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 秋が深まってきた。  毎年の社員旅行の時期となり、前回人気だった水族館と果物狩りや食べ放題を含んだ計画が立てられた。毎年、幹事は総務から出ていたが、今年は珍しく秘書部が請け負ってくれることになり、何年かぶりに肩の荷が降りた社員旅行となる。  二泊三日。参加は自由だが毎年かなりの社員が集まり、自由席のバスは賑やかだ。 「いいなあ、水族館」 「好きだっけ?」  夕食の準備をしながら春也に問いかける。 「好きだよ。部屋に水槽置きたい」  皿を出しながらねだるように僕を見つめてくる。  美香さんとはスピード離婚となってしまった。どうやら美香さんと言うのは春也のお客さんで、お店で人気の美容師である春也を独り占めするためにあんな嘘をついたのだとか。  事故後、子どもがいないことが露呈すると開き直り結局謝罪もないまま別れたらしい。  僕とはよりを戻すこともなく今はただルームシェアと言う感じだった。  また二人で住むと言ったら、大家さんはあきれていた。「結婚は甲斐性」なんて話を聞かされ二人で辟易したのがもう一ヶ月も前になる。 「面倒見きれないでしょ、君」 「そうかもしれないけどさ。よくない? 水槽」 「僕を勧誘しないで。そうやって観葉植物とか僕に世話押し付けるんだから」  何となくで春也が買ってきた観葉植物を僕が育てている。部屋の日当たりがいい場所は植物に占領されていた。簡単とか手軽とか、そんな言葉に騙されてすぐほいほい買い込むのはいい加減にしてほしかった。  ぶすっとして春也は料理の盛り付けを始める。  僕は調理器具を洗う。 「お土産、何がいい? ご飯系? お菓子系?」 「ご飯系」  そう言うと思った。  春也は盛り付けが終わった皿を持ってリビングへ行く。  僕らの関係はどうやら親友と言うやつらしい。春也が言っていた。  恋人としては別れたけど馬が合うから一緒にいる。  こんな関係があるなんて落ち着くまでは思ってもみなかった。  春也は今、英会話教室に通っている。ニューヨーク行きの話が再燃しているらしい。向こうで心機一転やり直すつもりのようだった。 「社員旅行ってあの遠野とか言う人も来るの?」 「あー、どうかな」  春也には遠野のことを話していた。デリヘルで知り合いが来るなんてと最初は笑われたが、最近では「つき合えばいいのに」と言われている。 「俺、勘だけど遠野いいと思う」 「会ってみたい?」 「いや、俺とその人がどうこうじゃなくて。衛さんとさ」 「いや、ないよ。そもそもノンケとかバイには懲りた」 「それは悪かったけどさあ」  春也が苦い顔をする。 「もったいなくね? 衛さんのタイプじゃん?」 「それはそうだけど」 「お金あげるからお店辞めて僕とつき合ってくださいって頼むとか」 「ねえ、僕のこと何だと思ってるの……」  春也がいたずらっぽく笑った。 「でもさ、実際のところどうなの?」 「何でそんなに乗り気なの、君」 「何歳になっても恋バナほど楽しいものはないのですよ」 「何口調なの」 「そんなこといいから。遠野って絶対ノンケじゃないし」  君に何がわかるんだと思いながら、そうかもしれないと思う自分もいる。  お金に困ってデリヘルに入ったノンケは何人か見たことがある。そういう人は少なからず同性同士の行為に嫌悪を示すものだ。  遠野はそういうところがない。僕みたいなおじさんとくっついて寝ても平気そうだし、大きな体で甘えてくるところがかわいい。 「俺もさあ、デリヘル使ったことあるけど、あ、つき合う前ね。女の」 「うん」 「演技だなあってわかるよ、やっぱり。盛り上がってる最中はわかんないけど」  それは少し同感。 「何て言うかさ、ほら、ちょっとした時に。そりゃ、淫乱じゃないんだから好き好んで奉仕するわけじゃないんだろうけど、デリヘル使うこっちのこと見下してる感じって言うかさ。偏見かもだけどゲイ専門だとそれ顕著じゃない?」 「うーん……。と言うか、さては君、デリヘルにいい思い出がないね?」 「バレたか」 「まったく……。僕は遠野とはつき合わないからね」 「じゃあただの金蔓じゃん」  春也がため息をつく。  確かに金蔓かもしれない。それでもいいと思ってしまうのは客でいる間は裏切られることがないと、気持ち的に一線を引いて安心していられるからだ。  春也には言えないけど、やっぱりバイとかノンケは僕には合わない気がした。  遠野がゲイだったとして、つき合えたら確かに楽しいかもしれない。春也と違って自炊はできないみたいだが、僕の手料理を喜んで食べてくれて一目見て男として有望株だとわかる彼が僕のものだなんて最高だ。  だけど実際、遠野はノンケだと僕に言っている。  いくらセックスでネコ役を請け負えるとしても、初恋以降、忍ぶことを学ばざるを得なかった僕の暮らしは、ノンケには向かない。春也のようにいつか窮屈に感じる日が来る。  遠野には遠野の世界がある。  臆病な僕といればその世界が狭くなるのは明らかだった。 「……春也」 「なに?」 「友人になってくれてありがとう」  別れる時、あんなに冷たくしたのに春也は友だちとしてここにいてくれる。  春也は食べる手を止めて、僕を見つめてふっと優しく笑った。眉が短く、つり目。年下の子どもみたいなやんちゃそうな顔なのに、その微笑みは随分大人に見えた。

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