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3時間目

 個室の中を掃除し、トイレから出ると、紺色の髪に薄い茶色の瞳をした男と遭った。 「あ……、ど、ども……」  僕が何となく挨拶をすると、相手の男は「どうも」と優しく言う。 「もしかして、二年三組の鈴谷音羽くん? 僕は君の担任の佐々塚(ゆう)。初めまして、よろしくね」 「あ、あなたが……? えっと、あの、どうも……」 「……今日は見逃すけど、あまり学校で抜かないようにね〜。匂い、残っちゃうから。意外と」 「え?」 「僕もたまにヤるから。あ、これは秘密ね」  ニコッと笑う佐々塚先生に、僕はドキッとした。  それは、でも、金城先生とは違う。  似ているけど、違う。 「あ、あの……、先生」  僕が声をかけると、佐々塚先生は「ん?」と小首を傾げる。 「何?」 「あ、いや……。後で、相談したいことがあるんですけど」 「今でも良いけど」 「あ、でも、その……。先生、忙しいですよね?」 「んー、それは川中(かわち)さんとか、他の人に頼んだりするから平気。それより、生徒からの相談に乗るのが大切だよ」  ね? と、佐々塚先生は笑った。  その笑顔は、とても優しくて。  この人になら、色々相談しても良いかな、と思った。 ☒  生徒指導室は、あまり使われていない。  指導されるような生徒がいないから、ということらしいけど。  先生が生徒を指導する暇がないから、と僕は思う。  佐々塚先生は、僕に中に入って待っているように、と言った。  少しすると、先生は「お待たせ」と、生徒指導室の中に入る。 「川中さんに、全部頼んだから平気。ゆっくりしよう」 「あ、えっと、その人、は、大丈夫なんですか……?」 「うん。僕の頼み事なら、何でも聞いてくれるからね〜」  ふはは、と佐々塚先生は笑ってから、真剣な顔になる。 「だから、安心して。鈴谷」 「……はい」  僕は深呼吸してから、話す。 「僕、あまり、人が得意じゃなくて……。それに、こんな見た目だし、みんなに虐められたりして……。それで、あまりクラスにいれないんです……」 「ふむ。そういうことか」 「……家にいても、母さんは仕事でいつもいないし」 「だから、学校に来て、教室以外の所に行っている、と」 「……はい。いつも保健室に行っているんです」  僕がそう言うと、佐々塚先生はペンを置き、僕の顔をじっと見る。 「悩みは、それかな?」 「…………」  僕は頷く。  佐々塚先生も頷く。 「確か、金城翡翠先生だよね。綺麗な名前だし、綺麗な見た目の人だよね。あの人」 「そうなんです! 金城先生は、とても綺麗で、でも」  今朝の事を知り、僕はどうすれば良いのだろう。  知って、そして、先生にされたい、と思うなんて。 「佐々塚先生、あの……」 「?」 「高校生は、まだ子供ですか……?」  僕の問いに、佐々塚先生は少し考えてから答える。 「子供だよ。まだね」 「……大人は子供と、えっちしてはいけない……ですよね……」 「そうだね」 「…………」 「金城先生としたいの?」 「っ!」  ドキッとし、僕は佐々塚先生から目をそらす。 「でも、金城先生を犯罪者になんてしたくないっ! です」 「…………」 「でも、先生が他の人とするのは、嫌なんです……。昨日、出会ったばかりなのに、僕、おかしいですよね……」  おかしい。  金城先生は、ただただ保健医として、僕に優しくしてくれるだけなのに。  それなのに。 「男なのに、男を好きになるなんて……。僕、おかしいです」 「……君が、そう思うなら。おかしいって思うなら、おかしいと思う」 「…………」 「僕個人の意見を言うなら、おかしい点は一つしかない。それは、君が金城先生を好きだ、という気持ちをおかしいと思っていることだ」  佐々塚先生は、背筋を伸ばしてから言う。 「人が人を好きになることは、おかしくなんかないんだよ」 「え……? で、でも、男は女を、女は男を好きになるんじゃないんですか……? それ以外は、全部、おかしいって……」 「そういう意見もあるかもしれない。でも、人を好きになるとき、それ考えたりする? 顔が好き、とか。性格が良い、とかだったりするじゃん? ほら、どこにも性別なんてない」 「……………………」 「僕もそうだよ。好きになったのが、たまたま男だった。女も好きだよ。それも、全部たまたまだけどね。鈴谷、君はどう? 好きになった金城先生が、たまたま男だった、というだけなんじゃないのか?」 「……うん。そうです……。だから、どうしようって……。僕に好かれて……。こんな僕に好かれて、先生、迷惑なんじゃないかな、て」  僕は、僕の見た目が嫌だ。  特に目が。  左右で色が違う目なんて、異常で、異端で、気持ち悪い。  だから、前髪を伸ばして、隠している。  佐々塚先生は、僕に「ごめんね」と言って、僕の長い前髪を上げる。 「綺麗な目をしているじゃん、鈴谷」 「え……?」 「とても綺麗で、僕は好きだよ」 「っ」 「右が黄緑色、左が水色……かな?」  佐々塚先生の問いに、僕は頷いて答える。 「生まれたときから、ずっと……。き、気持ち悪いって、思って、隠していたんです……」 「隠さなくても良いと思うけどなぁ。僕はずっと見ていたいよ」  佐々塚先生は優しく笑う。  その笑顔に、僕はドキッとし、目を伏せる。 「ありがとうございます」 「うん」 「……佐々塚先生に相談できて、とても良かったです。また、あの、相談しても良いですか……?」 「良いよ」  佐々塚先生は、笑って、僕の頭を優しく撫でた。  その手は、暖かくて、でも冷たくて、不思議だった。 ☒  生徒指導室を出ると、佐々塚先生は「あ」と僕に言う。 「クラスは、やめておく?」 「……はい」 「ん。解った」 「……あの、先生の授業はいつなんですか……? 先生の授業、聞きたいです」 「次だよ。でも、大丈夫?」 「……頑張りたい、です」 「そっか。じゃあ、一緒に行こうか」 「はいっ」  僕は頷き、佐々塚先生と一緒に教室に向かって歩いた。  その途中、佐々塚先生は色々と話してくれた。  ずっと僕のことを、欠席ではなく出席停止にしてくれていたこと。  クラスで、何となく僕のことを聞いてみたこと。  僕と会話できて嬉しかったこと。  その話を聞いて、僕は嬉しくて、つい佐々塚先生に抱きついてしまった。  佐々塚先生は、驚いた顔をしたけど、ニコッと笑って、僕の頭を撫でてくれた。  もっと、もっと。  佐々塚先生に、金城先生の話をしたい、と思った。 ☒  授業が終わり、そのままショートホームルームも終わった。  クラスにいる餓鬼は、なぜか僕にちょっかいを出さなかった。  佐々塚先生のお陰かな、と思うと。  もっと早く先生に相談しておけば良かった、と思った。  荷物を持ち、僕も他の餓鬼と同じように、下校しようとすると。  佐々塚先生に呼び止められた。 「先生……?」  僕が首を傾げると、佐々塚先生は優しく笑い、一枚のメモ用紙の切れ端を渡す。 「僕の連絡先。何かあったら、連絡して」 「え……」 「僕がいる間は、虐めはないと思うけど。それは、僕が見ているからで、僕がいない間は判らないから」 「…………」 「脅しの道具にもなる。好きなように使いな」  じゃ、と佐々塚先生は言って、手をひらひらと振った。  僕も手を振る。 「ま、また……! また、明日……!!」 「うん。あ、そうだ、鈴谷。どんな手段を使っても、相手が手に入らないなら、壊してしまえば良いと思うよ」 「え?」 「それだけ」  またね、と佐々塚先生は笑った。  僕は先生の言葉の意味を考えながら、下校した。

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