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第69話

 12.  二人のすれ違いは、奏の童貞宣言ですっかり消え去った。  今、二人は言うならば、蜜月の真っ最中。いつもいつも体の一部を触れ合わせ、キスをし、夜は同じベッドで眠り甘い囁きを交わし合う。 「しあわせ……」  黒いソファーに体を沈ませ由幸は呟いた。今夜は由幸が夕食を作り、後片付けは奏がしてくれている。  なにこれ。めちゃくちゃ幸せじゃん。  セックスがなくても、由幸の心は深く深く満たされていた。 「八千代くん」  食器を片付けた奏が由幸の隣に腰を下ろした。すかさず由幸は奏の首に両腕を絡める。 「ん……」  何を言わなくても、奏からキスが施される。チュッ、チュッ、と啄むようなキスを繰り返し、由幸は余韻に瞳を潤ませた。 「ねえ、一緒にお風呂はいろうよ」  由幸は微笑んでそう誘った。 「えっ……、風呂……」  瞬時に奏の顔が耳まで赤くなる。つい由幸は、クスッと忍び笑いを漏らした。 「何かえっちなこと想像した?」  つんつんと奏の頬を指先でつつく。 「えっち、って……。う、そりゃ、まあ……」  もごもごと、奏は口の中で言葉を転がした。 「あはっ!八千代くん、えっちー!ただ一緒に風呂はいろーって言っただけなのにぃ!」  キャハハと笑い、由幸は奏の首から腕を外した。むうっ、と奏が顔をしかめる。 「向井さん、ひどっ。恋人から誘われたら、そりゃ想像するでしょ。色んな事……」  初心な反応を見せる奏が可愛らしくて仕方がない。由幸にあんなことやこんなことをさせたい、と言っていたのが嘘みたいだ。 「ごめん、ごめん。でもさ、ほんと一緒に入らない? ……少しは俺の体に慣れてよ」  少しはこちらから誘わないと、このまま何もない日々が続いていきそうで、由幸は奏を誘ったのだった。  脱衣所に奏を引っ張っていき、由幸は奏の服に手をかけた。 「脱がしっこ、しよっか?」  するりと奏の胸筋を撫でる。奏の動揺が手に取るようにわかり、由幸は奥歯で笑いをかみ殺した。  八千代くんは口だけ番長だからなあ。口ではあんなことやこんなこと、由幸が想像もつかないようなヒワイな言葉で由幸を困らせるくせに、実際はキス以上を仕掛けることのできない奏。  以前はそんな奏に不安になったりイラついたりもしたけれど、今では可愛くて仕方がない。 「あ、あ……、向井さん……」  おたおたと奏は行き場のない両手を震わせる。 「ほら、脱がしてよ~。かなで……くん?」  由幸は誘うように、自分のシャツの胸元を手のひらで撫で下ろした。 「う、うわわ……、なんすか、それ。まじエロ……」  奏は眉根を寄せ情けない顔をした。 「こんなのでひよってちゃ、八千代くんいい男になんてなれないよ~?」  プチュ、と可愛らしいキスを、由幸は奏の唇に落とした。キスを受けた奏はなんとも情けない顔で由幸を見つめている。  スーパー攻めになりたいなんて言っていたが、この様子じゃあそれもいったいいつになるのやら。あまりの愛おしさに由幸はにこにこと奏を見た。 「向井さんは……、『誘い受け』かもしれませんね……」  赤い頬をして、奏はちょっと拗ねたように唇を尖らした。 「さそいうけ? 何それ」 「攻めを魔性のフェロモンで誘う小悪魔ですよ。まさかまさかの向井さん誘い受け説……! もうっ! なんすか、それ! ずるいっすよ! てか、てかてかてか! 好きです!」  奏はぐりぐりと由幸の肩へ額を押しつけてきた。自分よりひとまわり大きい背に腕を回し、由幸は奏をぎゅっと抱きしめた。 「ずるいの? でも好きなの?」 「好きです~。ほんとにこんな小悪魔が存在するなんて……。向井さん、絶対他の人、誘っちゃだめですから!」  なにこれ……。めちゃくちゃ可愛い。  自分より大きい男が、まるで小さい子供みたいにしがみついてくる。ぞくぞくっと背筋に悪寒のようなものを感じ、それが快感から生じているとわかる。  もしかして、自分はSの気があるのかも。奏が自分に翻弄されると、由幸の中の何かがどうしようもなく満たされていく。

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