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 最悪だ。  会社で泣くなんて。明らかに周りの空気が変だった。仕事も滞り気味で、俺の仕事だったものが安達に流れて迷惑をかけている。  休憩時間にコーヒーを差し出され「何か悩み?」と聞かれた。 「悩み……か」  横領したことをネタに前の上司にゆすられて辱しめられている。辱しめの一環で風俗で働くことを強要されて、風呂に入らない異臭がするような男とでもセックスしなくてはならない。貯金は妹の生活費になってすっからかんだ。給料日までずいぶんあるのに財布には五千円も入っていない。それに好きな人が、浮気するような元恋人と寄りを戻すかもと考えると夜も眠れない。俺は好きだとさえ言えないのに……。 「大丈夫」  コーヒーを受け取り、安達にうなずいて見せた。  俺の悩みは人に言えないことばかりだ。  安達は眉を寄せたがなにも言わなかった。  何とか周りと足並みを揃えて仕事を終え、残りは明日に持ち越すことにした。普段なら土曜は休むが仕方がない。  もうかなり涼しくなってきたから長袖で出勤しても怪しまれないはずだ。  今日は寺岡に呼び出される日だ。  土曜が一番縛られた痕跡や青あざが目立つ。  明日も仕事だからと伝えても構わずに寺岡は縛ったり打ったりしてくるだろう。  だからなるべく土曜は休めるようにしていたのに仕方がない。仕事に遅れを出すわけにはいかないし柏原さんに副業のせいで効率が落ちたと思われたくない。  辞めろと言われても、辞められないのに。  その場しのぎで柏原さんに「わかりました、辞めます」と答えてもストロベリーパートナーのサイトから名前が消えていなければすぐにバレる。  本業のパフォーマンスが落ちれば柏原さんだって見ないふりはできなくなるだろう。そうなったらクビだろうか。  会社からの帰り道、スマホが鳴る。  店からの連絡に違いなかった。  寺岡に口汚く罵られても、もう何とも思わなくなっている。鞭は痛いが、それだけだ。そんな俺の反応をつまらなく思っているのか、最近は柏原、柏原とうるさい。  新人時代に同じ先輩が教育係だったらしく、今でも同期会があると当時の話で盛り上がるのだと言っていた。仲がいいらしい。そんなこと嘘だろうが、それを調べる術はない。この前は「柏原はひょっとしたら俺に気があったのかも」「柏原みたいな冴えない男に使うちんぽなんかねえよ」と馬鹿にしていた。  息をするように嘘をつく男だ。寺岡は同性からはもちろん、会社での様子を思い出せば異性から見ても下の下。柏原さんが寺岡に惹かれる理由がない。  でも、柏原さんは優しいから寺岡みたいなクズの相手でもにこにこしていたのだろう。寺岡がそれを勝手に仲がいいと言っているだけだ。  それでも、最中に柏原さんの話をされると、つい寺岡の言葉に耳を傾けてしまう。できるだけ無反応を決めているが、寺岡はそんな抵抗も楽しいらしく俺にするように口汚く柏原さんを罵ったりした。  嫌だった。  何が一番嫌かと言えば、アパートに戻ってから寺岡に暴かれた体が、柏原さんを思い出してうずくのが一番嫌だった。  望みなんて最初からなかった。  だけど優しく頭や肩を撫でられた記憶がある。同じベッドで寝たことも。  そんな記憶が汚い欲とまざって俺をさいなむ。  寺岡に汚された体を頭の中の柏原さんで上書きする。おもちゃを突っ込んで馬鹿みたいに柏原さんの名前を呼ぶ。  そして果てた時、寺岡に汚される前から俺は会社から金を盗んで手を汚していたことに思い至って、あの狭い部屋で泣く。  誰に見られることもない。  ただ呆然と涙を流しながら、自分を慰める思い出もないことに気づいて両手で顔を覆う。  その両手は、何度洗っても汚ない異臭がする。  きっと今日も同じ。 「……明日は仕事なんだ、泣いちゃダメだろ」  店からのコールに応じた後、そう呟く。  だが、すでに鼻の奥に涙のにおいがしていた。

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