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第82話

 13. 「ねえゆきちゃん。男同士でする時、受けって本当にこういうふうに『ひんっ……』って()くと思います?」  七月。ここのところ奏は、学校のレポート提出の期限に追われていた。そのためなかなか由幸の部屋に訪れることが出来ずにいた。  数人のグループでテーマを決め、討論をし、それをレポートに纏めるという作業。その他にも前期試験の準備もあった。今夜は二人の久々の逢瀬となる。  そして今日はBLコミックの発売日。  由幸の勤める書店で新刊を購入し、奏は今日もダブルベッドの片隅で、ゴロゴロと寝転びながら読書に勤しんでいた。  開いているページはやっぱり男同士の絡みのシーン。  受けが漏らす声について、それがリアルでもそんなふうに『ひんっ』だの『あふ、ん……』だの言うのだろうか、と奏はマジメに考察している。 「ねえ~。向井さんはどう思います?」 「どうだろうねえ」 「俺、ゆきちゃんならどんな声でもいけると思います! ゆきちゃんの啼き声ひとつで、飯が三杯は進むと思うんです。ゆきちゃんだったらどんな声でも萌え死ねる……」  奏は「ア″~~~ンとかでも全然オッケー!」と地獄の底から響くようなデス声を部屋にこだまさせた。 「ふうん。そっか。ありがとね」  奏の熱弁に対し、由幸は気のない返事を返した。そんな由幸へ奏は心配そうな目を向けていた。 「由幸さん」 「ん?」 「何かありましたか?」  由幸は慌てて笑顔を作った。 「別に! 何もないよ!」 「本当に…?」  奏は由幸の空元気を見破っているようだ。 「何かあったら俺に頼って下さいね? 頼りないかも知れないけど」  奏の優しさが心に沁みる。さすがスーパー攻めを志す男。 「ん、大丈夫。仕事で気になることがあっただけだから。ほんとにありがと。奏くん、大好きだよ」  チュッと奏の好きなキスを贈る。そうすれば、すぐさま固かった奏の表情が解れた。 「ゆきちゃん。俺……今夜は最後まで進みたいな」    奏は上体を起こし、仰向けになっている由幸を見下ろした。  深いキスが奏から施される。熱い舌は由幸の口腔を艶めかしく掻き回す。  由幸は目を瞑った。  まぶたの裏に、今日職場で見かけた光景が蘇ってくる。  実は最近嬉しいことに、由幸と八千代妹の仲は少しずつ良い方向へと向かっていた。  少し前まで美歌にはつきあっている恋人がいなくて、暇なあまりに兄の恋人に意識が集中していた。だからあんな嫌がらせまがいの事をして試していたのだ。  しかし最近の美歌は毎日が薔薇色らしく、由幸へのあたりも柔らかい。 「向井さん、こんにちは」  書店に買い物に来れば、にこにこと挨拶をしてくれる。 「美歌ちゃん、こんにちは。待ち合わせ?」 「はい」  ぺこりと一礼し、美歌は脇目も振らず参考書が並ぶ棚へと進んでいく。コミック売り場からはその棚は見えない。  以前たまたまそこを横切ろうとした由幸は、参考書のコーナーで頬を染める美歌を見た。同い年くらいの男の子と、美歌は楽しげに参考書を見ていた。  気配に気がついたのか、振り返った美佳と由幸の視線はバッチリとぶつかった。後日コミック売り場に現れた美歌は「まだ彼氏じゃないから」とくぎを刺していったのだ。  ほんのりと頬を染めるその顔は、正に今、恋愛のど真ん中にいる少女の顔だった。珍しく恥じらいを見せる美歌が可愛らしかったのが印象的だ。    もじもじと靴のつま先を床にこすりつける様子を見て、由幸は美歌達が、恋人同士なる前の甘酸っぱくてもどかしい時期を謳歌しているのだなと感じた。

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