に同情してしまう。男として童貞である、と好きな人に言わなければいけない切なさ、恥ずかしさ。  ほんとごめん、と由幸は胸の内で手を合わせた。 「童貞だから……、向井さんのこと、きっと傷つけると思ったんだ」 「え?」  傷つけるとはどういうことか。由幸は首を傾げた。 「俺きっとそうなった時、向井さんのこと欲しくて、欲しがりすぎて、訳わかんなくなる。余裕もクソもなくなってただ欲のまま、向井さんに……突っ込みまくると思うんだ」  奏は悔しそうに顔を歪ませた。今まで見せたことのないくらい、余裕のない表情だった。  由幸は自分の初体験を思い出していた。もうすごくすごく大昔、というほどではないが、由幸の初めては中学生の頃だった。  同級生の女の子。ほとんど興味本位でやってしまった。彼女も多分そうだと思う。  ちょっと顔が好みの者同士、多感な思春期、親が都合良く留守の日に。初めては自分のことで精一杯で、相手のことを気にしてやる余裕もなかった。  奏はまだ未体験だというのに、そういう分析が出来ていて偉いなあ、と由幸は何だか呑気にそう思った。  でも……。 「俺、八千代くんになら無茶苦茶にされてもいい」  ぽつんと呟いた由幸の言葉が、やたら大きく響いた。奏は顔を真っ赤にして、よく見ると震えている。 「向井さんのそういうとこ……」 「え?」 「悔しい……! 向井さん余裕いっぱいで……、俺、すげえ向井さんまで追いつかない感じがして、なんかやだ!!」  奏の言っている意味がイマイチよくわからなかったが、とにかく余裕がないのは分かる。 「向井さんはさ、色んな女の子とやりまくって百戦錬磨かもしれないけど。どうせここにも連れ込んで食いつくしたんでしょ。あのダブルベッドで……」 「はあっ!?」  奏は由幸のことをまるで、そう、奏の好きなBL的にいうと、『えっち大好き超ビッチ』のように言った。 「なになになに!? 何で八千代くん、俺のことそんなふうに言うわけ?」  そんなふうに奏に言われる覚えはない。だって今では奏一筋なのだから。 「……向井さんが俺に教えてくれたんだよ」  由幸は目玉がこぼれ落ちるくらいに驚いた。いつ、なぜ、どうして、そうなった?由幸は奏に過去の女性関係のことを話した覚えは全くなかった。 「向井さん、自分じゃ知らないかもしれないけど……、酒飲むと、何でも喋るよ」  自分はアルコールに耐性があると思い込んでいた由幸はまたまた驚いた。奏と食事に行って飲んだのは……。 「入学祝い……」  思い出した。あの日、飲み慣れないワインを飲んだ。それもあまり飲んだことのない白。辛口ですごくおいしかった。レストランで、ボトル一本、ひとりで空けた。 「向井さんてさ、飲んでもしゃんとしてて酔ってないふうに見えるんだけど……。部屋に戻ってベッドに入るととろとろになって、聞いてもないこと結構喋るよ?」  サーーーッ、と血の気が引く音が聞こえた気がした。自分は一体何を喋ったのだろうか。 「や、八千代くん……。酔った俺が何か言ったみたいだけど、それ、きっと酔っぱらいの戯言だから……」  由幸は冷や汗をかきながら弁解した。しかし奏はジト目で由幸を見つめている。 「俺、向井さんが過去に何人の女の子と遊んだとか、そういうのは気にしない。でもさ……、やっぱ色々聞いちゃうと、俺、男として向井さんに敵わないなって……」  ふふ……、と弱々しく奏は笑った。  俺! 一体、何を喋ったよ!?   由幸は頭を抱えたくなった。  大学時代、由幸はとにかくモテた。色んな女の子と付き合っては別れた。  それは別に恥じることではないと思う。大学時代の友達だって知っている事実だし、大昔のお嬢さんじゃあるまいし、結婚まで貞操を守るなんてありえない。由幸は男だ。  でも、この奏の態度を見ていると、そして奏が童貞と知った今、由幸は過去の己の所業を呪った。

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