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第72話

 由幸が風呂から戻ると、奏はベッドの上でぐったりと寝転んでいた。 「落ち着いた?」  奏の足元に腰をおろしそっと髪を撫でてやる。 「はい。…もうめちゃくちゃ妄想してやりました」 「ははっ…。何だかすごそう」  ベッドの上に転がっているティッシュの箱を床へ置き、由幸は奏の隣に寝転んだ。向かい合うと奏はじっとこちらを見つめてきた。  その瞳には先ほどの欲の色はすっかりなくなっていて、由幸は少しもったいない気分になる。 「妄想の中で───」  ぽつりぽつりと奏は語り出す。 「ゆきちゃんの濡れそぼる秘孔に、俺の滾る欲望の化身を穿ちまくってやりました。ゆきちゃんはその紅い唇から歓喜の啼き声を漏らし続け、俺のたくましい背中に爪を立てました。汗に濡れる俺の背中に、堪えきれない快感の爪痕をゆきちゃんは、きりきりと刻みつけ……」 「八千代くん、…なんか読んだ?」 「はい。先日発売のBL小説を今読んでます」 「うん。だよね」  由幸は声をあげて笑った。 「八千代くんはさ、すごい難しい言葉、よく知ってるよね!」 「そりゃまあ…。かなりの量、読んでますから」 「すごいよね。俺、濡れそぼるとか、秘孔?たぎる…、そんな言葉、君から教えてもらうまで知らなかったし」  絶対に実生活では使わない言葉の羅列。秘孔なんて、辞書にだって載っているかどうか……。  少し呆れつつ言うと、奏は褒められたと勘違いしたのか少し鼻高々な表情をした。  ***  もうすぐ夏がやって来る。  由幸の書店が入るビルはエコだか何だかしらないが、夏場二十八度に空調が設定されていて、少し動くとやたらと暑い。ビルに寄せられるお客様のアンケートの中にも、『冷房をもっときかせて!』だの『いつ来ても暑い!』などといった声が寄せられていた。  この時期は由幸もさすがに半袖で仕事をする。朝の荷開けなどは、どうしてもこめかみから汗が滴り落ちる。  六月の終わり、今日は女性誌が大量に発売される日で、雑誌の間に付録を挟み込み紐をかけて、店頭に並べ終えるころには汗びっしょりになっていた。  そして今日はコミックの発売日も重なっている。少女漫画とBLコミック。それらも朝からシュリンクをかけなければならない。  BLコミックの山から、奏の取り置き分を取り分ける。 「今日は夕方頃、買いに行きますから。向井さん、待っててくださいね」  奏のそのひと言で、今日も一日頑張れる。 「あの、すいません」  棚の補充分をチェックしていると後ろから声をかけられた。振り向くと、いつもの女子高生だった。  ああまたか、と思いつつ、営業スマイルを顔面に貼り付けて由幸は接客する。今日はどんなタイトルを用意してきたのだろう。正直もう慣れっこで、どんなエグいタイトルだろうと動揺する気がしなかった。  本日の問い合わせは『男子性徒~欲望のまま、先生に突き上げられて~』というこれまたなかなかなタイトルだ。男子生徒の『せい』の字が、『性』に変えられている。出版社もよくこんなタイトル、思いつくよな~、と感心しつつ、由幸は奥のパソコンへと向かった。 「みか?」  聞き慣れた声が、由幸の鼓膜に届いた。振り向くと、奏がこちらに向かって歩いてくるところだった。 「美歌、何してんの?」  奏は由幸にではなく、女子高生に声をかけた。

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