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ご褒美の意味、間違えていますよ。
「日直、俺が変わるよ」
笑顔で言えば、そいつはコロッと表情を変えて男ながらも照れたように『じゃあ、悪いがお願いする』と返事をしていた。
おいおい、そいつは――新垣 元和は――お前が思っているほどの人間じゃねぇぞ?
疲れ切った数学の授業も、とくに連絡もなかった帰りのホームルームも、全て終わらせてクラスメイトがこの教室から出て行くまでどのぐらいの時間がかかるのか。
こんな問題を出されたら誰もすぐに答えられるわけがない。しかし俺は答えられるかもしれない。
二時間半は絶対にかかる、と。
「いつまで待たせんだ、ストーカー」
三時間も自分の席に座ってて、もうダラけてきた俺は机に突っ伏す形で顔を伏せていた。
空っぽになった教室。俺と、隣席の新垣しかいない。いや、やっと二人だけになったと言うべきか。
先日を思い出せばすぐさま帰りたい一心なんだが、それを許してくれないのがストーカーだ。新垣の、学校指定であるネクタイで俺の左手首をキツく縛って離れられないように繋がれてるから。
おかしい。
みんなには見付からないように縛られた手は机の下に隠していたんだが、意外と気付かれないからおかしい。心の中でムキになって解いてみようと思ったが片手じゃどうにも出来ないほどの縛り方ですぐに諦めた。
でも一番焦ったのは加藤と伊崎から『じゃあまた明日な』と言われた時だ。
――あぁ、また明日。そう返して自由に使える手をあげては横に振ろうとした時、伊崎がなにかのストラップを床に落とした。そうなると、しゃがんで拾うだろ?
しゃがんだ先には、縛られた俺の左手とそのネクタイの端を持ってる新垣の手が見えてしまう。
やばい……なんて考えてたら、いてもたってもいられなくて加藤の目を盗みながら新垣の横腹と腕を殴り、縛られてる左手を教科書など入れておく机の中に隠した。
殴られた新垣も表情は変えずに体が少し揺れたぐらいだったから怪しまれずに済んだのが救いで、だけど離れたネクタイはすぐにまた掴まれたんだけどな。
「今はストーカーなんてしてないだろ?」
「過去でしてた事実があるんだ、あだ名みたいなもんだっつの」
「なら俺の下の名前を呼んでくれよ」
「断る。それでなんだよ、話って」
きっとロクな話じゃないんだろうな。わかりきってるのにちゃんと聞こうとしている俺ってすげぇ偉いと思うよ。
そんな興味なさ気に聞いてくる俺にどう思ったのか、気持ち悪いほどの笑顔をずっと浮かべる新垣。椅子から立ち上がり、俺の隣から机を挟んで真正面に立ち始めた。
例のネクタイはそのまま掴まれてるけど。
「なんだ」
「んー?」
突っ伏した状態から顔を上げて椅子の背もたれに寄りかかる。新垣は立っていた状態からゆっくりと腰をおろして俺より低い目線で見つめてきた。
膝の上に置いていた右手。左手はどう足掻いても右手と一緒には出来ない。危ない事に、俺の左手は新垣に託されているから。動かすに動かせないし、あとそろそろキツい。
縛りがキツ過ぎて痛いんだよ。
「俺さ、航大を毎日毎日見ているんだけどな?」
そうだろうな。いっつも見てるもんな。やっぱストーカー行為続いてるじゃねぇか。そこに手紙やメールや非通知電話とかがなくなっただけで、視線は変わらずストーカーやってんじゃねーか。
「でも、ずっと見てても」
机の下から伸び出てきた新垣の手。
「なーんか寂しくて」
のっそりと足を触ってきた。
「ツラいんだよね」
「いや知らねーよ」
「ははっ」
足の次に右手も触られて思わず抓った。調子に乗って舐められたら困る。誰もいなくなった教室は新垣にとって最高の場だと思う。
たぶん〝こっちの新垣〟を出すために放課後残るよう言ったんだろうな。日直まで変わって、ご苦労なこった。
「そんで?結論を言え」
抓って痛みを与えたにもかかわらず新垣は退かずにそのまま抓られてて、足の付け根まで触ってくる始末。こういうの、いい加減にしてくれねぇかな。
慣れてない俺からすると余裕がなくなるから新垣相手でも、触られた部分がビクついて勘違いさせそうで嫌だ。
「つまり、俺は航大とずっといつまでも一緒にいたいってこと」
「……」
これがもし、結論だとしたら――意味がわからな過ぎて理解が出来ない――この無駄な時間をどう返してもらおうか。
「航大、違うぞ?俺が伝えたいのはそうじゃない」
「は?」
どうやら俺の気持ちが伝わってしまったらしい。
机に顎を乗せる新垣の顔から考えが見抜けられない俺。
不公平だ。みんながみんな、気持ちを見抜けるような世界になればいいのに。……プライバシーもクソもなくなるから、やっぱそんな世界はなくていいか。
「もうハッキリ言えよ。俺はお前みたいに頭の回転がはやい方でもなければ、くだらない思いつきも出来ない人間なんだから」
「くだらないなんて、そんな風に言わないでよ」
頭の回転については認めてんだな。丸焼きにしてケバブにするぞ。
「俺が言いたいのは――航大の言うことをなんでも聞くから、俺の寂しさやツラさを紛らわせるなにかをちょーだい、って」
「……」
まるで言い切った感を出して、チュッと音を立てながら俺の縛られてる左手にキスをした新垣。
本人からしたらすげぇわかりやすく説明してきたんだろうが……ごめん、俺にはなにも伝わってきてねぇわ……。
「はぁ……」
意味がわからな過ぎて、抵抗として抓んでいた指も力が抜ける。こいつのために理解をしてやろう、俺が出来る限りの頭で考えてやろうって必死になった一瞬もあった。けど、無理なものは無理。
新垣の――ストーカーの――考えが、わからない。
しんっ、と訪れる静寂。
時たま聞こえてくるのはグラウンドで部活の自主練を一生懸命やっている野球部だ。ボールがバットに当たる音、大きく良い方向に飛んだみたいで『おぉ!ナイス!』なんて声もしばしば。
それと、廊下側からの、声。
「なにか、って、なんだ?」
「その前に頷いて」
「それによるだろ。内容から言え、内容から」
「内容は航大が決めるんだ。なんでも言う事を聞いた俺に、なにかを」
なにか、の内容の事だ。あれが欲しい、これしてほしい。いろいろとあるだろうが新垣の場合、度を越えるものを言ってきそうで怖いんだよ。
今ここで頷いたら取り返しのつかない事になりそうでめちゃくちゃ怖いわ。
「なんでもだ、なんでもいいから俺に指示してよ。タダで貰うなんてフェアじゃないってのもあるだろ?」
絡まる右手と新垣の左手。まるで隙間をなくすかのようにして繋いできた。……出来れば俺は、女の、柔らかくて小さなお手てで握られたかったよ。
「航大、こーた、本当に限界なんだ。目の前にいるのに触れない気持ちが……いつでもどこ見ても聞いてても我慢なんてすぐ破裂する。どうしようもないほど寂寥感を覚える。こうやって手を繋いでてもっ、ん――」
「うぜぇ」
縛られてる方で、新垣の顔をわし掴み。
「……こた、こーたっ」
俺の名前を口にする度に漏れる息は、手なんて関係ない。背もたれに寄りかかっていた体は新垣に近付けて、新垣の首を折る勢いで顔を押し倒す。
表上の性格も、スタイルも、頭も、なにもかも良い新垣は体のバランスを取る方法も良いみたいで、ダサくも後ろまで倒れてくれなかった。
残念だ。
「航大」
――廊下側から、人の声がする。
「もうお前しつこい気持ち悪い鬱陶しい」
「航大ってば……」
だんだん近付いて来る廊下側からの声にこの教室を通る生徒なのか、はたまた教師なのか。それともこの教室に用事でもある生徒なのか、教師なのか……声だけじゃ判断出来ないな。
この場を見られたら煩わしい展開が待ってるに決まっている。この新垣 元和と、普通過ぎる俺、佐倉 航大の格好を見て、うるさくなるような展開が。
「そんなに俺の言う事聞くの?アホなほど?」
「ああ、聞くよ。でもその後の〝褒美〟が欲しい」
バカじゃねぇの。こんな無理矢理言わせて、それを新垣がお利口に聞いた後の褒美とか、誰得なんだよ。
お前しか得になってねぇじゃん。フェアってなんだ?
しかし、おそらくだが新垣は俺の言う事を難なく熟せると思う。地に頭を付けながら舐めろとか、下半身丸出しで廊下を歩いて来いとか。
そんな事を言っても俺の前では常識を見せない基地ってる新垣からしたら、卵を割るほどの簡単さを見せつけて『やったぞ?』と言い、帰ってくるんだ。……さすがに下半身丸出しは、ねぇか。
あり得ない、よなぁ?
「新垣」
なんとなく、試しのつもりだ。
俺が呼んだ名前にどこか期待し始めてる新垣は口元を少し歪ませながら返事をした。
「言ってくれんの?」
お前が言えっつったんだろうよ。
どこまで本気かは知らない。ただ単に俺を怖がらせようとしているストーカー新垣の策かもしれない、が――あえて乗ってみようじゃないか。
下半身丸出しで廊下を歩くなんぞ、出来るわけがないんだから。
出来なければ褒美をやることもなくなる。もともと褒美なんて賛成してなければ命令を聞いてもらってほしいとも思ってないんだけどな。
でも新垣がうるさいから。
廊下側から聞こえてくる声はある一定の位置から変わっていない。遠ざかってもなければ、近くにまで来ていないって事だ。
廊下に人がいるのは新垣も気付いているはずだ。その時を狙って、
「しょうがねぇな……――下半身丸見え状態で、廊下歩いて来い」
迷わすのみ。
「……」
もう俺の勝ちでいいだろう。勝者、俺。
あれほどまで楽しみにしていたと思われる口元の笑みも消えている。わし掴みしている部分でコメカミから指に伝わる揺れが、微かに伝わった。
動揺してる証拠として俺は受け取ろうではないか……ははっ、楽勝過ぎて俺すげぇ。
「なんてな……嘘ウソ。出来もしねぇ事言って悪かった。褒美もなし。この話は終わり」
今までこんな暴力的な行動をとった事がない俺からしたらストレスでしかない。人の顔をわし掴みとか、殴る蹴るだとか、そんなの、もう俺には――。
「下半身丸見え状態?下を脱いでただ歩けばいいのか?――ははっ、楽勝過ぎて俺、嬉しいなァ」
「……は?」
俺には、出来ないハズ……なんだが。
新垣の顔から手を離して痺れてきたような麻痺に襲われる俺の左手。
力なくトンッ、と机に落として穏やかな空気にしようとしたのに、予想をはるかに超える現象がおきてしまった。
ただ歩けばいいのか?
楽勝過ぎて俺、嬉しいな?
――なんだそれは。
新垣だって聞こえてるはずだ。いや、今でも聞こえているだろうよ。廊下で楽しそうに喋りまくってる、加藤と伊崎の声が。
そこで俺は意識をはっきりと戻して、焦る気持ちをおさえながら教室の出入り口ドアの窓ガラスを見た。
チラチラ程度だが、加藤が見えたり見えなかったりで、俺達とあの二人の距離感がわかった。
それなのに、そんなのも気にせず立ち上がった新垣は制服のシャツを捲りながらベルトに手をかけて金属音みたいなのを鳴らしている。
本気でこいつは脱ごうとしている。
「このシャツ、大き目だから完全にとはいわなくても俺のおちんちん隠れちゃうよ?それでいい?もしくは、全裸になる?」
意味がわからん。
「ねぇ、おちんちん、どうする?」
「……」
俺の手は自由に動かせるはずなのに、動かない。
「航大、おーい、こーた?」
新垣が脱ごうとしている下半身を見ながらフリーズ。
なにを考えてるのかがわからない。わからないが……新垣は、俺が思う数倍の恥を実行しようとしている。
時間の流れははやく、ベルトを外し終わってしまった新垣の手の動きを見て……あれ、外し、終わった……?――はっ!?
ジーッ、と地味に響くものはファスナーを下ろす音。
「ばっ、バカ!やめろよ!」
耳を澄まさないと聞こえない音なくせして俺には大音量で聞こえてしまった。
おかげで阻止するために慌てて椅子から立ち上がり、新垣の動きを止めたわけだが。
「航大が言ったんだろ?丸出しで歩けって。それをしないと褒美が貰えない」
マジでバカだ! バカでアホでカスだ!
新垣 元和に羞恥心というものはないのか?……ないか、ないな。俺がバカでアホでカスだったわ。新垣に期待する方が、おかしかった。
「こうた、手ぇ掴まれたままだと脱げねぇよ」
「脱がなくて、いいっつの……」
緊張する声に掠れる。咳き込みをしたくなる。
とにかく、廊下にはまだ加藤と伊崎がいるんだ……なんの話をしているのかは、耳に入ってきたり入ってこなかったりで、わからない。
わからないが、あの二人がいるという事だけわかれば十分。
「なにがいいんだよ、褒美って……」
新垣に関しては諦めがすぐにつく。
思考が最強過ぎる奴の相手をしたって結局、勝てるわけがないんだ。ここはもう、俺の心を強くさせて躱さないと先にいけないような気がする。
「こーた大好き。なにもしなくてもご褒美とか最高」
「……」
あぁ、新垣の笑顔が眩しいや。
もう陽なんて沈む一歩手前なのに、眩し過ぎてもはや朝日だな。
そんな呑気で意味不明な考えをしつつ、新垣から口を開くのを待った。
ロクでもない話からやって来たものだ。褒美とやらも超絶ロクでもないんだろうな。――下着くれ、なんて言われても俺は驚かないぞ。
「来週、俺の家に泊まりに来てくれ。ご両親は結婚二五周年の旅行で一週間は家を空けるんだろ?伊崎とかの家に行くんじゃなくて、俺の家に来てくれよ。それで一緒に過ごそう。暮らそう?俺の寂しさもツラさもなくなって――「つまり?」
バンッと机に手を付いて近付いてくる新垣は身を乗り出してきた。
つらつらと御託を並べてはまどろっこしい感じにイライラする俺。自分って短気だったのかなあ、なんて気付かなくてもいい性格に舌打ちをしたくなる衝動をおさえて、新垣の口を一旦止める。
するとストーカーはストーカーでも、もうバレてるストーカーだからか――。
「俺は航大を、監禁したい」
「あぁ……そっかあ」
すげぇ清々しいストーカーに、進化していた。
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