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第2話
「おい」
翼が下へ降りようと睦月を促していると、佐々木が仏頂面で呼び止めた。
「まさか、俺も一緒に行くのか?」
「この流れで、行かないって選択はないだろう」
「や、あの……翼?」
眉間に思いきり不機嫌そうな縦じわをくっきり表した佐々木を見て、睦月は慌てて止めようとした。
だが、翼は鼻白むこともなく、睦月の背中を軽く叩いて佐々木の横をすり抜けた。黙したまま、佐々木が後を付いてくる。
「気にするな。アレは怒ってるんじゃなく、拗ねてるだけだから」
「拗ねてるって……」
ちらっと、睦月は背後の佐々木を振り返った。こちらを――というより、翼を――見つめる彼の表情は、とても『拗ねてる』という可愛い表現ではない。
目が合うと、きっと殺されてしまう。
そう思った睦月は、慌てて前を向いた。その横にいる翼はというと、笑い出しそうになるのを必死に堪えているようだ。
「面白がってんなよ。怖いよ、佐々木さん」
「まぁな。睦月を優先したもんだから、余計に顔が凶悪になってるな」
とうとうこらえきれず、翼はクツクツと喉で笑った。
「ねぇ、翼が付き合ってるのって……やっぱり佐々木さん?」
「この流れで、聞くか?」
「だって、ずっと教えてくれなかったじゃんか」
翼の雰囲気と、睦月を見つめる眼差しが変化してから、ずっと睦月は翼に他に恋人ができたのかと訊いたのだが、そのたびに翼ははっきりとは答えてくれなかった。
まさか、相手が同僚の佐々木だとは思ってもみなかったのだが。
「悪い。なんか、照れくさくて言えなかった」
困ったように笑って、翼が言った。
「照れくさいって?」
「お前が、会うたびに色っぽいだの何だの言うからだろ」
「フェロモンダダ漏れな翼が悪い」
「しかたない。愛されてるからな」
しれっと言葉を返す翼に、言葉ほどの照れは感じられなかった。
「言うねぇ」
「ヒトのこと言えるのか?」
翼は、覚束ない睦月の足元へ視線を寄越したあと、呆れたような表情になる。
首もとのマーキングといい、いつもより鈍い歩みといい、色々と指摘されて顔が熱くなった。
「うるさいなぁ」
「それは、こっちのセリフだ。毎度毎度、見せつけられる身にもなれ。大型犬に邪推されるのも、いちいちウザいんだよ」
アレの機嫌も悪くなるしと、親指で背後の佐々木を差す。
それが聞こえたのか、エレベーターに3人で乗り込む時、凶悪な表情の佐々木にジロリと睨まれた。
さほど狭くはないのに、息苦しく感じるのは、絶対に睦月の気のせいではないだろう。
不穏な空気を孕んだまま、エレベーターは1階にたどり着いた。エントランスホールを抜けて、広いアプローチを横切る。
恋人の祐太のワゴン車は、ほぼ目の前の路上パーキングに停まっていた。
運転席にいる祐太はスマホを見ていて、こちらに気づく様子がない。
翼が先んじて、助手席のドアガラスをコツコツと叩いた。その音でこちらを見た祐太は、にっこりと微笑む翼を見て、苦虫を噛み潰したような表情になり、その後ろにいる睦月を見て、素早く車から降り立った。
「よう」
「……なんすか?」
睦月だけでなく、翼や初対面の佐々木までいることに、祐太は戸惑うように問いかけた。
「ちゃんと『待て』ができてるじゃないか。えらいなぁ、青年」
揶揄する口調で、翼が自分より少し背の高い祐太の頭をよしよしと撫でる。すると、祐太の眉間にくっきりと縦シワが寄って、頭にある手を思いきり叩 いて拒絶した。
「なんなんすか!?」
「そう怒るな。ちゃんと睦月を送り届けただろう?」
そう言って、今度は両手でわしゃわしゃと裕太の頭をいじりだした。祐太がますます目を釣り上がらせるが、それに比例して翼は楽しそうだ。
あんまりからかってほしくないんだけどなぁ……と思いながら、睦月はちらりと翼の背後に立っている佐々木の横顔を盗み見る。
今度は祐太とじゃれ始めている翼を、剣呑な眼差しで見つめていた。
――もしかしなくても、翼。わざとやってる? 佐々木さんを煽ってる?
「翼、いいかげんにしろよ」
いたたまれなくなって、睦月は間に割って入った。この2人が仲良くなってほしいと思っているが、背後の佐々木の視線の鋭さに耐えられない。
睦月の介入により、ようやく開放されて祐太がほっとした目線を向けてきた。だが、わけのわからない状況に、表情はまだ不機嫌なままだ。
ついでに、長めの髪も翼のせいでボサボサだ。
直してやろうと手を伸ばすが、つま先立ちになっても届かない。それに気づいた祐太が、屈んでくれたので、どうにか満足する程度に整えることができた。目が合って、祐太がにっこりと笑う。ようやく機嫌が治ってくれたようだ。
「ありがと、睦月さん。てか、アンタ。いきなり人の頭を好きなようにして、何が目的なんですか?」
上半身を起こすと、祐太は翼に向かって文句を言った。
だが、そんな祐太に臆することなく、翼は楽しそうに答えた。
「いや、大型犬を前にすると、ついモフりたくなってな」
「大型犬って、ちょっ……」
その言葉にムカついた祐太が、翼に手を伸ばそうとしたが、すんでのところで掴みそこねた。
自分の背後に隠すように、佐々木が祐太の前に立ちはだかったからだ。
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