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第2話 夜は果てしなく、君は遠く輝く光②
どきりと止まりそうになる自分の心臓を指先で抑えて、俺はようやく息継ぎをした。
目にかかる前髪を指先で払って、眼鏡を中指で押し上げて見上げれば、そこには朝の白い光に照らされた明るい笑顔があった。
紺色のブレザーで、片手で軽く手擦りにつかまってすらりと立ち、俺を覗き込むようにしている瞳は、いつも真正面から人を見る。
迷わない真っ直ぐな視線は、その人柄そのままで。
俺は返事も出来ないままで、かすかに唇が震える。
朝の車内に射しこむ光が、茶色がかったくせっ毛を透かして、直ぐな眉と、鼻梁の高い端正な顔立ちに映えている。
くっきりとした二重瞼で、笑うと目じりが下がって、途端に愛嬌のある人好きのする表情に変わる。
他の生徒と同じ制服を着ていても、なんだかスマートに見える。
それはもう生まれもったものか、育ちか、俺には分からない。
けれど、俺が一生持つことはないだろう雰囲気に憧れられずにいられない。
「仁木?どうした?」
俺がぼんやりと見上げたままになっているのに気付いて、恥ずかしくなって、慌ててうつむいた。
「あ……小山田こそ――早いな」
言葉は途切れ途切れで、うまく続かない。
そんなスマートでない自分が嫌になる。
「うん。今日朝っぱらから呼び出されて」
誰に?どうして?そんなことを訊けば会話は続くんだろうか。
「そうなんだ……」
俺はそんな返事しかできない。
「うん」
はっきりと明るく笑う姿は、それだけで場を和ませてしまう。
小山田優――
特優男子、と女子の間で言われているのを知っている。
そう言いたい気持ちも分かる。
医者の家系だそうで、この沿線の住宅街の綺麗な一軒家に住んでいるらしい。
小山田優とデートをしたら、クルーズディナーだったとか、そんな噂が実しやかに囁かれている。
俺からは遠い世界、遠い暮らし。
たぶん色んなことが、俺には想像できない環境なのに違いない。
そして、小山田にも、俺のことは想像できないに違いない。
「朝早い電車ってのも新鮮だな」
小山田は長い脚を投げ出すように、鞄を膝に置いて、隣にどさりと座った。
瞬間に太腿がぶつかって、俺はぎょっとして距離を取ろうとして、意外に強い力でぐいっと腕を引かれた。
「もう修学旅行の班って、決めた?」
「え……?」
「ほら、来月じゃん。もうどこかの班に入った?」
そういって俺を見て、にこりと笑う――はっきりとした目元が下がって、誰しも心おけない笑顔が現れる。
この笑顔が俺に向けられている――そう感じるだけで、ここからもうどこへも動けない。
気が付けばこの笑顔を追い駆けていた、ずっと。
それが今、隣にあると思うだけで、鼓動が高鳴って、自分では抑えられずに、息さえ止まりそうになる。
その明るい光みたいな輝きに目も眩んで、果てしなく回り続けるルーレットの中に放り込まれたような。
「えっと……まだ、かな」
「えっ、そうなんだ?」
変わらずに明るい声で返されて、その明るさに救われるけれど、俺は少しうつむいた。
どう見てたって、俺に班を組む友だちがいるわけないなんて、すぐ分かるだろう。
「小山田……は、修学旅行委員だったっけ?」
ふっと思い出して、呟いた。
「あ、うん。そう」
どこか嬉しそうに大きく返事をする素直さが、とても眩しい。
男同士で何かを望むこともない。
もしも、男女であってさえ、俺には何も望むことはない。
ただ一つ、この笑顔を見つめることだけを許してもらう以外は。その自由くらいは、俺にもあるんじゃないかと思う。
「じゃあさ、俺の班に入ろうよ」
「え……と、誰が?」
「仁木が」
「え……っ」
「班て、四~六人で組むことになってたじゃん。いま俺と、剛田と、原で三人なんだよね。仁木が入れば四人になるじゃん」
剛田と、原は、小山田が特に気が合うらしい二人だ。剛田と原は、小山田と幼少から一緒で、やはり筋金入りの内部生らしい。
その班に人数が足りないなら、入りたいクラスメイトなんて、いくらでもいるんじゃないだろうか?
「あ……」
そうか。小山田は修学旅行委員だから。
たぶん、初めから訊かなくったって、俺がどの班に入れていないのも分かっていたに違いない。
小山田らしい生真面目さと責任感で、こうして俺をどこかの班に入れさせようとしたんだ。
はみ出ている人間を放っておけなくて、何とか輪の中に入れようとしたんだ。
なるべく俺に気付かせないようにして。
「うん――じゃあ、それで……」
「本当に?良かったァ――断られるかもって思ってた」
「小山田を断るやつなんか、いないでしょ」
「えっ何?俺すっげぇ評価いいじゃん!」
弾むようにそう言う端正な横顔が、年相応の元気さと健康さと見せていて、ふっと見惚れてしまう。
小山田を安心させるように話した。
「俺を入れておいてくれたら、数合わせになると思うから」
「数――何?」
「修学旅行先で、剛田と原と三人で行動できると思うから」
「えっ、いやいや、仁木も一緒だって。なんで?」
慌てたように、表情豊かな目は丸くなって、素直な驚きが顔に浮かんでいた。
「いや、俺いたら邪魔だろ?剛田と原にも了解とったわけじゃないし――」
「あ、そんなこと?剛田と原には、仁木があいてたら入れるよって言ってあるよ、もう。二人とも仁木には興味あるから、必ず入れて来いって」
くっくっと鳩のようにいたずらに笑う小山田の端正な顔を、思わず見直した。
「は?」
「だって仁木って謎が多いじゃん。群れなくて平気、予備校なしで成績上位、クールで冷静、体育できんのにプールだけ休んでる、女子ネタに乗らない。それを三人で暴く!ってことになってる」
くすくすと笑うその顔から視線を反らして、俺はふっと呟いた。
「いや、行かないんだ、修学旅行」
「えッ?」
小山田は心底ビックリしたらしく、くっきりした目を大きく開いて、ただ俺を見返していた。
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