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毎月、寺岡に十万貢ぐ。それが口止め料だった。
二年前、唯 の手術に必要だった金がどうしても足りず、会社の金に手をつけた。そのことが上司の寺岡にバレて、毎月金を支払わされている。
いや、問題が金だけなら構わない。横領したのは事実で、黙殺することで寺岡も横領の共犯となった。口止め料でも迷惑料でも十万なら安い方だ。幸い唯の経過は順調で、一時期火の車だったことが嘘のように生活も安定している。
そう、寺岡が出したもうひとつの条件をのぞけば。
「もっとしっかり腰振れって言ってんだろ」
バチンと腿にプレイ用の乗馬鞭が飛ぶ。
「っう……」
「もう一発食らいたいか? ん?」
あばらが浮き下っ腹が出た不健康な寺岡の体を見下ろす騎乗位。薬で怒張させた性器は時間一杯俺の体をいたぶる。
叩いた場所を鞭で撫でる寺岡。何度も打たれた左股はすっかり赤黒くなっている。プレイ用の鞭とは言え、思いきり叩けば当たり前に怪我をする。その事をちっとも分かっていない上に、自分を床上手だと思っている。
皮脂で汚れた銀縁のスクエア眼鏡。そのレンズの向こうで得意気にしているぎょろりとした目が最高に気色悪い。
女性社員が寺岡を影で「鶏ガラお化け」と呼ぶ気持ちもわかる。しかも、発言がいちいち差別的で女性や年下を見下している。嫌われても仕方がない男だ。
言われた通りに腰を振りながら、今の上司――柏原さんのことを考えた。
ストロベリーパートナーへの登録は寺岡が出した条件だ。客として寺岡が俺を指名する。週に一度、二時間、俺を買う。料金は九千円。一番安いコースだが、もともとSMでも何でも無料オプションのため、毎回痣だらけになる。
それでも寺岡がブラックリスト入りしないのは、指名キャストが店内一年寄りの俺一卓だからだ。ストロベリーパートナーは若いスタッフを揃えていて、太客や良客は彼らのものになる。そして俺は金回りがいい厄介な客が相手だった。スタッフに暴力を振るったり金を上乗せして本番を強要したりするやつとか。
だから抱かないのに飯を食わせてくれて、一晩一緒にいてくれたのは柏原部長が初めてだった。
有能で人当たりがよく、指摘も分かりやすい。
ただ怒鳴り散らし文句と暴言を垂れ流しにする寺岡とは偉い違いだ。経理から総務に移動になってストレスもかなり軽減された。否が応でも週一で寺岡と顔を合わせるが、二時間だけだ。
駅で部長と顔を合わせた時、正直、嬉しかった。その時はどうしてかなんてわからなかった。
話したいだけだと予約時に言っていても、結局ベッドで体をねだられるなんてことはよくある。むしろあわよくばプライベートで会ってただで遊びたいと思っている連中は作為的に「話したいだけ」と純情ぶる。だが話すだけでは物足りないのか、金が惜しくなるのか結局、挿入を含めたセックスをするはめになる。
部長は話したいだけと言って、本当にそれだけだった。こっちから誘いをかけても乗ってこない客なんてきっと部長くらいだ。
あの時、少しむなしかった。
浮気されたくせに俺を抱かなかった。あんな馬鹿みたいな誘い方だけど、俺は背中がぐっしょり濡れるくらいに緊張していた。抱いてほしかったんだから仕方がない。
あんなの規則違反だし、部長が乗って来るはずもなかったけど、それでも言わずにはいられなかった。
春也とか言う男は本当に馬鹿だ。あんなに実直で、恋人に対しても真摯に思ってくれている男を捨てて女に走るなんて。俺だったら四六時中甘える。
ソファーベッドでくっついて映画を見るなんて話を聞いた時には羨ましくて、泣きたくなった。そんな風に二人の時間を大切にするような人とはつき合ったことがない。あれ以来、映画の話題になると勝手に春也を自分と入れ換えて考えてしまう。
多分、俺は部長が好きなんだ。そう気づいたのはあの日の翌朝で……。気づかなかっただけで、ずっと好きだった気がする。だからあの夜、部長に呼ばれたと知って嬉しかったんだ。
時間の終わりを告げるアラームが鳴った。
寺岡の上から降りてアラームを止める。
「なんだ、サービス精神が足りないな」
「九千円」
「立て替えとけ」
寺岡はベッドでタバコを吸い始める。
俺はバスルームに入って体を洗い、来た時と同じ服に着替えて黙って寺岡の部屋を出た。
痛む足を引きずるように安いアパートの階段を降りながら、つい辺りを見渡す。
「……来るわけないか」
部長の車を探してため息をつく。
ワイパーにここの住所を挟んだ。ひょっとしたら来てくれるんじゃないかと期待して。
でも、普通に考えたらあんな不審なメモ、すぐに捨てるよな。名前とかも書かなかったし、誰が書いたか分からない手書きなんて不気味だ。
そうわかっているのに、部長は今日もあのわけの分からない元恋人がいる部屋に帰るんだと思ったら嫉妬でおかしくなりそうだった。
律儀なほど寺岡からは連絡が来るのに、部長とはあれっきりだった。
叫びたくなるような気持ちを抑えてスマホでタクシーを呼ぶ。
三年前に母親を亡くしてから、家族は妹の唯だけになった。唯には苦労をかけたくない。
ただ何となく、俺は一人で死ぬんだろうなという強烈な寂しさに襲われた。
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