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第30話 花ひらく星月夜④
窓を開ければ、冷たい空気が流れ込んできて、すうっと息を吸い込んだ。
その冷たさは体を浄化していくようで、どの季節より透明な冬空は、大きく揺るぎなく広がっている。
今日は、この自分の部屋に優が来るのだと思うと、いつもよりもトクベツに思えてくる不思議。
スマホのメッセージが鳴って、俺は手を伸ばした。
久しぶりの瑠奈からの連絡に、ふっと頬が緩んだ。
―葉司、元気にしてる?あんまり連絡してなくてごめんね。
―いいよ、それは。俺に話すことがないくらい、瑠奈に何もなければ。
―あのね、私。あの、それと、昨日は何も持って行けなくてゴメン。
―昨日?ああ、イブのこと?
毎年、クリスマスイブには、瑠奈はチキンや料理をいくつか持って、俺の家へと来てくれていた。
それと、恒例のささやかなプレゼント交換。
―そんなの。今年は鷹宮さんといたんだよね?俺も夜まで短期バイトに入ってたし。
―あっ、あれ?恒例のクリスマスケーキ売り子?
―正解。
―今日もバイト?
―今日?今日は
そこまで打って、俺は指が止まってしまう。
どこか気恥しさを覚えながら、その先を一気に打った。
―今日は優が、来るから。バイトは昨日まで。
―あっ、小山田くん来るんだ?
―うん。
―良かった。じゃあ、今日は楽しみだね。
―うん。
素直にそう頷ける幸せを、ただそっと胸に抱き締めた。
―あの、あのね、葉司。私ね。
―何?どうした?
珍しくどこか躊躇するようなメッセージに、思わず身を乗り出した。
―何かあった?
―あのね。私ね、葉司に話したいことがあって。
―どうかした?今電話かけようか?
―ううん。葉司に会って話したいの。二十六日なら空いてる?十五時くらいに葉司の家の近くの川沿いのリバーロードあるじゃない?春に桜いっぱいの。葉司とよく行った、八角形の屋根のベンチで待ち合わせできる?
―うん。その時間なら、大丈夫だと思う。
―あの、鷹宮さんと行っていい?
―鷹宮さんと?
―うん。明日、待ってるから。
―わかった。じゃあ、また明日。
メッセージが終わって、俺はしばらくスマホを見つめていた。
「鷹宮さんと……」
ということは、鷹宮さんとの悩みとか、恋愛相談でもなさそう?
俺はしばらく考え込んでいて、時間が経っていくのも忘れていた。
「葉司―!」
玄関のチャイムが鳴って、ぼんやりと勉強机に座って頬杖をついていたのを、現実に引き戻された。
「あっ」
すっかり昼下がりの時間になっていて、俺は慌てて階段を駆け下りた。
「優、お待たせ」
はぁはぁと肩で息して玄関の扉をガラリと開けば、そこにはすらりとした背の姿が立っていた。
「出て来ないから、時間間違えたかと思ったじゃん」
「ごめん、考え事してて」
「考え事?」
「うん、ちょっと」
優は今日はカーキ色のコートを着て、黒いパンツに白いざっくりとしたニットを着ていた。
いつもより大きめの鞄を持って、にこりと笑う姿は、そのまま写真に収めてしまいたい。
俺は相変わらずグレーのパーカーに色褪せたジーンズで、どうしようもない。
「あっ、葉司!ちょっと待って。もう一度やり直す!」
「え?」
優はいったんピシャンと扉を閉めてしまって、それから再びガラガラと開けた。
「葉司――ただいま」
優は少しはにかんだようにそう言って、俺を待つようにじっと見つめた。
「あの……お、おかえり……?」
俺が戸惑いつつ、そう答えると、優は勢いよく後ろ手に扉を閉めて、ガバッと俺を抱きしめた。
「やばい!ちょっとやってみたかったんだけど、破壊力あるな!」
俺の眼鏡がズレていくのも構わずに、優は頬を頬にぐりぐりと押し付けてきて、俺は顔が熱くなった。
ただいまと、おかえりなんて、どれくらいぶりの言葉だろう?
「あ、これ。母さんから」
「え……えっ?」
俺にトート型のずしりとした保冷バッグを手渡して、優は俺の手を繋いで、どんどんと部屋へと入っていってしまった。
ダイニングテーブルで保冷バッグを開くと、骨付きのローストチキンの温野菜添え、ローストビーフ、ポテトサラダ、チーズと野菜のピンチョスがプラスチック容器に入っていた。
白い紙箱を開くと、ショコラのブッシュドノエル。
「え……凄い。何で……?」
「あー、どうせ葉司くんのところ行くんでしょって言われて、何も否定できなかった。んで、その結果」
「あの、優のお母さんてさ……どこまで……」
どこまで知っているんだろうか?
何も知らなければ、どこか騙しているようで、良くしてもらうほどに舌がざらりと気まずい。
「えー?さあ。うん、でもいずれ言わなきゃな」
「そう……だね。優自身のこと」
同性愛だってずっと隠すのか、いずれ言うのか――
俺には家庭というものはもうないに等しいし、一番身近な親類の瑠奈には言ってしまっている。
優は、これからなんだ。
「俺、葉司と生きていくって言わなきゃ。改めてそういう意味で、葉司のこと紹介しなきゃ」
「えっ?」
思わず目を見開いて優を見上げると、両手で、むぎゅ、と頬を挟まれた。
「そこ、えっ?てどういうこと?」
「あの……だって……」
熱くなる頬を隠そうとうつむくと、ぐいと上を向かされて、ゆっくりと唇が降りてきた。
瞳を閉じて、その唇に近寄るまでの瞬間にも、何度も心臓がうるさいくらいに跳ね上がる。
その指に指を重ねて、強く握り合う。
唇と唇を重ねて、小鳥が啄むように、何度も角度を変えてくちづける。
くっきりした唇の形を、唇でたどって、なぞっていく。
その首筋から胸に指を這わせれば、脈も鼓動もわかりそうなくらい、優の鼓動が伝わってくる。
もどかしそうに優がコートを脱ぎ捨てて、キスの合間に話し出した。
「さっきの――考え事って、何?」
優が喋るたびに、熱い吐息が唇にかかって、その息さえも食べてしまいたい。
舌の先がツン、と当たって、押し合うようにその柔らかさを確かめる。
「瑠奈の……こと」
「何かあった?」
「……んっ」
舌で舌をつつかれて、それからぬるりと奥まで入って来て、話せないまま、優の肩をぎゅっとつかんだ。
強く舌を吸われて、体の奥がズキンと甘く疼く。
「……ッ」
背筋をずーっと優の指が撫でていって、ビクッと体が震えた。
ようやく唇を少し離して、乱れた呼吸で息継ぎした。
「あの、明日の十五時に会おうって……あ」
優の唇に耳たぶを挟みこまれて、その息遣いが耳にかかって、そこから痺れていく。
「安住さんと二人で会うんだ?」
「違う……あ……ッ」
耳に息を吹き込まれながら、ぱくりと耳たぶを食べられて、ヘンな声が出て、思わず掌で耳を塞いだ。
「あの、鷹宮さんも来るって言うから、何かと……ちょ、ちょっと」
昼下がりのダイニングで、優がパーカーのジッパーを下ろしてしまって、カットソー一枚の俺の胸に、するりと優の掌が這った。
「どうかした?聴いてるよ。鷹宮さん?」
そう言いながら、優は俺の腰を抱き寄せると、するすると胸を撫でていく。
「あ……瑠奈の彼氏……一緒に話なんて何だろうって……う」
優に首筋を甘噛みされて、またヘンな声が出て、ぎゅっと唇を噛んだ。
「二人で報告って言ったら――何かな。婚約?結婚?妊娠とか?」
「――えっ」
優の口から飛び出した言葉に、俺は頭が真っ白になって固まってしまった。
「え……まさか、そんな、まさか……まだ十七歳だし……だって、瑠奈は」
「おーい、ちょっと葉司!あくまで可能性だから!葉司ってば。明日にならないとわかんないじゃん、そんなの。今は俺といるんだよッ?あーもうっ」
「あっ――んんッ」
かぷりと唇を食べるように深くキスされて、ぐいと腰を抱き寄せられた。
睫毛を瞬かす瞳に真剣に見つめられれば、俺にはもう優のこと以外を考えるすべがなくなって、ただキスの波間に溺れていった。
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