6 / 22
_
アラームが鳴る。それを止める気にもなれない。
柏原部長に聞かれた。
寺岡は俺に突っ込んだままアラームを止め、にちにちと中をかき回す。
「っ、やめろ」
這って寺岡の下から抜け出すと、青くアザになった股を平手で強打された。
油断していただけに痛みでもんどりを打つ。
「痛っ……くそ……」
「ははっ。いやあ、笑えた。かわいそうに、柏原。部下のあえぎ声なんか聞くはめになって」
カッと全身が熱を持つ。
最初、寺岡が自分のスマホで部長に電話した。ハンズフリーで放置されたスマホから部長の声が聞こえてきて背筋が凍る思いだった。
寺岡が柏原部長の番号をあらかじめ控えていたなんて思いもしなかった。俺の上司だから、何か俺の失態を言いつけるために登録していたのだろう。
とっさにスマホを叩きつけたせいで、スクリーンが割れて壊れた。お仕置きだと言われながら打たれて突っ込まれたが「ざまあみろ」と思っていた。
部長から、俺のスマホに折り返し連絡が入るまでは。
寺岡に殴りかかろうかと思ったが、そんなことをして横領が会社に知られたら首を切られてしまう。
そもそも、俺が悪かった。寺岡が「声がまんしろよ」と俺に突っ込みながら部長に電話をかけた時、叫んだりしなければよかった。そうすれば部長が心配して俺のスマホに連絡を入れてくるようなことはなかったはずだ。
寺岡の悪趣味はわかっていた。だから俺が臨機応変に対応しなくちゃならないはずだったのに。
でも、まさかよりによって部長に……。
「何なの? そんなにショックだった?」
「当たり前だろ! こんなことバレたらどうするつもりだっ」
「うるせえな。柏原も混ぜてやりゃあいいだろ。あいつ、ホモだって噂もあるし」
「なっ……」
寺岡は出しそびれた性器をしごき「うっ」と言ってゴムの中に出した。それをゴミ箱に捨てながら「何年か前にさ」と話し出す。
「二次会でゲイバーの近く通った同僚が柏原と若い男が一緒にいるのを見たらしいんだよなあ。でも、品行方正な柏原がゲイバーだなんて話、信憑性なくてさ。柏原ホモ説は流行らなかったんだよ。面白そうだったのに」
「……ホモホモって、お前だって男が好きなくせに」
同じゲイでも寺岡と柏原部長は全く違う。
そう蔑む気持ちで呟くと寺岡が「ハッ」と鼻で笑った。
「馬鹿言え。クソ穴よりまんこに突っ込む方がいいに決まってるだろ」
「……は?」
「俺は、お前みたいな女からキャーキャー言われる男が嫌いなんだよ。そう言うやつを力で押さえつけて犯せるんだ、これ以上の憂さ晴らしはねえだろ」
憂さ晴らし。
絶句した。そんなこと初耳だった。
寺岡がひひっと笑う。
「それに、店追い出されねえように誰にでも足開いてんだろ。いい気味だ」
会社で恨みを買うようなことはしていない。横領までは仕事をちゃんとしてきたし結果も出した。上司だった寺岡にここまで目の敵にされる筋合いはないはずだ。
横領だって使った金は真っ先に会社に返した。普段、仕事なんて部下に丸投げの寺岡にどうして金のことがばれたのか未だにわからない。
ずるいかもしれない。でもバレなければいいと思った。少し借りるだけ。給料が入ったらすぐに返すから、と。
実際すぐに返した。
もう二度としない。
打たれて青黒くなった自分の足を見て胸が押し潰されたように苦しくなる。
「全く……。誰が好き好んで男なんか抱くか。強壮剤がもったいねえってのに。ああ、それよりどうだ? 次は柏原呼んでやろうか? 一応、同期だからなあいつ」
にやにやと話を続ける。
「ぼうっとして抜けてるからな。簡単に騙せそうだ」
一瞬、怒鳴りつけそうになった。
「……勝手にしろ」
俺を怒らせて楽しんでいるだけだ。まともに取り合う必要はない。何とか震えるほどの怒りを抑え込む。
シャワーも浴びず、俺は服を着てさっさと部屋を後にした。
カンカンと軽い音を立てながらアパートの階段を下りる。
「っあ……と!」
打たれた方の足が痛み、階段から落ちかける。慌てて手すりに掴まって落ちはしなかったが、明日からどんな顔で部長に会えばいいのかわからない。そんな不安で情けないことに涙が込み上げてきた。
「馬鹿、泣くな。泣くな、泣くなっ……」
金に困っていたからって横領なんてしなければよかった。プライドなんて捨てて頭を地面に擦り付けてでも親戚から借りられるように頼めばよかった。
頬を伝う涙を拭いながら階段を下り、アパート沿いの道路に出てタクシーを呼ぼうとスマホの電源を入れた時。
「遠野?」
呼ばれてつい、顔を上げた。
柏原部長がそこにいて俺に駆け寄ってきた。
「な、何でここに」
「何でって、前にここの住所書いたのは君じゃないか」
そうだけど。何日も前のことだ。
「っ申し訳ありません」
頭を下げた。
部長が来てくれたのはあの電話を聞いたからに違いない。あんな甘えたメモのせいで。
「本当に反省しています」
「それは、いいけど……大丈夫?」
「大丈夫です。すみません、本当に」
恥ずかしいやら情けないやらで自分に腹が立つ。
「……ここは君の家かい?」
「いえ……」
「送ろうか? 嫌じゃなければだけど」
あんな電話をかけられたら普通は怒るし、気味悪く思うだろう。それもこんな副業をしていれば尚更。
「大丈夫かい?」
黙る俺を心配そうに見つめてくる。
本当は辞めたい。でも、今辞めたら寺岡に全てばらされる。会社にいられなくなったら銀行への返済が間に合わなくなるし、唯の容態だっていつ急変するかわからない。頭を地面に擦り付けても親戚は金を貸してくれるかわからないのに、その時に金がなかったら、それこそまともに生きられなくなるようなところからしか借りられなくなる。
助けてと言ったら、部長は助けてくれるだろうか。
会社の金に手をつけた俺を。
「あの……」
「ん?」
「俺」
実はと、言いかけて口を閉じた。
いくら部長が優しくても、さすがに会社の金に手をつけたなんて聞けば、愛想をつかされるに決まっている。
部長の元恋人だって、あんなにろくでなしだったけど、犯罪に手を染めたわけじゃない。
俺はとどのつまり、寺岡のおもちゃ程度の男だったと言うだけだ。
「遠野。そこにコンビニあるから、ちょっといいかな」
「え……」
黙る俺にそう言って部長が先に歩き始めて手招きする。
流石に勝手に帰るわけにもいかなくて、歩いて五分程度の距離にあるコンビニまでついて行った。
「あの」
「ちょっと座って待ってて」
何をしに行ったのか。
言われた通りに外のベンチで待っていると、そう時間もかからずに買い物袋を下げて部長が出てきた。
「買い出しですか」
買い物袋から透けて缶ビールが見えている。
「うん。ごっそりお金だけおろすのはいかにもって感じで嫌だったから」
「え」
茶封筒を差し出され、中身を確認してぎょっとした。
「こ、これ」
「買い物しながら、さっき指名もしたんだ。そろそろ君に電話が来るんじゃないかな」
封筒を持ってまごついていると本当に店から電話がかかってきた。封筒の中身から部長が一晩俺を買ったのだとわかっていたが、店からの事務的な連絡でやっと現実味を覚える。
だって風呂に入ってないし、さっきまで俺が別な男の相手をしていたのは明らかだ。
店からの電話を終えて、部長を見ると「戻ろうか」と言われた。部長の車は寺岡のアパート近くの路肩に停まっていた。
車に乗り込むと部長が「あ」と口をおさえた。
「先にうちに寄ってもいいかな。急いで出てきたから火とか見ておきたくて」
顎を引いて返事をする。
急いで出てきてくれた、というのが嬉しかった。
最初より緊張するのは、車の中に漂う部長のコロンのせいだろうか。ホテルに行ってもどうせ抱かれないし、多分、性的に触れられることもない。
それでも一緒にいられるだけ贅沢だよな。
「うちに寄ったらちゃんと駅まで届けるから」
「駅、ですか」
「そう。帰った方が休めるだろう? それとも、ホテルがいいならホテル代出すけど」
「いや、え、何で……」
血の気が引くというか、力が抜ける。
てっきり前みたいに一緒に泊まるのだと思っていたのに。
部長は「うーん」と困ったように笑う。
「何でって……そんな目を腫らしてるのに、僕なんかにつき合わせられないよ。会社もあるんだから」
「でも、じゃあ、お金は」
「お呼びがかからないってわかってた方が休めるかと思って。余計なお世話だったかな」
金が入った封筒を握った。
優しい声。これ以上ないほどの気遣い。
それなのにどうしてこんなに嫌な気持ちになるのか。
「遠野?」
言うな、言うなと警報が鳴る。これ以上、迷惑はかけられない。金をもらえたんだ。ラッキーだと思って大人しく帰ればいい。
だけど、そんな風には思えなかった。どうしても帰りたくなかった。
寺岡に打たれまくった体が痛い。
「……泊まっちゃだめですか」
「ホテルがいい?」
「そうじゃなくて、その、部長と……」
「僕と?」
抱いてくれなんてわがままは言わないから、ただそばにいてほしかった。
部長は最後まで言わなくても何となくわかってくれたらしく「僕の部屋でいい?」と聞いてくれた。
「部長の……部屋に入っていいんですか、俺」
「もちろん、いいよ。物が減ったから殺風景だけど」
「あ……」
そうか、恋人と別れたから。
「来たいなら先にそう言ってくれて構わなかったのに」
迷惑そうな顔は一切せず、部長はただ笑っていた。
「……客の家に行きたいなんて普通は言えないですよ……。ましてや、上司の家なんて」
「そう? 来たかったらいつ来てもいいよ。急に一人になったから僕も少し寂しかったし」
車が走り出す。
運転する部長が何となく嬉しそうに見えるのは、俺が都合よく解釈しているせいだろうか。
ともだちにシェアしよう!