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第3話
「また来るな」
「おやすみ。気をつけて」
手を振る二人を見送って閉まる扉に気を取られていたら、引き寄せられる身体。
「アオさん?」
「……イク」
肩と腰を強く抱かれ、低く潜められる声。
「あの?」
「悪い。鈍感なやつで」
意味がわからず、首をかしげれば彼の弟のことだと示される。
「それが、あいつですから」
知らず、こぼれる笑み。
朗らかに笑うあの男は、そのままでいい。光のように、太陽のように眩しいままで。自分はそのオコボレに預かっているだけ。
「それは、お前に我慢を強いる理由にはならない」
「……え?」
――がまん?
我慢、している?
「アオさん、俺は大丈夫ですよ?」
顔を上げて相手を仰ごうとするも叶わず、隙間を埋めるかのようにさらに引き寄せられる。
発せられない返答に困って、言葉を重ねる。
「あの、俺、本当に。えっと……アオさんがその、やさしくしてくれるので――」
「お前が思っているような男じゃない」
低く紡がれる言葉に息をのむ。
「弱っているお前につけ込んで、手に入れようとしている卑怯なヤツだよ」
「アオさん、本当にノブのことはもう――……ただ、」
言葉を切って、唇を濡らす。
「ただ?」
意思の強さの中に労りを交えて覗き込んでくる瞳を見返しつつ、戸惑いを素直に口にする。
「いいの、かなぁ……?」
青嵐にほのかな失恋を丁寧に癒してもらい、野分や飛鳥からは子供の成長を一緒に見守ろうと誘ってくれる。
「こんなに、いいの、かな……居なく、なろうとしたのに」
すべてから逃げ出して、姿を消そうとした。再び。
『生産性のない、クズが』
『汚らわしい』
ちらつくは、逃げるようにして出てきた生家。呼び起される、浴びせられた罵倒と暴力、冷笑の数々。否定されて落ち込み泣けば、男らしくないと詰(なじ)られ。力なく笑えば、気持ちが悪いと胡乱(うろん)にされ。存在すること自体に疲れてしまった。
そんな自分が。
「……みんな、やさし、すぎるよ」
視界が滲んでしまいそうなほどに。
「お前が気負うことじゃない」
与えられる人肌に、勇気を分けてもらっているようだ。
「まず、もっと怒っていい。ポッと出のどこの馬の骨とも知らない女に、長年大切にしてきた男を取られたんだぞ」
身も蓋もないとは、このことか。
真剣に諭してくれる青嵐には悪いが、クスリと笑みがこぼれる。
彼女のことは知らない人間でもなく、青嵐の秘書で生茂も面識はあった。そして知り合ってからの期間だけが、決定するものではないと思うのだ。
「俺には、赤ちゃんをつくることは、できないから」
自分でも驚くほど、やわらかな声音が出る。
仮に親友と家族になれたとしても、彼に次代をつくることができない。
異性間で夫婦となり、子を儲け、家庭をつくることがすべてとは言わない。しかし大多数がその経過をたどり、少数派ははじかれるのが世の常だ。多数決で決められる、この国の制度も大いに影響あるだろう。現在はパートナーなど、さまざまな方法も出てきてはいるが浸透するのは時間も根気もいる。偏見も強いだろ。その中で、あるていど爪弾きに慣れている自分だけならばいざ知らず、愛した人間を引きずり込むのは忍びない。
骨と筋の、青白いひょろ長いだけの手のひらを眺める。
この手には創造に適していない。人を落胆させるだけ。あの飛鳥のように魅了して包み込み、さらに強くあり続けるものではない。
「人がいいと言うか……だから怒っていいんだ。とんでもなくヒドイことを言われている自覚はあるか? 好きな男の、子供の面倒をみろと言われたのだろう?」
ため息混じりの言葉に、手元から視線を上げる。
「子に関しては、機能的なことは希望して備わったものではない。制度が確立していないから、今はこの国では同性同士の元では里親は無理だ。だが今後は可能になるかもしれない。それにこの国だけでなく、もっと世界に視野を広げても問題はないだろう」
同姓ならば子は生まれない。ならば養子を考えたらどうか、ということか。
「あの、アオさん――」
「知っている。イクが重要視しているのはソコでないだろう」
言いかけを苦笑交じりに続けられる。
「何年お前を見ていると思っている。ただ、そうだな……悔しいのが一番だな。それだけイクの中にあいつが居座っているのが」
口角を撫でる指先に意識を逸らした一瞬、サラリと重大なことを言われた気がする。
「赤ちゃんに会えること楽しみだよ。ノブと飛鳥さんの。それだけじゃなくて」
未来を、将来を見据えて、仲間に入れてくれる。
同じ舞台に立って、一緒に成長を眺めようと促してくれる。それが嬉しい。
甘美な誘いに、身をゆだねてもいいのだろうか。
生まれてくる子の成長を、眺めてもいいのだろうか。
「確かにノブのことはショックだった。けど、それはちょっとの話で。アオさんが、傍にいて甘やかしてくれたから」
「…………いいように取るぞ。俺は狡いからな」
言葉で脅しながらも、困り顔では説得力がない。
「ズルくないよ。俺がここまで考えられたのは、アオさんのおかげ」
生家で居場所を見いだせなくなって、一度は野分に引き上げられた。しかし再び迷ってしまった暗闇で、泣いていた自分の手を引いてくれるのは、他ならない目の前の男だ。
今までは、殻に籠もって悲観的に悩んで結局は逃げていただけだった。野分のことを少しの感傷で済ませられ、さらにその先の未来に目を向けられるのは、大きな差であり進歩だろう。
「俺なんかに……むぐ、」
続くはずの言葉は、手のひらに吸い込まれる。
「それ以上、自分への愚弄(ぐろう)は慎むべきだ。イクを選んだ俺にも大概失礼だ」
「……あ、えと」
「男が、女が、性別がと最終的に深い意味はない。世間が分類したがるのは、帰属して安心したいだけだ。今までのことから自信を持てとまでは言わないが、お前はお前だ。少なくとも背を丸める要素はない。胸を張れ生茂」
「っう、ん……ありが、と」
潤んだ瞳を悟られないよう、己を包むあたたかな腕に顔を埋(うず)める。
「アオさんが大切だよ」
自分は彼からの気遣いを、ずっと知らず過ごしていたのか。
なんて愚かで、身勝手だったのだろ。
「っと」
「っう、わっ!? ぇ、え?」
しばらく浸っていた感傷から急に引き上げられ、生茂は目を白黒させた。
いつもより目線が高い。理由が思い当たらず、担がれたまま呆然と相手の顔を凝視する。
「愛おしい。限界だ」
目尻に触れてから上げられた口角に、彼の意図を汲み取り紅くなって青くなる。
あれよあれよという間に寝室に連れて行かれ、気付けばベッドで組み敷かれていた。
「っえ、えっと……」
どう反応したらよいのか、心底困って彷徨う視線。
「あいつと、とは考えた事ないのか」
野分と――彼の弟とその様な関係なるとは、在るかもしれない未来には露ほども想像なかった。誰にも悟られず、墓場まで持って行こうと心に決めていた淡い恋心。
「……告白、とかも、しようとは思ってなかった、から」
相手から同等の想いを返してもらおうという以前に、自分の思いを示そうと考えつかなかった。
「――そうか。生茂」
名を囁かれて、合わせた視線に射抜かれる。
「俺はやさしくないぞ」
――逃げられ、ない。
耳元で低く紡がれる言葉にジクジクと指先が痺れる。
「……ぁ、」
手を取られて口を付けられるも、強い眼はそのままに。
「一週間、猶予をやった。逃げなかったお前が悪い」
上から降り注ぐ声音に息を飲む。
「『――俺の手に落ちろ』」
厳しい顔から一転、細められた深い色の瞳に飲み込まれた。
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