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第8話 万華鏡ナイトデート④

 なんとなく間の悪い人間、というのがいるなら、俺に違いない。  過去も、現に今でさえも、出くわさないほうが良いような出来事に出会ってしまって。 「優」 「桜井先輩」  二人は、いつしか俺と小山田が朝に電車で偶然に会った朝に、校門で待ち合わせをしていた。  あの時も今と同じような感じで向き合って、何か話しこむようだった。 「他人行儀だね」  唇だけで笑って、どこか突っけんどんな口調の桜井湊は、じっと小山田だけを見つめている。  小山田もそうで、二人の間には何か特別なオーラがあって、とても俺には近付けそうもない。  確か小山田が去年に生徒会にいた時、この桜井先輩も同時に生徒会にいた。  とても華やかな生徒会の年だって皆言っていたし、筋金入りの内部生の小山田は、附属高校の一年生でも先輩たちと変わらない働きをしていたと、噂で耳にした。 「湊って呼んでよ?」 「その話ならもう終わったと思います」 「どうして?勝手に終わらせただけだろ?」  唇尖らすように言う仕種も似合っていて、俺には入り込めない空気に、何歩か後ろに下がった。 「あの――じゃあ、小山田。また」  俺は目の前の駅の改札へと向かおうとした。 「すぐ終わるから待ってて」  珍しく声を低めた小山田の口調は、有無を言わせない圧があった。  さすがに人前に出たり、取りまとめたりするのに長けているだけあって、小山田の言葉に、俺は立ち尽くした。 「君、誰だったかな?ごめんね、帰ってくれる?俺は優と二人で話したいから」 「別に二人きりで話すことなんかありません。聞かれてマズイような話はこんな外でしないで下さい」 「へえー、よく言う口だな。聞かれていいわけ?自分がマズイんじゃないの?今日は聖マリア女学院と合コンだったんだって?俺たち三年はもう受験態勢だけど呑気なもんだなぁ。俺も現に予備校帰りだけど。こんな時間に駅で会うとは思わなかったよ」 「いちいち俺の予定把握してるんですか」 「自惚れてんなぁ。うちの女子が、自分たちとしてくれれば良いのにって騒いでたから知ってただけだよ。でもうちの高校の女子とそんなこと、出来ないよね?」 「何がですか」 「合コンなんかして、バレたら小山田優のイメージ崩れるってこと!」  俺は話の行く先が見えなくて、困惑した。  さっきの合コンで、小山田に何かイメージが崩れることなんてなかったし、いつもと違うのなら、多少空気が沈んでいたことくらいで――それもわずかな時間のことだった。 「もう女子と出来るようになったわけ?もう失敗せずに出来るようになった?」 「俺は何も変わらないですよ」 「へえ、それで合コンなんか行って、何を取り繕ってるわけ?」 「今日は呼ばれたのと――思うところあったから行っただけです。別にイメージなんてどう持たれようとかまわないですよ」 「あっそう。前まではあんなだったのに、今となっては手のひら返すんだね」 「それは、桜井先輩のせいじゃないですか?」 「俺のせい?」 「そうです」  しばらく沈黙が落ちた。  どうも俺は立ち去りたいんだけど、完全にタイミングを失って、この気まずい空気の中で身動きをするのも憚られた。 「でも、ちゃんと戻ってきたじゃん?あんなの、カウントに入んないよ?この世界じゃ、相手がいたってフリーにやってる関係だってあるし。そういうの、分かっておいたほうが良いよ」 「分かりたくもないです」 「そういうとこ、潔癖だなぁ。それって自分がしんどくない?」 「とりあえず、ここで話すことじゃないです。どうしても話がしたいならまた別で」 「そんなこと言って、優はあれから会おうとしないじゃないか!」  一気に声量が跳ね上がって、うっすら微笑を浮かべていた桜井先輩の顔は、さあっと青ざめたようでいて、同時に怒りを放っていた。 「あんなことくらいで!仕方ないだろ、僕だってたくさん相手はいる中で、優だけに絞ったんだ、もともと!ちょっとよそでキスしてやるくらい、相手にサービスしたくらいのもんじゃないか。それをいちいち目くじらたてて、浮気だとか、もう付き合えないとか、そういう子どもっぽいところが、もどかしいんだよ!」  まくしたてる声色の話の内容に、俺は一瞬、訳が分からなくなった。  小山田は大きな溜め息をついた。 「そういうこと大声で言います?そういうデリカシーのなさが、いやなんですよ。それに俺、子どもですもん。そんな汚さの中にいるのが大人なら、子どもで良いですよ。自分が悪いんですよね?俺の性格分かってました?自分のルールだけ押し付けて、フリーな付き合いが良いのなら、俺じゃなくて良いじゃないですか。相手たくさんいるんでしょ?そこの人なら大人でいられるんでしょ?どうして俺にこだわるんですか」  青ざめていたところから、桜井先輩の顔は赤く染まり、それから唇を噛みしめた。 「優、そんなの、分かるだろ……っ」 「分かりません。もう前のことで、終わったことなのに、ずっと蒸し返します?もう何カ月こんなやりとりしてるか、分かってます?いつまで引っ張る気なんですか」 「だって、それは……」 「裏切りなんてしなかったら良かったじゃないですか。そうしたら他の人間を好きにならずに、桜井先輩といたかもしれないです。すべて自分のせいですよね?それを勝手なルール押し付けられても、俺は困ります」 「――優!」 「もう帰ります。こんな場所で話すことじゃないですよね」  小山田は表情をあまり変えないまま、すいと動き出そうとした。 「優、おまえは……ッ!」  来る、と感じた瞬間に、身体が先に動いていた。  桜井先輩が、小山田に飛びかかる直前の一瞬に、間に割って入っていた。  バシン!と衝撃音が走り、自分の頬に熱さが走り抜ける。  桜井先輩が小山田へと殴りかかったのへ、間に入って、自分の頬にその打撃を受けた。 「仁木!」 「あ……!」  桜井先輩は俺を殴ってしまったことに、信じられないかのように、大きく瞳を見開いて、愕然と立ち尽くしている。 「なん……でッ?」 「仁木、大丈夫ッ?」  俺は小山田に向かって視線をちょっと投げ、寄って来るのを少し止めた。 「あの……きっと、後悔します……」  俺は殴られた頬を少し指先でさすって確かめたけど、特に口の中も切れていないし、さすがに痛みはすぐには引かないけれど、たぶん桜井先輩も冷静になるだろう。 「暴力で訴えたら……そんな記憶が残ったら、きっと後悔します……」 「関係ない、だろ……」 「そう……ですね。でも、俺が――暴力で失敗してしまったことがあるので、そんな人を作りたくないっていうか……」 「はあ?訳わかんないけど」 「あの……好き、なんですよね……その相手、傷つけることしたら、きっとずっと後悔します……」 「はァ?おまえ、何なの?」 「小山田の同級生ですけど――怒りに任せた暴力で、好きな人を傷つけるの、良くないです……」 「……別に」  桜井先輩は少し震えているようだった。 「別に、もう、好きなわけないだろ……っ」  絞り出すような声は、それが本音じゃないって俺には分かる。 「もういい――もういいよッ」  大きな瞳を歪ませて、うっすらと涙を溜めて、たぶん人前であることも構わなくなってしまったくらい、たぶん追い詰められていたひと。 「もういい……もう、どうしようもないなら」 「桜井先輩」  小山田は一歩、歩み出した。 「最初に、俺の悩みに気付いて、聞いてくれたの、桜井先輩だけでした。自分のこと、気付けたのは――だから」  そっと息を吸い込む音、それからひどく優しい声で囁いた。 「ありがとうございました」  こんな時も、小山田の瞳はまっすぐで、正面から桜井先輩を見据えている。 「本当に――感謝してます。出会ったことはきっと必要で、必然でした。そう思っています。ありがとうございました」  優は唇を引き結んで、頭を下げた。 「もういい……もう、行けよ……」  小山田は俺のほうを見ると、視線で、もう行こうと語りかけてきた。  俺は鞄を握り直して、小山田の後について、その場を後にして改札へと向かった。  ホームに入ってすぐに来た電車に乗り込んでから、俺は色々な想いがウワッと込み上げてきた。  そこそこ人で埋まっている車両の端っこに二人で立って、俺はちょっと身体の力が抜けてくるようだった。  たぶんきっと、出過ぎてしまったことと、それから――  それから、小山田と桜井先輩の関係と――  色んなことを把握しようとすると、頭がグルグルと回って、うまくまとまらない。  今さら鼓動が速まって、動揺が身体の奥からこみ上げてくる。  付き合って――いた?  小山田と、桜井先輩が――  確かに向き合って並んでいた二人は華やかで、たぶん同じレベルの人間で、雰囲気や容姿をとってもお似合い、といえばそうだった。  小山田が同性と付き合っていたことに驚きはしたけど――  だからといって、俺に可能性がある訳じゃなくて。 「ごめん、仁木」 「え――えっ?何が……」  俺は動揺していたけど、なるべく平静を装った。 「間に入らせてしまって……頬、大丈夫?医者に診てもらう?」 「えっ?いやいやもう閉まってる時間だし、そんな大層な怪我もしてないし」 「俺の家に行こう。親父、医者だし、それくらいは診れるよ。それに、今の話だってあるし――」 「え……いやいやいや、こんな時間からお邪魔するとかあり得ないから……本当に大したことなかったし……」  祖父の道場に通わされていた頃は、とてもこんな程度じゃ済まなかったし、それに本当の暴力っていうのは――  そこまで考えて、目の前が赤くなってきて、ハッとして思考を止めた。 「大丈夫?」 「え……あ、何?」 「今の話もしたいし、とにかく家に行こう」 「いや、そんな、こんな遅い家族揃ってる時間に行けないよ――あの……今の、こと、なら大丈夫だから……」 「仁木は――聞かないんだな。あれ、どういうことなのか」 「……聞かれたい……?誰にも、聞かれたくないこと、あるだろ……」 「でも、俺のせいで、間に入らせてしまったから。顔、殴らせてしまった。ごめん」 「本当に、気にしないで良いから。俺が勝手にしたことだし」 「仁木は――本当に優しいな。あれこれ聞かないし。でも、俺は、仁木に迷惑もかけたし、仁木に話がしたい」  ぐいと真っ直ぐな瞳で近寄って来られて、俺は思わず仰け反った。  そのまま小山田が瞬きもせずに真剣な視線を俺に向けていて、俺は狼狽した。 「あ……の、明日、学校の帰りとかなら……」 「じゃあ、それで。でも頬、大丈夫?ちゃんと処置しておかないと」 「そんなことするほどのダメージじゃないよ。大丈夫」 「何か、残らないか心配だから」 「大げさだって」 「俺が庇われて怪我させたとか――自分でマジあり得ねぇわ。ごめんな。綺麗な顔なのに」  最後のほうの言葉はよく聞きとれず、俺は明日の約束に、ただ動揺してうろたえていた。 「じゃあ、明日な」  そういう小山田のはっきりした言葉に、ただ、俺はぎこちなく曖昧に笑った。 「あ、うん……」  明日、小山田との明日がある。そのことに、俺はただ戸惑っていた。

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