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第9話「Don’t touch me」
「はあー……」
パソコンのモニターの向こう側から上司の盛大なため息が聞こえ、部下はひょいと身体を傾け
た。
「どうしたんですか、綾瀬 課長」
「……避けられてる」
「は?」
「どう考えても避けられてる!」
桐人 は両手をわなわなと震わせ、充血した目をくわっと見開いた。
「行ってきますのチューしようと思ってたのに、朝目が覚めたらもう出勤した後で、それならおかえりのチューと思ったら、ごめん今日餃子食べたんだ、ってかわいく首傾げながら断られて、じゃあおやすみのチュー!……って意気込んでたのに、俺が風呂から出たら、俺の枕抱きしめてもう先に寝てた。今朝ももう出勤した後だったし……同棲してから必ず一日一回はチューしてたのに!」
ちょこちょこノロケ入れてくるのが地味にムカつくな。こんな変人でも彼女ができるなんて……イケメン爆発しろ!
心の中でこっそり呪ってから、部下はデスクに頬杖をついた。
「心当たりないんですか」
「そんなのなっ……」
いや、ある。
媚薬入りキャラメルを食べさせたし、エッチの途中で目を瞑っている隙をみてバイブを突っ込んでみたりしたし、ほかにもあーんなことや、こーんなことを欲望のままに……って。
「あれ?もしかして俺、嫌われた……?」
「とりあえず、謝ってみたらどうですか?好きなんでしょ、彼女さんのこと」
「……うん、好き」
うわ、キモい。
思わず零れそうになった言葉を飲み込んで、部下は仕事に戻った。
ひとり、頰を桃色に染める上司は、そのまま放っておいて。
***
「ただいま」
室内には期待した明かりはなく、朝ひとりで出勤した時と同じ様相だった。
「桜介 ……?」
呼びかけても、返事はない。おかしい。いつもならもうとっくに帰ってきている時間だ。
まさか、出て行った?
テーブルの上に、黒い液体の入ったコップが残されたままだ。
以前開発したコーヒー味の媚薬を改良した新商品。
いつものように桜介に試飲を頼もうとして、でも昨日はそのチャンスももらえないほど徹底的に避けられていた。
桐人はグラスを手に取り、それを一気に飲み干した。
すぐに身体が熱くなり、全身の力が抜ける。
「あっ……はっ……」
思えば、はじまりも媚薬だった。
せっかく同窓会で再会し連絡先まで交換したのに、どうやって会う約束を取り付けていいかわからず、ちょうど開発中だった媚薬を利用した。
あの時、臆病にならずに最初から自分の気持ちを伝えていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
「おうすけ……おうすけぇ……っ」
パチンッ。
突然高い音がして、桐人の視界が真っ白になった。
驚いて瞬きすると、コントラストを取り戻した視界の真ん中にいたのは、笑顔の桜介だった。
「あ、びっくりした。綾瀬、いたんだ」
「おう、すけ……?」
「ごめん、遅くなって。新メニューの打ち合わせでちょっと盛り上がって……綾瀬?」
「桜介……助けて……っ」
すがり付いてきた桐人を見下ろし、桜介は息をのんだ。
瞳は潤み、頰は真っ赤に上気し、足に触れた股間は昂ぶり硬くなっている。
どう見ても、普通じゃない。
「誰に盛られた!?」
桜介が、自分を心配してくれている。
そう実感しただけで、溜まりに溜まった欲望が一気に爆発しそうになった。
息を止めてなんとか堪え、桐人は必死に首を横に振る。
「ち、違う。俺が自分で……媚薬、飲んだ」
「な、んで……」
「桜介、俺のこともう嫌いになった?」
「え……?」
「もう、チューもしたくない……?」
桜介は、さっきとは違う意味で喉を鳴らした。
あの、いつも不敵にすら見える桐人が、熱に浮かされた身体を擦り付けながら、自分を求めている。
ずくりと、身体の中心が疼いた。
「……もう」
「桜介……?」
「ちょっとだけ、待って。準備、する」
桜介は桐人の身体を押し離すと、おぼつかない手つきでベルトを外し、ズボンと下着を一気にずり落とした。
目を見開く桐人の前で、布の塊を遠くの床に放り投げる。
そして、右手の人差し指と中指を唾液でしっとりと潤すと、自らの後孔へと差し込んだ。
「あっ……はっ……ん」
漏れ出そうになる声を押し殺しながら、桜介が自分で後ろを弄っている。
羞恥で顔を真っ赤に染めながら、それでも指の動きが止まることはない。本来は排泄器官でしかないそこを、自らの手で性器へと変換させているのだ。
桐人を受け入れるために。
そう理解した瞬間、桐人の頭の中は原始的な思考で埋め尽くされた。
桜介のなかに挿入 りたい。
「ん、ふう……いいよ」
「え……?」
「きて……綾瀬」
桜介は、上半身を前に倒し、腰を後ろに突き出した。
割れ目の奥から露わになったそこは、照明の光を反射し、てらりと光っている。
桜色の蕾がヒクつくのを見た瞬間、今度こそ桐人の思考から理性が飛んだ。
「桜介……!」
ずぶりと自身を埋め込み、桐人は桜介のなかに欲望を解き放った。
***
「……で、なんで俺のこと避けてたの?」
汗で粘る身体をよじり、桜介は自分を抱きしめる桐人を睨む。
「綾瀬がところ構わず押し倒してくるからだろ……!」
「ところ構わず?」
桐人は、眉を寄せた
。確かに、桐人は時に周りが引くくらい桜介が好きだし、特に同棲してからはその思いがますます募っているという自覚もある。
でもだからって、そんな風に言われるほどサカってはいない、はずだ、が――…
『んっ……あ、綾瀬、おはよう』
『……』
『今、何時……あっ!』
『寝起きの桜介、かわいい……』
『あっ……ちょっ……待っ、あ、あ!』
……あれ?
『おかえり、桜介』
『ただいま!はあ……暑かった』
『……』
『先にシャワーしてい……うわっ!?』
『Tシャツパタパタするなんて反則だぜ……?』
『は……?あ、ちょっ……あ、綾瀬……!』
あ、っれ?
『綾瀬!』
『桜介?どうし……』
『ごめん、シャンプーの詰め替え用取って……ひゃっ!?』
『水も滴るなんとやら……』
『だ、だから待っ……うっ、あ!』
あっれえ!?
「ごめん、やってる……ところかまわず……」
「……だろ」
「もしかして、それが嫌で避けてた?」
「嫌、じゃないけど……なんか、怖くて」
「怖い?」
「だって俺、えっちしたの綾瀬が初めてだったのにどんどん敏感になってくし、このまま気持ちいいことばっかりになったらどうしようって、怖くて……綾瀬?」
「桜介、俺が初めてだったの……?」
「そ、そこは掘り下げなくていいだろ!」
「いや、ものすごく掘り下げたい」
「……もう」
桜介が、真っ赤になって唇を尖らせる。
桐人は顎にそっと手を添え、上を向けさせた。
吐息が重なる距離まで近づき、だがそこで動きを止める。
「綾瀬……?」
「……」
「キス、しないのか?」
「していいの?」
「なんで聞くんだよ……」
「また抑えがきかなくなって、桜介が怖くなっちゃうくらい気持ちいいことしちゃうかもしれないぜ?」
「すれば、いいだろ」
「えっ……」
「俺はただ、時と場所を考えてほしいってだけで……んっ」
「桜介、好き」
「……もう」
桐人はもう一度桜介の顎をすくい上げ、今度は吐息が混じり合うのも待たずに口付けた。
fin
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