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新垣 元和
「家にまで来るともう病気だな」
朝の登校は新垣と、なんて日常に紛れ込んでいた。
当たり前に親と住んでる俺だが、ポスト当番という役目を貰っている。必ず毎朝、新聞やなにかの郵便物を取り、学校から帰ってくれば絶対に中身を見るというものだ。
なにもしないよりは家事分担でこういった役目を与えた方がいいという親の考え。そのおかげというか、そのせいというか、俺のストーカー被害なんぞ両親は一ミリも知らないんだけどな。
むしろあれだ、こうまでしてこのストーカー野郎が執着してくるなんて感心すべきだ。毎朝恒例、朝刊はすでに取っていたわけだが、登校前にもう一度確認がてらポストを覗くと可愛らしくちょこん、と居座ってる白い袋。
新垣も一緒に覗き込んできた。
「また白濁塗れ?」
「いーや、久々に普通のものが来た。……読むか」
それは本当に久しい手紙という手紙。触れる手紙にベトついてない手紙。
少し乱暴に切り口を開けながら足を進ませれば新垣も慌てるように俺の横に並んで歩きはじめる。
「貴方を愛しています……うわ、また写真だ」
「んー、なかなか手強いな。もう少し俺といた方がいいんじゃないか?」
「それはお前に任せるが、どっから撮ってんだろうな?あ、新垣もちょっと写ってんじゃねぇか。今も撮られたりしてるのかね」
なんて言いながら周りを見渡すように首を動かす。
「こら、あんま相手を挑発するなって」
「いや、だって」
動かしていた俺の頭を押さえつけるように止めて眉間にシワを寄せる新垣。
正体も現さずにネチネチと気持ち悪い行動をしてくるんだ。ここまで続くと俺の中で耐久性というものが出来てくる。鍛えたくないものだが、気持ち悪いぜ?
精液塗れとか勘弁してほしいし、写真もいつどこで撮られてるかわからないから嫌だ。非通知電話拒否設定をしてもなぜかかかってくる謎現象。メールについてはもうノーコメントだ。
あと、新垣がいる。これがなぜか強気な心を生み出してこの間、非通知電話に出ちゃったんだよなぁ。新垣には言ってないんだけどさ。
そしたらすげぇよ、息が荒いのなんのって。気持ち悪かったぁ。
「まぁ、さ……佐倉はもっとこう、隙を見せずに、というか……」
「お前がいるんだから、お前がいる時ぐらい隙を作らせてくれよ。家の場合は親がいてもストーカーの事を知らないから一人みたいなもんだし……だから逆に落ち着かないんだ」
あ、やべ。またホモ臭漂うような事を口にしちゃったな。学習しろよ、俺。
教室に着けばまず加藤と伊崎に挨拶。そして昨日、席替えしたばかりの机に向かう。
前回まではあの二人と近い席だったんだが、今回はどんな運なのか新垣と隣同士なのだ。心強過ぎてしばらくは安心の連続だと俺は思っているよ。
椅子を引いて座りながら鞄から教科書などを出す。そして気付いた。
「やっべ……プリントやってねぇ……」
教科書とノートの間に挟まっていた紙。折り目がついているものの、提出期限は確か今日までだったはずだ。奥底から出てきたものじゃなくてよかったと思うべきだな。
でも緊急事態に変わりないが……。
「はあぁぁ……」
机の上に置きっぱなしの鞄に顔を埋めて溜め息を吐く。
最近の俺ってば溜め息ばかりだ。しょうがないんだけどさ。
「佐倉?どうしたんだよ」
「んん……プリントやるの忘れただけだ」
こうなったら加藤と伊崎をアテにして――とか思ってたけど、実は新垣に期待していたりする。だってあの二人より確実に新垣の写せば点数もいいはずだしな。
クズ? 言ってろ。
「新垣やった?やったなら俺に見せてくれ!」
パンッ、と手のひらを合わせて音を立てつつ頭を下げる。座りながらの懇願姿は相手に響かないまま『はぁ?』とか言ってくるんだろうが、新垣はそんな奴じゃないと信じてるから!
というか意地悪する新垣が想像つかない。こいつ、俺が言ったもの全て受け入れてるような気がするし。
そう思ってると、新垣が口を開いた。
「ははっ――」
わっ、笑いやがった……!
バカにされたと思えばいいんだろうか……別にいいけどさ。
俺が悪いわけだし、ストーカー問題を含めて最近は新垣に甘え過ぎてる俺がいる。
「無理にとは、言わないが……」
瞑っていた目を片目だけ開けてチラッと新垣を確認。
「無理とかじゃない。見せてやるよ」
「さすがイケメンだ!」
隣の新垣は鞄に手を伸ばしながらクリアホルダーを取り出して、俺のプリントとは違う綺麗な紙が出てきた。俺が欲していたものだ。
はい、と渡してきたプリントを俺は素直に受け取り自分のと並べてペンを走らせる。内容と理解はまた新垣に教えてもらえばいいか……いや、控え目というのはここで発揮するべきか。
「てかイケメン新垣でも字はきったねぇなー」
「イケメンって……でも悪いな、読めなかったら言ってくれ」
いやいや、とんでもない。見せてもらってる側の俺としてはありがたいから!
汚いと言っただけであとはなにも言わねぇよ。
* * *
「佐倉、このプリント束ねておいてくれ」
どっさりとある紙を容赦なく俺の机の上に置いた担任。最後にポツンッとホッチキスを置いては華麗に去って行った。……なぜ俺なんだ。
プリントの件でバレたのだろうか。
――放課後。下校をともにする新垣を教室で待っていた俺は一人寂しくスマホを握りながら机に突っ伏した姿。
部活に入ってなければ加藤と伊崎とはまだ一緒に遊べていない。
あぁ、めっちゃあいつ等と遊びてぇなーって。ちょっとぐらい平気なんじゃないか?って、思うだけで実行しないあたり、恐怖に負けてるんだろうなー。
そこまで考えながら見てもつまらないサイトを開くと、担任がやって来て雑用を任されてしまったのだ。
なにで呼ばれたのかは知らないが、新垣がはやく戻ってこないからこんなのをやるハメになったんだ……くそ、イケメンを恨もうか。
「地道過ぎる……」
ぱちん、ぱちん、とホッチキスで留めては思うこと。減ってるようで減ってなく見えて、実は減ってる量が混乱する。
数枚ずつ留めたプリントは着実に増えている。だけど留める前のバラついたプリントの方が倍あるような気がする。やっぱり地道だ、と溜め息。
はやく戻って来いよ新垣……なんてちょっとのストレスと自棄で乱暴にバラついた方のプリントを指でつまめば、シュッと音が鳴ったと同時に痛みを感じた。
左の中指から一筋の赤い液が垂れ流れる。
最悪だ、ここで怪我とか。紙切りだから大袈裟でもないが地味に痛い。地道な作業に地味な痛さも加わりやがった……。
「――チッ」
「なに舌打ちしてんだよ、遅くなって悪かったな」
ここでようやく、というか、タイミング良く、というか……俺が待っていた相手、新垣が苦い顔をしながら教室に入ってきた。
「遅かったのもあるが、ちょっと怪我してイラついただけだ」
俺がそう言ってたまたま持っていたポケットティッシュを取り出そうと鞄の中をあさっていたら、
「はっ?怪我!?」
「うおっ……なんだよ」
勢いよく近付いてきて両手を掴まれた。じっくり見ては左の指から血が見えたらしく右手をゆっくり離して、左手をまじまじ見ている新垣。
近過ぎて、指から伝わる新垣の吐息。小さな傷口も敏感にわかるほど。
「痛いだろ」
「痛くは、ねぇよ……血、取るから離せって」
痛くないと、嘘を交えた言葉にやっと見つかったティッシュが新垣のせいで取るに取れない。
「消毒しないと……」
「いやそこまでしなくても……てか、舐めときゃ治るから」
だからもう一度『離せ』と言ったんだが、イケメンの考えが俺にはわからない。
「……っ、ちょ、新垣!」
「んっ、なに、」
突然のことに、つい新垣の頭を押さえた。
だってこいつ、俺の中指を、舐めるから。
「おいっ新垣……!」
口の中に含まれていた指を無理矢理、抜き取った。経験した事のない温かさから舐められていたところだけが妙な冷たさを感じる。
血は、確かになくなったけどまたうっすらと浮き出てきたから急いで一枚のティッシュを取り出した俺。
なんだ、今のは。
「あっ……と、悪い、ついクセで……」
「癖って……」
なんとなく気まずくなった空気に顔を合わせることが出来ない。俺が勝手に思ってるだけだが、なんか――。
「俺の家では小さい頃からよくしてもらってて。さすがに今はやられてないが、傷とか見ると、つい」
教室に入ってきた時とはまた違う苦い表情を浮かべながら自分の鞄をあさる新垣。
こいつの家が……そうなら、しかたないのかもしれない、とか考えるあたり俺もどうかと思うが、なにも言い返せないから――。
「そ、か……いや、びっくりしたわ。初めてやられたから」
こっちも空笑いで納得しとく。
「驚かせて悪い。……ほら、絆創膏あるから」
「おう……ありがとな」
新垣から貰った絆創膏はよくあるものだ。傷が出来たところを舐められて、その指に直接ペタリと貼られる。一周回って重なる部分も出来たが指の怪我に貼るなんてそんなものだろうし気にしない。
ただ気にするとしたら、舐められた指を洗わせてくれなかったところだろう。
「それ、まだかかりそうだな。俺も手伝うよ」
「ん。でももう放棄したくてたまらねぇよ。なんだこの量は、って」
「ははっ、でも引き受けちゃったならしょうがないだろ?んー、針の色は違うけど、いいか」
教卓の下に置かれている文房具箱から普段使っているホッチキスを出した新垣は、俺の隣に座って一緒に手伝ってくれた。
他愛ない喋りと勉強の話題を交互に入れながらどんどん減るプリントと時間を見て、笑う。たまに吹く風は気持ちがいい。風に乗って運ばれる匂いはだいたい新垣の匂い。
爽やかな匂いに混じる甘さはイケメンだけの特別な匂いなのか、それとも人工的に作られた香水というものでも気取って付けているだけなのか……。
俺が勝手に思ってるだけだが――なんか、男くさい、というか。
「はぁ……終わったー!」
「佐倉、お前喜び過ぎ」
「かったるかっただろ?それが解放された今!」
「ははっ」
そんなわけでやっと終わったプリントを束ねる地道な作業は喋っていたせいもあって一時間もかかっていた。
時間に関しては担任からなにも言われず、むしろ新垣までやってくれた事を知って俺以上に奴を褒めていたからどうしようかと思った。あれはない。
それでもグチグチ言ったって、終わったことだから、と割り切っては下駄箱に向かう俺と新垣。
小腹が空いたからちょっと寄り道しようぜ、なんて付け足しながら。ほら、新垣も一緒なら問題ないと思うから。
「あそこのバーガーでも食べに行くか?」
なんて新垣が提案したのは加藤から誘われていたところだった。
そこは加藤と伊崎で行きたい、と思っていた俺はあえて違う店を選んで頷く新垣を見ては、心のどこかで罪悪感を持つ。まあ、こいつともいつか行けたら行きたいと思っているが。
「んー、なに食おうかなー……――って、おうおう、またかよ……」
呟きとともに開けた俺の下駄箱。もう驚かなくなったところで俺は慣れてきたのか、それとも恐怖を紛らわすための咄嗟な言い訳なのかわからないが、いつもの手紙がありやがった。もちろん精液塗れ。
「今日は二回目か……飽きないなぁ、こいつも」
「つーか新垣、本当に尊敬するわ。すげぇよ」
見付けては新垣がつまんでゴミ箱に捨てる、そんな流れがもう俺達の中で出来上がっていた。新垣には感謝しきれない。
「あとは?ねぇか?」
「ない。手、洗ってこいよ」
俺がそう言うと、一瞬固まったように見えた新垣に、これはいらぬ心配をしているなと予想して『けど、すぐ戻って来てくれ』と口にする。
ごめんな、なんていらない謝りを吐き捨てた新垣。走ってここから近い水道に向かった新垣の背中はとても頼もしい。
さっきは少し、いやかなり驚いた行動をしていたが、あいつは単純にすごい。
ニオイが充満している俺の下駄箱は、数滴、白い液が垂れているのを見て、そのまま靴を取り出しながら今日は乾いてないのか――なんてスルーした俺も頼もしいんじゃないか?
慣れって怖いな。
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