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第22話 雨上がりの空から、虹色のしずく②
海沿いの湾港で、静かに彼を待つ。
観光地にもなっているハーバーは、行きかう家族連れや、恋人たちの休日の賑わいで満ちていた。
今日は曇り空で、海風が少し冷たく感じる。
その狭間で、寄せては返す波を見ようと、埠頭の波打ち際ぎりぎりまで寄って、膝を抱えてひとり座った。
港の船乗り場からは、この港で一番大きいクルージング船が出ようとしていて、アール・デコ調の優雅な雰囲気に、俺はぼんやりと見惚れた。
「あ、そうか……」
優が、家族と乗っていたのはこっちの豪華客船みたいなのなんだろうな、と気が付いた。
どんな子どもで、どんな服装で、どんな様子で海風になびかれていたんだろう?
大人っぽく振る舞っていたのか、子どもらしかったのか、お行儀よくしていたのか、やんちゃだったのか――
どんな優でも、想像するとふっと笑みが湧いてくる。
目の前を、いま帰港してきた、帆船型遊覧船が通り過ぎていく。
「これだ」
前に、優と乗った、ベイクルーズの船。
暗かったから、船自体はよくわらかずにライトアップされた船内とデッキと、夜景のイルミネーションばかりが記憶に残っていたけど。
白い船は波飛沫を上げて進んでいって、俺は幸福な記憶を思い出して、波の音を聴きながら目を閉じた。
「葉司!お待たせ!」
大きく手を振って走り寄ってきた姿は、何処にいたってすぐに見つけられる、愛しいひと。
一瞬で、この心を魔法にかけてしまって、そのまっすぐな瞳へとナビゲーションされる。
「優」
いつもより大人っぽく見える姿に、少し首を傾げた。
真っ白なロング丈のTシャツの裾をさらりと見せ、その上に鮮やかなブルーの薄手のニットを重ね着している。細身の黒ジーンズに、後ろにはチェーンが揺れていた。
髪型もいつもより違っていて、真昼の時間の中で、そのまま写真に収めてしまいたかった。
「葉司、どした?」
「え、あの、格好良いなって」
「えっ、まじか!やった!でも、なんか照れる」
目じりを下げて、人好きのする笑顔で破顔した優は、紺ブレザーの制服とも、修学旅行の時とも雰囲気が違っていて、俺はようやく優がオシャレして来たんだと気が付いた。
「付き合って初めてのデートだな」
「うん」
その言葉は嬉しくて、思わず笑顔で頷いた。
でも、俺は気遅れして、優から一歩距離を取った。
何も考えずに、いつものグレーのパーカーに、色の褪せたジーンズで来てしまった。
何か考えたところで、特にオシャレする服も持っていないし、それほど服を持っていない俺には、仕方のないことだけど――
最初から、優と見合うとも思っていないけど、学校という枠から外に出てしまうと、生活も感性もすべて違っていることが、さらに明るみに晒されるようで、俺はちょっとたじろいだ。
優の清潔で手入れされた服装と、それをまとって明るく笑う優と、真横で並んで歩く勇気が湧かなかった。
俺は、パーカーを指先でこすって、歩き出した優の、少し後ろをついていった。
急に、優がぴたりと立ち止まったから、鼻からぶつかるところだった。
優は、急にくるりと振り返って、真剣な顔をして、ぐいと寄ってきた。
「葉司のパーカーさ」
「う、うん」
「……チョイスがかなりやばい」
「あ……やっぱりヘン……」
「まさか、こう来るとは思わなかった。イメージ外して来てて――可愛い」
「え――えっ?」
葉司は器用な指で、俺の眼鏡をずらすと、パーカーのフードをふいに被せてきた。
「それで、俺のこと見上げて」
俺はちょっとついて行けなくて、脳が停止するのを感じた。
「あっ、葉司、フリーズした!ちょっと、葉司!」
両手でガクガク肩を揺すぶられて、俺ははっと気が付いて、指先で眼鏡を押し戻した。
バサバサとフードを手ではらって、呼吸をし直す。
「え、そのチョイスは狙って来てたんじゃないの?」
あっけらかんと、そんなこと言う優に、めんくらう。
「狙……あの、俺は、そんなに服持ってないから……」
少し俺の顔を見つめてから、優はにこーっと笑った。
「俺、大人になったら葉司にいっぱいプレゼントして良い?」
大人になったら――
そんな言葉が、優といると希望に聞こえる不思議。
「俺も、優にプレゼントできるようになるかな」
「いや、葉司のプレゼントなら今でも――だって、俺が欲しいのは――」
優は、そこで急に口をつぐんで、くるりと瞳を回して、視線を海へと反らした。
その時、ポツリポツリと、冷たいしずくが落ちてきた。
空を見上げると、にび色の雲はさっきより厚くなっていて、海街の景色が、降り出した雨に濡れていく。
「優、あっちで雨宿り――」
俺が店の軒先を指差そうとした時、ふいに肩をつかまれた。
「葉司、あのさ――」
優も俺も、雨の冷たさの中で、二人して立っている。
「今日さ、俺の家に、来ない?」
ゆっくりとそう言う優を、俺は見直した。
「でも、今日、休みだし。優の家族も家でゆっくりされてるだろうし」
「今日、誰もいないんだ」
会話している間にも、ポツリポツリと雨は髪も服も濡らしていった。
「この後、誘おうと思ってたけど。雨だし、今からじゃ、ダメ?だって、外にいても、葉司と手もつなげないし、抱きしめられないし。キスも、できない」
その言葉を聴いて理解してから、うわっと頭が沸騰するように熱くなった。
「ダメ?」
「優が……良いんなら」
「ん。じゃあ、行こう。ほら、駅まで走ろッ!」
「あ、優!」
雨の中、弾むように駆け出した優を追って、俺たちは人波の間を駆け抜けた。
「とりあえず、これで拭いて」
優にタオルを手渡しされながら、そっと辺りを見回した。
二回目の訪れになる優の部屋は、相変わらず新緑のような淡いグリーンのような壁で、ロイヤルブルーのベッドに、白いローテーブルと、整然と並べられた壁一面の本棚。
あのベッドで、初めてキスをしたんだ――
そうぼんやり考えていて、心はソーダが弾けたみたいにパチパチと泡立っていく。
誰も知らない、二人だけの記憶が、重なっていくこと。
景色は知らなかった色に塗りかえられて、真っ白だったカレンダーが、鮮やかに見えてくる。
「けっこう濡れたよな。かけて乾かそっか?」
ぽいとハンガーを投げ渡されて、両手で受け止める。
俺はパーカーを脱いでハンガーにかけると、カットソーの袖をまくって、眼鏡を外してローテーブルに置いた。
「葉司」
振り返ると、Tシャツ一枚になった優がすぐ後ろに立っていて、貸してくれたタオルと引っ張ると、それでわしゃわしゃと俺の髪を拭いた。
「葉司……」
低い囁きは耳元でしていて、後ろからその腕に抱き込まれた。
頬に優の唇がすべっていって、指先が俺のあごを捉えて、少し後ろを向かせた。
降りてきたくちづけに、抱きしめられたままに、目を閉じた。
お互いに少し冷たかった唇が、重なると少しずつ温もりをもって、それを分かち合っていく。
背中に感じる温もりと、唇に感じる熱さと、頭は軌道を外れて何処までも遠くへと連れて行かれてしまいそう。
ちゅ、と音を立ててキスは終わって、優は俺の髪に鼻先を突っ込んで、ぐりぐりとした。
「また来たね、のキス」
くすくすといたずらっぽく笑う優を見ると、立っていられないくらいに心臓は早鐘みたいに速まっていく。
「俺、やっぱり着替えよっかな。服、貸そっか?」
優の服――
「葉司?」
きょとんとした顔で尋ねられて、慌てて首を横に振った。
「いや、大丈夫。拭いておけば」
「葉司、濡れてるよ?」
そう言いながらバサリと音をたてて、Tシャツを脱いでしまった優が、タオルを片手にして目の前に立っていた。
「冷えるよ」
長い指が伸びてきて、俺の胸元に触れて、俺は後ろへとよろめいた。
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