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 二ヶ月が過ぎた。  日差しは強いものの、日中でも風が冷たくなってきた。  あれから何度か遠野を買った。  特に性的なことはしていないが、最近は朝起きると同じベッドで寝ている。  まあ昨日は一緒に映画を借りて二人でソファベッドに寝転がりながら見て、気づいたら朝だったわけだが。 ――おはようございます、柏原さん。  最近、部長とは呼ばれなくなった。  寝起きの遠野は少しかわいい。  目がとろんとしていて、甘えるみたいにすり寄ってくる。本当の恋人みたいで僕はかなり満足していた。  ストロベリーパートナーを利用していた昔は今ほど金銭に余裕がなかったし、性欲を満たしたい気持ちの方が強かったから、一晩丸々一緒にいるなんてことはしなかった。  本当にただ一緒にいるだけでこんなに満たされるなんて、昔は考えもしなかった。  結婚できるわけじゃないんだから、こういう割り切った関係の方が楽なのかもしれない。  気になるのは遠野が言っていたストロベリーパートナーをどうしても辞められないその理由だ。  会社より儲けがいいからどうしても辞められない。病みつきだ。と言う感じとは違う。  借金は妹の手術費用だったらしい。そんなに医療費が高額になるなんてことあるのかと思ったら、立て続けに親を亡くしている上に、父親が長く患っていて、元々家計は火の車だったようだ。  それでも今は返済も安定して、妹の病状も快方に向かっているらしい。  それはそれで安心したがどうして副業までするのかはわからないままだった。  午前の会議を終えて仕事に戻ると、事務所が閑散としていた。どうしたことかと思ったら、ちょうど昼時。みんな昼食に出たのだろう。  遠野が泊まったから朝はゆっくりしてしまってお昼を作ってきていない。デスクに会議の資料を置き、社食でも行こうかと思っていると遠野が買い物袋をぶら下げて戻ってきた。 「あ、柏原さん。お疲れさまです」 「お疲れさま」 「はい……」  なぜか何となくぎこちない感じがする。  遠野はきょろきょろと事務所内を見回してから僕の方へ来た。 「あの、よかったら」 「え?」  差し出された買い物袋に入っていたのは、近所のお弁当屋さんの唐揚げ弁当だった。 「いいの? 遠野は?」 「俺は食い終わりました。柏原さん時間なさそうだったので……その……」  遠野が言葉を濁したのでハッとした。  確かに普段はいつも弁当を作ってくるが、今日は遠野とソファベッドでくっついていたために時間がなかった。  思い出して少し気まずくなる。遠野がぎこちなかった理由がわかった。 「ありがとう、助かるよ。えっと、いくらだった?」 「これくらい俺が出しますよ。色々とお世話になっているので」 「色々って」  朝甘えてきた遠野の姿を思い出してしまって笑わずにはいられなかった。  遠野も思い出したらしく顔を赤くする。 「すみません……」 「ううん。ごちそうさま」  今まで上司と部下だけの関係だったし、家には春也がいたから考えなかったけど、元々遠野みたいな爽やかなスポーツマンがタイプだった。  だからフリーになった今、公私混同しないためにも金が絡む関係でよかったと改めて痛感する。  ことあるごとに遠野ってこんなにかわいい男だっけ? と思っているなんて知られたら気味悪く思われるかもしれない。  遠野が買ってきてくれた弁当はまだ温かくて、柔らかい唐揚げが美味しかった。  今までずっと使う宛がなくて貯金してきたものが役に立っている気がする。若い頃は出世の希望がなくて、ここ数年は春也のために先々のことを考えて貯めていた。  それを遠野に使うのは悪くないと思った。  体は大きいけど甘えてくるのはかわいいし、誠実だし。家族思いなのもいい。  一晩くっついて過ごすだけの恋人。でも払った以上の見返りをもらっている。  僕にはこれくらいでちょうどいいのかもしれない。  そのうち遠野が結婚して子どもができたらその子に甘くしてあげたいと思うのは気持ち悪いだろうか。  午後も順調に仕事が進み、就業時間になると部下がちらほら帰宅し始める。  僕は一応私用のスマホの電源を入れてなにか連絡が来ていないか確認した。 「……え」 「どうかしましたか?」  たまたま近くにいた安達が振り向く。 「ごめん、少し電話してくるね」  事務所を出て、使われていない会議室に入る。  着信履歴に春也の名前がずらりと並んでいた。一緒にいた頃でも、こんなに何度も電話をかけてくることなんてなかった。  かけ直そうとするとスマホが震える。  春也からだった。  どうしたのか恐る恐る通話をタップした。 「はい」 『あ、衛さん……』  久しぶりに聞いた春也の声に胸が痛む。 「どうしたの」 『出てくれないかと思った』  もう友だちとしても会わないなんて厳しいことを言って別れたけど、あれだけ電話をかけられたら放ってはおけない。 「今まで仕事だったからね」 『あっ、ああ、そっか、ごめん俺、動転して』 「大丈夫?」  沈黙が流れる。 「春也」  少し強く呼びかけると『美香が』と話し始めた。 『今日、友だちと飯食いに行ったんだけど、それで、帰りに歩道橋踏み外して、救急車で』 「えっ」 『あ、怪我は……大したことなかったんだけど』 「お腹の子は? 無事?」 『いないんだって』 「……いない?」 『嘘だったんだ』  淡々と話す春也。  話は進むのに内容が頭に入ってこない。  だって、おかしいじゃないか。  相手のお腹に子どもがいないなんて。妊娠が嘘だなんてすぐには信じられなかった。 『あいつのところに帰りたくない』 「そんなこと言われても……」  二人はもう夫婦だったはずだ。 『俺が浮気したから』  春也が呟く。 『神様が美香に嘘をつかせたのかな』  電話の向こうで春也が泣いているのが声でわかる。 『衛さんを裏切った罰なのかな』 「……そんな話しをしてる場合じゃないだろう? ちゃんと話し合って事実を受け入れなくちゃ――」 『優しくしてよ!』  春也が大声を上げた。 『嘘でもいいから、優しくしてよ。今日だけでいいから。明日になったらちゃんと美香と話すし、もう本当に、絶対……俺と、会わなくてもいいから……』  声が震えている。  僕は時計を見た。  多分、春也はもう僕のマンションに来ているのだろう。  部屋の前で泣いている春也を想像してため息をついた。 「今日だけだよ」  僕だって鬼じゃない。春也にとって何よりつらい嘘だったはずだ。そもそもは浮気して子どもができるようなことをした春也にも責任はあるが、父親になりたがっていた彼の気持ちを思えば仕方がなかったのかもしれない。  二人で海外に住む夢も頓挫した。そんなストレスもあったんだろう。甘い顔をするつもりはないが叱る気持ちもない。 『……ありがとう、衛さん』 「仕事があるから早くは帰れないけど」 『うん』  電話を切って、そのまま会議室の椅子に座り込む。  優しくしてよ、と言う春也の叫び声が頭に響く。  言われなくても優しくしたい気持ちはある。でもそんなことをしたら春也が帰ってきてしまう。僕は自分を変えられないし、また一緒になったところで似た問題を繰り返してしまうだけだ。  子どもの頃、自分が大勢の人と違うと気づいた時、大人になったら自分にとって幸せな世界を見つけられると思っていた。だけど四十になっても人目を気にして生きている。  僕はそういう人間なのだろうと納得している。テレビを見ればマイノリティに対して前向きな人もいるけど、そうはなれない。  中には受け入れてくれる人もいるだろう。でも、自分からカミングアウトして傷ついて色々な暴力に打ちのめされた後、立ち上がれる気がしない。  僕を形作っているのは結局、カミングアウトして友だちに嫌われ親からも見放された僕でしかない。  春也の手を取り、互いに傷つくとわかっている道を進むには僕はもう傷つきすぎている。  我ながら臆病さにあきれるが僕はそうやって身を守る方法しか知らなかった。  事務所に戻り今日の分の仕事を終わらせて帰路につく。車の中で色々考えていたはずなのに、マンションの駐車場を出て玄関先で膝を抱えている春也を見た瞬間、何もかも吹っ飛んで気づいたら彼に駆け寄っていた。 「春也」  名前を呼ぶと顔を上げた。目と鼻を真っ赤にした春也が謝る。 「ご、ごめんなさい……」 「いいよ。大丈夫だから」  一緒にエレベーターで部屋へ向かった。  春也が僕と距離を置いてついてくる。どうしたのかと声をかける前に気づいた。  一緒に暮らしていた時、外では近づきすぎないようにという僕の言いつけを春也はまだ覚えていたらしい。  もうつき合っていない。相手は同じなのに、たったそれだけの事実でこんなに気分が変わるなんて思わなかった。誰かに何を言われても「つき合っていない」と堂々と言える。そんな卑怯な安心感を感じていた。  鍵を開けて先に春也を通し、ドアを閉める。 「ご飯、どうした?」 「食欲ないし……」 「何か作るよ」  そんな話をしながらリビングへ行き、明かりをつけた瞬間春也が息をのんだ。  リビングは今朝、遠野がいた時のままだった。ソファベッドはくつろげてあり、ブランケットが二枚に枕やクッションが二人分。何よりローテーブルにグラスが二つある。  しまったと思った時には遅く、春也は玄関に向かっていた。 「は、春也。ごめん、これはその、違うから」 「違わないっ」  追いかけると、突き飛ばされた。  よろけて後ろにふらつく。 「衛さんは悪くない……俺が、ダメだったんだ。俺がちゃんとしなかったから」  春也はうつ向いた。涙が床に落ちる。 「頭では、そりゃ、わかってた。別れたし、他のやつがいるかもって。でも、それなら俺のことなんか無視するだろうって思って……。何回電話しても、新しい恋人がいれば俺みたいな最低野郎の相手なんかしてくれないって……。 でも、電話に出てくれたから、ひょっとして衛さんはまだ俺のこと少しは好きなのかもって期待して。そんなわけないのに。自分から嫌われるようなことしておいて、そんな都合のいいことあるわけないのに。 自分が……また、ここに帰りたくて、衛さんに愛されたくて仕方がない自分が……本当に、恥ずかしい……」  真っ赤な顔でしゃくりあげながら春也が言った。  無性に抱き締めてあげたい。痛いほどの衝動だった。それでもなんとか自分を抑え込み、春也の肩に触れるだけに留めた。 「……まだ僕は春也を好きだし、嫌いになることはないと思う」 「でも?」 「うん。僕らの関係はいつか必ず破綻していたと思う。求めているものが違うからね」  春也は自分で涙を拭き僕を見つめた。 「僕はもう、君と美香さんの仲に関して口出しできる立場じゃない。でも君がどれくらい傷ついているのかは、君以外の誰よりわかっているつもりだ。部屋のことは悪かった。すっかり忘れてて……」 「いい人?」 「デリヘル」 「デリヘル?」  春也がゲッと言う顔をした。 「よ、呼んでも話すだけだよ」 「デリヘル相手に俺と同じことしてたわけ?」 「ごめん……」 「まあ、だらだらしながら映画見るのあんた好きだもんな」  春也は呆れたように笑い、僕の手を払ってリビングに戻った。 「春也?」 「片づけないと俺、寝られないじゃん」 「あ、ああ、うん」  リビングを手分けして片付けながら、少しずつ話をするようになって、気まずさがなくなっていることに気がついた。

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